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人の気持ちをわかれと言う人ほどわかってない

プレジデントオンライン / 2019年11月6日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/GeorgeRudy

「あなたは人の気持ちがわからない人だ」と言われたら、どう思うだろうか。ブロガーのフミコフミオ氏は、「悩む必要はない。『人の気持ちがわからない』と他人に忠告する人たちこそ、人の気持ちがわかっていない。だから人の気持ちもわからずに発言できるのだ」という——。

※本稿は、フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■子供の頃から人の気持ちがわからない

恥の多い人生であった。「あなたは人の気持ちがわからない人だ」と言われることの多い人生であった。子供の頃は、親兄弟、親戚、友人、近しい人たちから「私たちはあなたのために厳しいことを言っている」という建前で「人の気持ちがわからないからお前はダメだ」と諫(いさ)められていた。

大人になった今、注意を受けること自体がなくなってしまった。単純に、年長の人たちの数が少なくなってしまった。天へ召された人もいれば、ご自分の老後生活の苦しさで他人にアドバイスする余裕すらなくなってしまった人もいる。

もっとも、僕が大人になったというのが、いちばん大きな要因だろう。僕も、平々凡々な人生のなかで、人並みに経験を積んだ。おかげで「こんなこと言ったら相手は怒るかもしれない」と想像できるようになった。

子供の頃に比べれば、「人の気持ちがわからない」と揶揄(やゆ)されるような発言をする頻度が減っているのは、間違いない。だが、体裁を整えているだけで、今でも人の気持ちはわからないままである。子供の頃「絶対、表面上相手に合わせるようなつまらない大人にだけはならない」と誓った「つまらない大人」に僕はなってしまった。

■他人に「人の気持ちをわかるようになれ」とは言わない

この文章は、「人の気持ちがわからない人間」と言われて傷つき、悩む、あなたのためのものだ。もし、あなたがここまでのイントロを読んで、「人の気持ちがわからない奴の言う戯言など聞きたくない」と思ったなら、今すぐページをめくって次のエッセイへ進んでもらいたい。

「あんたは人の気持ちがわからない」と言われ、平気な顔をしていたけれども、内心ではムカついていた。自分を注意してくれる存在のありがたさに気付いたのは、ずいぶんとあとで、大人になって初めて、子供だった僕を心配していろいろと助言してくれた当時の大人たちの優しさや親切心がやっと理解できた。

こういうのを「人の気持ちがわかった」というのかもしれない。とすれば、いろいろと言ってくれた皆様のおかげである。鬼籍に入られた方も多いけれど、この場を借りて感謝しておこう。ありがとう。

大人になった僕は、仕事上の人間関係で大きな問題が起きそうなときを別にすれば、「人の気持ちをわかるようになれ」と誰かを注意することはない。人の気持ちはわからないと信じているからだ。

■「人の気持ちをわかれ」と言う人ほどわかっていない

実生活で「人の気持ちがわからない人間だ」と言われることは、ほぼなくなっている。だが、そのぶんというわけではないが、ツイッターやSNSで、どこの馬の骨ともわからない御仁から、「人の気持ちがわからないお前みたいな奴は死ねよ」と言われるようになった。

発言主が、人の気持ちをわかっているように見えないのは、実に興味深い。面識のない人間から「死ね」「消えろ」「カス」と言われる、その恐怖。なんて冷酷で、世知辛い世の中だろう。アベノミクスのせいだろうか。令和という時代のせいだろうか。

この世界の片隅から……おそらく、北関東あたりの郊外にある、イオンかイトーヨーカドーの駐車場に停めた軽自動車(中古)の車中からだろう。そんな場末から面識のない中年男に「死ねよ」とつぶやく方々の鬱屈した気持ちと冴えない人生に、思いを馳せてしまう。

僕は、彼らみたいな人を照らす1本のロウソクでありたい。照らすだけではなく、いっそ、そのまま着火して燃やしてしまいたいくらいだ。

SNSで、知らない人から「人の気持ちがわからない奴は死ね! ボケ! カス!」と言われても、よほど暇でない限り反論はしないほうがいい。パソコンやスマートフォンの電源を切って、生ビールでも飲んで、ぜんぶ忘れてしまおう。彼らは明らかに間違っている。人の気持ちがわかる人などいない。つか、人の気持ちなどわからなくていい。

人の気持ちがわからなくても、リスペクトはできるからである。

■人の数だけ気持ちの数があるはず

彼らの言う「人の気持ちがわからない」というフレーズは、「情け容赦ない」「冷血」「冷酷」という意味だろう。それなら、ダイレクトに冷血人間と言えばいい。

「人の気持ちがわからない」と他人に忠告する人たちこそ、人の気持ちがわかっていない。だから人の気持ちもわからずに発言できるのだ。

超能力者や、DaiGo氏のような一流メンタリストを除けば、人の気持ちや考えなどわかるわけがない。わかっているつもりにすぎない。あるいは、人の気持ちがわかると信じたいのだろう。信教の自由があるので、他人を巻き込まずにご自由にやっていただければよろしい。

もし、本気で自分以外の人の気持ちや考えがわかると主張する方がおられるのなら、ぜひとも、そのメソッドを体系化してもらいたい。マジでノーベル賞確実だ。

「人の気持ちがわかる」と考えるのは、驕(おご)りである。危険ですらある。基本的人権というものがあるように、僕たちはそれぞれが何かを考えながら、思いながら生きている。

そのなかで、怒ったり、悲しんだりといった感情が発生する。そういう思考とか思慮とか感情みたいなものをひっくるめたものが気持ちとするなら、人の数だけ気持ちの数があるはずである。

僕が我慢ならないのは、ある事象について僕が考えたり思ったりすることをストレートに言葉にしているのに、「それは違うよ!」と指摘されることである。違いがあるのは当たり前である。なぜ、違うからという理由で非難されなければならないの。子供の頃から感じていた疑問の正体である。

■「作者の気持ち」もわかるわけがない

子供の頃、国語の授業で先生からこんな質問をされた。

「この文章(小説の抜粋か詩だった)を書いたとき、作者は何を考えていたでしょうか」

「わかるわけがない」と率直に答えたら、まだハラスメントやバイオレンスが横行していた昭和時代である、教師の握っているチョークが飛んでくるか、授業が終わるまで立たされてしまう。コンプライアンスや人権意識が高まっている現在では信じられないが、当時は、肉体的苦痛に訴えて矯正する時代だった。

僕は、わかるわけがない、という自分の考えを押し殺して、「この文章で発生する原稿料や家賃の支払いといった個人的な経済問題のこと、あるいは作者は病気がちだったとされているので自身の健康問題のこと、などについて考えていたと思います」と無難な解答をした。

僕の無難な答えは、授業が終わるまで教室の後ろに立たされる、という哀しい結末を招いた。

この質問を受けたとき僕が分析すべきは、作者の気持ちや考えではなく、先生の気持ちや考えであった。子供だった僕にはそれがわからなかった。あまりにもピュアすぎたのだ。

この悲劇の元凶は、先生の想定していた解答と、僕が考えていたこと、感じていたことが1万光年ほどかけ離れていたことにある。正解も間違いもそこには、ない。あるのは、違い、それだけだ。それでも、正しかったのは自分だと僕は今でも思っている。

■「人の気持ちをわかれ」と言う人の押し付けがましさ

「人の気持ちをわかる人間になれ」というのを、「人の気持ちの中身を理解しなさい」と誤解している人が多すぎる。人の気持ちのわかる人間とは、人はそれぞれ、異なる考え方や感じ方をするものだと理解しましょうねという意味である。

僕に言わせれば、「人の気持ちをわかるようになれ」は、ただの処世術にすぎない。世の中をうまく渡っていくためには、平均的な考え方、感じ方に合わせて態度を決めていくほうが楽だし、早い。

多くの場合、それでいい。だが、どんな人生であれ、どうしても譲れないときが必ずある。そういうとき、自分の考えていることや思っていること、感じたことが平均的なそれらと乖離(かいり)しているとわかっていながら、自分を貫くのか、どうか。それだけのことなのである。

「そんなことはない。人の気持ちはわかる。その人の立場になってシミュレーションすればいい」などと言う人がいる。それは想像の産物で、その人の気持ちではない。言い方を換えれば、「こういう気持ちであってほしい」という願望が変質したものだ。

僕はときどきこんな悪い質問で反撃する。「通り魔や連続無差別殺人犯の気持ちがわかりますか?」

「わからないに決まっている」と答える人が多いのではないか。つまり、人の気持ちがわからないといって非難する人たちは、自分たちと同じような気持ち、あるいはこういう気持ちであってほしいと押し付けているにすぎない。同じ考えをする仲間が欲しいだけなのだ。

連続無差別殺人犯の気持ちがわからないのは、そんな奴らを仲間にしたくないという意思の表れにすぎない。もしかしたら連続無差別殺人犯の気持ちだってわかるかもしれないではないか。

■お互いわからないまま受け入れていくのが美しい世界だ

もし、この文章を読んでいる方のなかに、人の気持ちがわからないと言われた人がいても、「僕は欠陥のある人間なのか……」「私、やっぱおかしいのかな」などと悩まないでほしい。他人の気持ちなど誰にもわからない。想像して、わかっている気分になっているのだ。同じように物事をとらえている仲間が欲しいだけ。

フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)

程度の差こそあれ、誰でもひとりでいることは不安なので、仲間を求めようとする行為を僕は否定しない。そういう気持ちはわからないし、賛同はしないけれど、受け入れてはいる。

人の気持ちがわからないと嘆いているあなたには、わからないまま受け入れるような人間になってもらいたい。世の中にはたくさんの人がいて、それぞれがまったく異なる考え方や思い方をしている。

そしてまったく異なる人たちが、それぞれわからないままお互いを受け入れていくような世の中が本当の美しい世界だと僕は思う。正しいとか間違っているとかではなく、違いを違いのまま認めること。人の気持ちがわかるとは、そういうことだと僕は考えている。

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フミコ フミオ ブロガー
1974年、神奈川県生まれ。飲食業の会社の営業部長。「はてなブログ」の前身である「はてなダイアリー」で2003年からブログを始める。独特な文章でサラリーマンの気持ちを代弁。著書に『刺身が生なんだが』(すばる舎)、『恥のススメ~「社会の窓」を広げよう~』(インプレス)。ツイッター:@Delete_All

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(ブロガー フミコ フミオ)

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