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万能の天才ダ・ヴィンチにもあった「3つの欠点」

プレジデントオンライン / 2019年11月6日 6時15分

ルネサンスの「万能の天才」、レオナルド・ダ・ヴィンチが残した膨大なノートの一つ、「アトランティコ手稿」の一部。左右が逆転した鏡文字で書かれている。ミラノ・アンブロジアーナ図書館蔵。 - 写真=Mondadori/アフロ

「万能の天才」と称されるレオナルド・ダ・ヴィンチ。だが、そんな天才にも「3つの欠点」があり、劣等感に悩むこともあった。生粋のダ・ヴィンチ研究家は「万能の天才も現代人と同じような悩みを抱えていた。ただし、その悩みの解決法が私たちとは違う」という——。

※本稿は、桜川 Daヴィんち『超訳ダ・ヴィンチ・ノート』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

■堂々と劣等感を持つ

「この男は大バカ者だ……言ってくれ、サンドロ、君はどう思う? 本当のことを正直に言おう。僕は成功しなかったのだ」(アトランティコ手稿)

「僕は成功しなかった」——ダ・ヴィンチの言葉とすれば、あまりにも意外と言っていいでしょう。万能の天才。きっと何事もすんなりうまくいったに違いない。そんなイメージとは裏腹に、劣等感を解消するために努力するという泥臭さこそが原点だったのです。

ただし、単に自己卑下していたわけではありません。自分が今、社会の中でどこに位置しているのか、現状を客観視していました。

「サンドロ、君はどう思うか」のサンドロとは、貝殻の上に立つ女神を描いた『ヴィーナスの誕生』で有名な画家、サンドロ・ボッティチェリのことです。ボッティチェリはダ・ヴィンチより7歳ほど年上で、同じ工房で働く先輩でありライバルでしたが、ダ・ヴィンチに劣等感を抱かせた「ある決定的な出来事」がありました。

システィーナ礼拝堂の壁画制作プロジェクトに画家が選ばれ何人か招集された際、ボッティチェリは選ばれましたが、ダ・ヴィンチの名はありませんでした。最高に栄誉があり報酬も莫大(ばくだい)だった仕事を逃したダ・ヴィンチの落胆は計り知れません。でも、そんな自分の現在地を認め、前に進む道を選んだことが、晩年、偉大な芸術家となったダ・ヴィンチのスタートラインだったのです。

■欠点は無視して、裏側にある長所を伸ばせ

「鉄は手入れをしないとさびてしまう。水は放置されると腐り、冷え込むと凍る。同じように、才能も使わなければダメになってしまう」(アトランティコ手稿)

師匠が認めるほど絵が上手だったのに、システィーナ礼拝堂の壁画制作プロジェクトに落選したダ・ヴィンチ。その原因は次の「3つの欠点」にありました。

①遅筆
②未完成作品が多い
③指示を無視する

絵を依頼したのに、納期を守れない。だいぶ描いたかと思ったら、完成させることができない。完成したかと思いきや、依頼した内容が反映されていない——こんな最悪の3拍子がそろった人に誰も仕事を依頼しませんよね。

でも、ダ・ヴィンチは、この欠点を直そうとせず、最後までそのスタイルを貫きました。なぜでしょう?

「遅筆」であるということは、それだけ丁寧であるということ。「未完成」であるということは、それだけ考え抜かれているということ。「指示を無視する」ということは、裏を返せば、オリジナリティーが高い作品ができるということ。

つまりダ・ヴィンチは、「欠点の裏側にある長所」を知っていたのです。そして、長所だけで勝負する方法はないかを模索し、遅筆向きの絵の具を開発したり、前例のない斬新な構図を描いて鑑賞者を魅了しました。

日本人は謙遜を美徳とする素晴らしい文化を持っていますが、その一方で、できていないことに意識が向きがち。欠点を直そうとするより長所を伸ばすほうが効果的なうえに、どんどん自尊力も上がります。

■勝者とは、始める人ではなく続けた人のこと

「石は、火切り鉄に叩かれたので、びっくりして声を荒げて言った。『どうして私をいじめるの。人違いでしょう。私を苦しめないでくれる? 私は誰にも迷惑をかけてないのよ』。すると、鉄が答えた。『我慢すれば、素晴らしい結果が生まれるはずさ』。石は機嫌を直してじっと苦痛に耐えていると、やがて素晴らしい火が生じた。その火の威力は、無限に役立つことになった。これは学習を始めたばかりの初心者が、自己を抑えて、地道に学びを続けた結果、偉大な成果を生み出すことにたとえられる」(アトランティコ手稿)

「私は続けるだろう」——。こんなつぶやきが、晩年のダ・ヴィンチ・ノートに書き残されています。何を続けようとしたのか、肝心なことが省略されていますが、とにかく続けることを意識の中心に置いていたのがダ・ヴィンチでした。

ダ・ヴィンチが生涯続けたことは、自己表現のアウトプットであり、自分のメッセージを伝えることです。万能の活躍をしたように見えて、実は「調べてノートに書き続ける」、そして「とにかく絵を描き続ける」という2つのシンプルな繰り返しからすべては生まれました。

続けることが自尊力にもつながり、次第に周囲からも認められる存在になりました。生涯、地道に研鑽(けんさん)を続けていった結果、科学者として数々の業績を残しながら、偉大な芸術家となったのです(おまけに後世、そのノートと絵画は、共に世界最高額で落札されました)。

日米通算4367安打を放ち、45歳まで現役を続けたイチロー選手も、まさに続けた人。試合前には決まったメニューのトレーニングをこなし、試合中は打席に向かう動作をルーティンとして守り、試合後は必ず道具を磨く。遠征先には枕を持ち歩き、自己管理を徹底しました。

大きな成果を上げるのは、「新しいことを始める人」とイメージしがち。でも「石と鉄」のたとえからもわかるように、「続ける」をダ・ヴィンチは徹底したのです。何かが生まれるのはその先。この順番を間違えてはいけないのでしょう。

■「イノベーション」ではなく「リノベーション」で生み出せ

「人はみな、我流で制作しては、自分は描くのが上手だと思っている。このような欠点は、自然の作品から一切教えを受けずに制作し、作品をたくさんつくることだけを考えている人たちに見られる。画家は自分自身と対話しながら、自分の見ているすべてのものを熟考し、そこから最も卓越した部分を選ばなければならない」(ウルビーノ稿本)

日本ベンチャー白書などのデータによると、日本ではスタートアップ企業が生まれる比率が著しく低いことがわかっています。日本に比べてインドは3倍、中国は10倍、アメリカは45倍もイノベーション事業に力を注いでいます。

でも、悲観することはありません。日本はイノベーションをするよりも、リノベーションを得意とする国だからです。

「0から1」、つまり無から有を生み出すイノベーションに対し、リノベーションは既存のものを改良し、「1を2、あるいは3にも5にもすること」を言います。

■ダ・ヴィンチも「リノベ派」だった

桜川 Daヴィんち『超訳 ダ・ヴィンチ・ノート』(飛鳥新社)

一般的に、ダ・ヴィンチは天才だからという理由で、イノベーションを得意とした人と思われがち。確かに斬新な創造もしていますが、実は他の画家が描いた絵を参考にして自分のアレンジを加えるのが得意でした。軍事兵器や解剖スケッチ、科学的発明にしても、先人の書物にヒントを得て、改良を重ねたものが多く見受けられます。

ダ・ヴィンチ自身が言うように、創造力とは、熟考して卓越した部分を選び組み合わせる力。我流で無理してゼロから生み出すよりも、優れたものを組み合わせればいいのです。

ダ・ヴィンチのリノベーションには基準が3つあります。先人の発想を学ぶこと。既存のものに自分のメッセージを加えること。そして、見た目を洗練させ新しく見せること。リノベーションを得意とする日本人が学ぶべき手法です。

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桜川 Daヴィんち(さくらがわ・だゔぃんち)
ダ・ヴィンチ研究家
手稿、図録、学術書など、100冊を超える資料を分析してダ・ヴィンチの思考を解明し、自ら実践するのみならず、仕事に生かすコンサルティングも行っている生粋のダ・ヴィンチマニアにしてダ・ヴィンチ研究家。イタリアにある6つのダ・ヴィンチ博物館を訪れたり、定価数十万円する手稿のファクシミリ版を所有するなど、ダ・ヴィンチにまつわる体験やコレクションも豊富。初の著書『超訳 ダ・ヴィンチ・ノート』では、ダ・ヴィンチの書き残した8000ページを超える膨大な手記を読み解き、現代のビジネスパーソンへの教えを超訳、話題を呼んでいる。

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(ダ・ヴィンチ研究家 桜川 Daヴィんち)

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