1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「イオンを創った女」が手土産を倍返しにする訳

プレジデントオンライン / 2019年11月7日 9時15分

「弟を日本一にする」。イオングループ創業者・岡田卓也の実姉・小嶋千鶴子は、その言葉通り、家業の岡田屋呉服店を日本最大の流通企業に育てた。その経営手法はどんなものだったのか。『イオンを創った女の仕事学校』(プレジデント社)の著者・東海友和氏は「小嶋の性格は頑固だった。この頑固さがイオンを育てた」という——。

■戦後、現金をすべて商品に変えインフレ回避

小嶋千鶴子は、経営の定石を持っていた。

豊富な知識欲、それに見合う学びによって、過去の出来事を知識化し、過去と現在の情報や資料を収集・分析し、現在直面する問題でどう参考にするか、どう適応するかといったことを、スピード感をもって行っていた。

たとえば、岡田屋時代のこと。

第一次世界大戦後のドイツでインフレになったことを学んで知っていた小嶋は、太平洋戦争後の日本にもインフレが来ることを予測し、岡田屋にあった現金をすべて商品に換えることで、このピンチをチャンスに変え、戦後の店舗復興を多いに有利にすすめることができた。

特に小嶋は偉人や成功者の書物を読むことによって、その成功のエッセンスを読み取り、自身の状況と照らし合わせながら、決断をし、勇気をもって実践していった。

■決断しない幹部は幹部と認めない

小嶋は意思決定を非常に重視した。

当たり前のことであるが、決断をしない幹部は幹部として認めなかった。

「あのなあ、君が幹部たるゆえんは意思決定する人だからや。間違ってもよい、修正すれば済むことや。しかし意思決定しないでは、そこの域まで行かず、何もことが進まない。幹部失格や」

といって、意思決定しない幹部をよく大声で叱っていた。

人の失敗に対しては寛容であったが、意思決定の放置・先送り・責任逃れは決して許さなかった。

自らが意思決定をすることによって責任が生まれ、達成するよう手だてを考えることが身に付くのである。意思決定を避ける人は本当の意味で能力は低いと評価すべきである。

冒険家で有名な西堀栄三郎は「先に決定しあとからリスクを低減するよう考える」と『石橋を叩けば渡れない』で何度も表現している。

経営とはその意味で冒険でありリスクテイクなのである。

■100歳をこえても判断スピードは衰えない

同様に、小嶋が経営において重視したのはスピードである。

経営は限られた時間と限られた情報とで意思決定を迫られる。したがって経営者はとにかくせっかちで、小嶋もそうである。

あるとき、「あれできたか?」というので、「今調査中です。まとめてから提出します」と答えると、「遅い。もうええわ」という。

さすがに、そのままではいられないので、「この前小嶋さんがこのように言いましたので、検討しているのです」と言い訳をすると「あのなあ、私は結論をもっている訳ではなく、いろいろ思案しているのや。それと考えも変わることがあるんや。そのための案を作れと言ったんや。とにかく、はよせい」との答え。

頭の中で試行錯誤、シミュレーションをしているのである。

君子は豹変(ひょうへん)する。当初の指示された内容を充実させることもさることながら、何事も速くすることを学んだ。

あるとき、小嶋の私設美術館・パラミタミュージアムで作品の展示替えを行うことになった。

日通美術部職員の作業が遅く、手つかずの作業が残っていたのを見て、小嶋は「もう待っておれんな。君と動かそう」と言いながら、重い石の作品を二人で釣り上げ移動したことがある。

なんと小嶋90歳、私60歳である。

さすがに、体にとってはどうかと思うが、とにかくそれほどせっかちなのである。

組織の大企業病、老化現象は、スピード感に現れる。

いま齢100を超えてなお、小嶋は物事の判断スピードは衰えていない。そのスピード感は、「ほかより早く」という先鞭(せんべん)性として、ジャスコの組織文化になった。

■手土産すら受け取らず、拒否できなければ「倍返し」

小嶋千鶴子は自分にも厳しいが他人にも厳しい。自分に厳しいからこそ他人に容赦なく厳しい意見が言えるのであろう。

ジャスコになって間もない、あるときのことだ。

合併した会社の商品担当の役員を呼び出し、

「あんたとこの商品部は私が注文した炊飯器とは異なる高級な炊飯器を自宅に送ってきたが、これはどういうことや? 私は9800円のものを頼んだのに、届いた商品は1万6800円もする高級品やった。あんたが指示をしたのかそれとも部員が気をまわしてそうしたのかどっちや。あんたの以前の会社はそうして上の人の歓心を得るためにそういう風習があったのか。ジャスコはそういうことが一番嫌いな会社なんや」

と大声で叱責していたのである。

上のものに気を使って先回りをしてすることを極端に嫌ったのである。名誉も金も地位もお世辞も要らない無私の人である。

だから、盆暮れの贈答は当然のこと、小嶋を訪ねる訪問者からの手土産すら受け取らない。どうしても拒否できない場合には贈答の「倍返し」をする。

本来の忖度(そんたく)とか慮(おもんぱか)るとは人間としてのチョッとした心遣いであるが、上の歓心を得るために会社で横行すると、これは次第にエスカレートしていくものである。

組織の中で、上の歓心を得るための忖度は、組織を衰弱させ、大企業病に陥る一因であり、小嶋はこれをえらく嫌った。

■バブルで盛り上がる中、本業に徹した

小嶋が役員を退任し、監査役だった時代のこと。

「ちょっとY君を呼んでくれんか?」と人事本部へやってきた。

「彼は第2資金部にいます」と応えると、けげんな顔で「第2資金部?」と言う。

Y君が人事本部へ来て、「第2資金部とは余剰資金を証券運用している部署で運用利益がこれだけ増大しています」と自慢げに話したところ、小嶋は烈火のごとく怒りだした。

東海 友和『イオンを創った女の仕事学校 小嶋千鶴子の教え』(プレジデント社)

「小売業の利益の源泉はどこや? 資金運用ならそれを小売にまわせ、そんな部署いらんしY君の使い方を知らん。君をそんな仕事のために育てたのと違う」

と言いながら、小嶋は財務本部に飛んでいった。

その後第2資金部は廃止となり、Y君もしかるべきところに異動した。どこの会社も証券運用に性を出し経常利益を出していた時代のことである。

バブルのとき、だれもが金融投資に明け暮れたが、ジャスコは決して舞い上がることなく、「上がれば下がる・下がれば上がる」という家訓を守り、本業に徹した。

この頑固さはそのまま小嶋の性格にも通じるところがあり、この頑固さこそが、イオンを日本最大の流通業にした理由なのだろう。

----------

東海 友和(とうかい・ともかず)
東和コンサルティング代表
三重県生まれ。岡田屋(現イオン株式会社)にて人事教育を中心に総務・営業・店舗開発・新規事業・経営監査などを経て、創業者小嶋千鶴子氏の私設美術館の設立にかかわる。美術館の運営責任者として数々の企画展をプロデュース、後に公益財団法人岡田文化財団の事務局長を務める。その後独立して現在、株式会社東和コンサルティングの代表取締役、公益法人・一般企業のマネジメントと人と組織を中心にコンサル活動をしている。著書に『イオンを創った女』(プレジデント社)、『イオン人本主義の成長経営哲学』(ソニー・マガジンズ)、『商業基礎講座』(全5巻)(非売品、中小企業庁所管の株式会社全国商店街支援センターからの依頼で執筆した商店経営者のためのテキスト)がある。

----------

(東和コンサルティング代表 東海 友和)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください