30年間愛された「根津メトロ文庫」が消える背景
プレジデントオンライン / 2019年11月12日 9時15分
■「近々、書棚を撤去する」という告知が話題に
東京メトロ千代田線根津駅の不忍池(しのばずのいけ)方面改札に、電車の形をしたユニークな書棚が置かれているのを見たことはあるだろうか。名前を「根津メトロ文庫」という、この無人の図書室。誰でも自由に本を借りることができ、読み終わったら書棚に返せばよい。かつて根津駅の駅員が手作りしたという2両編成の書棚は、ステンレスの外板や灯火類、パンタグラフまで設置された本物志向だ。
駅員が持ち寄った約300冊の本からスタートした根津メトロ文庫には、地元を中心に本を寄贈したいとの申し出が相次ぎ、やがて文庫本を中心に古典的名作から歴史小説、ライトノベル、評伝、ビジネス書まで、書棚にはさまざまな本が並ぶようになった。地域と利用者に愛され、育てられてきた文庫であった。
そんな根津メトロ文庫の書棚に10月末、「近々、書棚を撤去する」という旨の告知が貼り出されたとネットで話題になった。東京メトロ広報部に確認したところ「書棚の老朽化が進んでいることに加え、時代の変化に伴い、利用率も減っていることから撤去を決定した」との回答があった。撤去の日時や、撤去後の処遇は未定だという。
■そもそもなぜ駅に「図書室」があるのか
なるほど、時代は変化している。新聞、雑誌、書籍の発行部数は2000年代以降、右肩下がりの状況で、電子書籍を除けば出版市場は縮小を続けている。書籍や雑誌が読み放題の定額サービスも普及が進んでおり、紙の本に対するニーズが小さくなっているのは確かである。それにしても、地域や利用者に長年愛された文庫がなくなるのは、時代の変化という言葉では割り切れない寂しさを感じる。
だが、ここでひとつの疑問が生じてくる。根津メトロ文庫が求められた時代とは、どのようなものだったのだろうか。なぜ駅の中に書棚が設置されていたのだろうか。
根津メトロ文庫撤去のニュースは新聞、テレビ、ネット上でさまざまに報じられた。しかしその切り口は判を押したように、消えゆく文庫へのノスタルジー、古き良き時代の回顧ばかりであった。
なぜ消えてしまうのかも気になる。しかし筆者はそれ以上に、根津メトロ文庫が誕生するに至った理由に興味が湧いてくる。根津メトロ文庫が必要とされた理由が分かれば、本当に役割を終えたのかも見えてくるはずだからだ。
■キーワードは満員電車、長距離、“ヒマ”なサラリーマン
そもそも根津メトロ文庫はいつ設置されたものなのだろうか。根津駅は今年12月20日、開業から50周年の節目を迎える。撤去理由に挙げられた「書棚の老朽化」という説明や、持ち寄った本を貸し出すというスタイルから、文庫には開業以来の長い歴史があるような印象を受けるかもしれない。しかし、根津メトロ文庫が設置されたのは平成に入ってから。バブル経済真っただ中の1989年9月のことであった。
実は、こうした本の貸し出しサービスは根津駅のオリジナルではない。少なくとも前身の営団地下鉄(当時)では、1988年に四谷三丁目駅に誕生した「クローバーブックコーナー」が最初で、その後、赤坂見附駅の「みつけ文庫」など、いくつかの駅に広がっていったという。そのひとつが根津駅であった。
日本中を熱狂させた空前のバブル景気と、営団地下鉄で起きた「本の貸し出しサービス」ブームには、何の接点も無いように見えるかもしれない。しかし、メトロ文庫が生まれた背景をたどっていくと、バブル経済という時代の転換期において、鉄道事業者と利用者の思惑が奇妙に合致して誕生したサービスだったということが、次第に見えてくるのだ。
キーワードは満員電車と長距離通勤、そして手持ち無沙汰なサラリーマンであった。
■かつての京浜東北線の混雑率は驚異の272%
国土交通省は毎年、都市部通勤路線の混雑率を公表している。混雑率100%は定員乗車(着席する座席定員と手すりやつり革につかまって乗車する立席定員の合計)の状態。日本一の混雑路線として知られる東京メトロ東西線(木場―門前仲町)の2018年度の混雑率は199%だが、これは定員のおよそ倍の乗客が乗車していることになる。
しかし、数字だけではどれくらいの混雑か実感が湧きにくい。そこで
「混雑率180% 体が触れ合うが、新聞は読める」
「混雑率200% 相当な圧迫感があるが、週刊誌なら何とか読める」
「混雑率250% 身動きできず、手も動かせない」
などの目安も示されている。
なぜ基準が新聞や週刊誌なのか、今ではかえって想像しづらいかもしれない。しかしインターネットや携帯電話がなかった時代、乗車中の暇をつぶすには、車窓や中吊り広告を眺めるか、新聞や週刊誌を読む以外に選択肢はない。読書できる程度の混雑かどうかは、利用者にとって重要な指標のひとつだったのだ。
この混雑率が鉄道整備計画の目標値として掲げられるようになったのは1992年のことである。せめて新聞を読みながら通勤できるゆとりが欲しいということから、平均混雑率の目標は「150%(東京圏は当面180%)」に設定された。
ちなみに2018年度の東京圏の平均混雑率は163%。前述の東西線やJR横須賀線、JR総武線(各駅停車)など、依然として混雑率200%に迫る路線は残っているものの、おおむね目標値に近づきつつある状況だ。
ではバブル期の混雑がどれほどのものかというと、1988年の東京圏の平均混雑率は205%。京浜東北線は272%、中央線(快速)は261%にも達していた。
■土地が高すぎて「片道2時間通勤」も当たり前
なぜこんなに電車が混んでいたかというと、1995年をピークとする生産年齢人口の増加と、バブル経済による就労者の増加により、1980年から1990年にかけて東京への通勤・通学者数は22%も増加したからだ。それまで混雑率は、1960年代の平均250%、1970年代の平均220%から改善傾向にあったが、1987~90年は例外的に混雑率が悪化した時期だった。
加えてバブル期に進行したのが「遠距離通勤化」であった。東京圏の住宅地1平方メートルあたりの平均価格は、1985年から1990年の5年間で3倍に高騰。一般的なサラリーマンが都心近郊に住まいを建てることは困難になってしまった。
1991年3月26日付の朝日新聞は「マイホームはどこまで遠くへ 通勤はもう“旅行”」の見出しで、現実的に手が届く土地は都心から50~60キロ圏内、片道2時間以上の新興住宅地に限られつつある状況を紹介している。週刊誌を読むこともままならない満員電車、しかも長距離通勤を余儀なくされたサラリーマンは、週刊誌よりも小さい文庫本をお供に家と職場を往復した。
社会全体が一定の豊かさを達成した後に、人々が求めたのは「生活の質」であった。しかし豊かになっても、住まいも通勤も一向に余裕が生まれない。バブル経済とは、行き場を失った矛盾や鬱屈が消費に流れ込んだことで発生した、時代のあだ花だったのである。
■JRの誕生でサービスが見直されるように
一方、鉄道会社もバブル期、満員電車と遠距離通勤にあぐらをかいていたわけではない。山手線内の土地でアメリカ合衆国の全土が買えるとまで言われた異常な地価高騰で、鉄道の輸送力増強、新線建設はペースダウン。その一方、鉄道利用者は増えるばかりで、身動きが取れずにいた。
量を満たせないのならば、せめて質だけでも、というわけではないだろうが、この頃、鉄道事業者は大きな転換点を迎えていた。そのシンボルとなったのが国鉄民営化である。
1987年にJRが発足すると、駅員のイメージは一新され、ニーズに応えたサービスの展開、駅や車両のリニューアルなど、長年停滞していた取り組みが一気に活性化する。国鉄民営化の「成功」が認知されるにつれ、「JRができるのだから」「国鉄でも変われたのだから」と、鉄道各社の事業に求められるサービス水準は高まっていった。
営団地下鉄も将来的な民営化に向けてサービス向上と増収の取り組みを強化し、テレホンセンターの設置、きっぷ購入時に使用できるプリペイドカード「メトロカード」の発行、回数券の発駅フリー化、車内冷房開始、駅構内店舗開発などに着手した。
同時に現場の意識改革を目的として、駅単位のサービス改善運動を開始している。実はここに根津メトロ文庫誕生の原点があったのだ。
■駅員のサークル活動で生まれた
サービス改善運動は駅ごとに「販売促進」や「接客」「放送」などをテーマにした駅員のサークル活動で行われた。根津駅でも、1988年に発売したメトロカードの販売促進を目的として、駅員が廃材のテーブルの天板を切り抜き、周囲に板を貼った「販売ボックス」を作っている。
ところが、自動販売機の高性能化が進み、券売機でメトロカードを発券できるようになると、せっかくつくった販売ボックスは倉庫の片隅に追いやられ、お役御免となってしまう。
一方その頃、営団地下鉄で注目を集めていたのが、駅構内の快適性を向上させる「構内美化」サークルだった。駅構内に水槽や花を飾ったり、ベンチを設置したり、ちょっとした変化でも利用者に評判となった。
その中でも特に話題を集めたのが、四谷三丁目駅が始めた、本の無料貸し出しサービスだった。通勤のお供の文庫本が無料で借りられる。現代風にいえば、車内に無料Wi-Fiが整備されるような衝撃だろうか。
ここに目をつけたのが、販売ボックスの再利用を考えていた、根津駅の構内美化サークルのメンバーであった。彼は販売ボックスを電車型の書棚に改造することを思いつく。こうして誕生したのが、根津メトロ文庫であった。
■不景気に合わせるように本は減っていき……
しかし、突然消えるからバブル(泡)と言われるように、平成バブルはあっけなく崩壊した。誰の目にも不景気が明らかとなった1995年以降、根津メトロ文庫がニュースで取り上げられるのは決まって「本が返ってこない」「存続の危機」という暗い話題ばかりになる。
1995年3月7日付の読売新聞(都内版)には、不景気に合わせるように本の寄贈者が減り、逆に本を返さない人は増加したという時代の変化と、人気の新刊シリーズが並ぶと十数冊がそっくり消えてしまうというお寒い現状が伝えられている。多くの駅では、本の返却率は5~10%程度だったという(根津でも50%程度)。
ただし「メトロ文庫」のピークは、1999年ごろの27駅と言われており、必ずしもバブル崩壊後、一気に衰退したわけではない。景気の悪化で混雑率は減少に転じたものの、地価はすぐには下がらず、遠距離通勤化の傾向はしばらく変わらなかったからだ。出版業界でも、90年代半ばに再び「文庫本ブーム」が起きている。バブル経済を背景に誕生したメトロ文庫であるが、バブル崩壊が衰退の直接的な原因とも言い難いだろう。
■書棚が古くなり、「都心回帰」で通勤時間も変わった
メトロ文庫の撤去が加速するのは2004年以降のことである。東京メトロによれば2007年には最盛期の半分となる14駅まで減っている。その要因はさまざまだ。寄贈の減少と返却率の低下が限界を突破し、メトロ文庫の仕組み自体が成り立たなくなった駅は多い。
また設置から10~15年が経過し、書棚の老朽化が進んでいたことも挙げられる。根津メトロ文庫の大型の書棚は例外で、多くの駅では普通の本棚を使っていた。2004年に念願の民営化を果たした営団地下鉄が、イメージアップの一環として古い書棚の撤去を進めたという側面もあるだろう。
2000年代に入って、通勤を巡る環境が大きく変化したという点も欠かせない。バブル期の「ドーナツ化現象」は「都心回帰」へと反転し、職住近接が進展した。携帯電話の普及により、車内の暇つぶしは紙媒体からデジタルコンテンツに移行し始めた。
■時代の生き証人として保存できないか
決定的だったのは、2012年以降のスマートフォンの爆発的な普及と、地下鉄トンネル内の携帯エリア化ではなかっただろうか。通勤・通学のお供は文庫本からスマホに変わっていく。2013年にはメトロ文庫設置駅は5駅まで減少し、2019年11月1日現在、残るは根津駅と本駒込駅だけとなった。
こうして振り返ってみると、メトロ文庫は平成に合わせるかのように誕生し、平成の折り返し頃にピークを迎え、平成の終わりとともに消えていくようだ。そうであれば、これはやはり時代の変化だったとしか言えないのではないだろうか。
ひとつだけ願うとすれば、根津メトロ文庫の電車型書棚は、営団地下鉄の民営化に向けた努力の足跡として、そしてバブル期の過酷な通勤環境を語り継ぐ生き証人として、地下鉄博物館など、しかるべき施設で保存・展示してほしい。それが、過ぎ去った時代に対する、せめてものはなむけではないだろうか。
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鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家
1982年生まれ。東京メトロ勤務を経て2017年に独立。各種メディアでの執筆の他、江東区・江戸川区を走った幻の電車「城東電気軌道」の研究や、東京の都市交通史を中心としたブログ「Rail to Utopia」で活動中。鉄道史学会所属。
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(鉄道ジャーナリスト・都市交通史研究家 枝久保 達也)
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