客をルールで縛る酒場にいい大人が集まるワケ
プレジデントオンライン / 2019年11月14日 9時15分
■きっかけは行きつけのラーメン店の経営危機だった
イベント酒場「さばのゆ」という名前を聞いて頭に浮かんだイメージは、銭湯の湯上りにフルーツ牛乳を飲む代わりにお酒を飲む、というものだった。あるいは最近増えている、かつては銭湯だった建物を再利用して店舗にしているというケース。だが、「さばのゆ」は、そのどちらでもなかった。壁にドーンと、富士山の銭湯画はあるが……。
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では、なぜ「さばのゆ」という名前になったのか? この名前の由来は、経堂の商店街、そして須田さんのこれまでの歩みを抜きにしては語れない。
コメディ界のビートルズと呼ばれる世界的なコメディグループ「モンティ・パイソン」や「Mr.ビーン」の研究家としての著書もあり、これまでに数々の、主にコメディ作品を世に送り出してきた放送作家・脚本家でもある須田さんと経堂の縁を結んだのは、20歳の時に読んだ1冊の本だった。
著者はサブカルチャーの元祖・植草甚一。そこに描かれた経堂の商店街の様子に心惹かれてすぐに引っ越しを決めたという。その後いったんは離れたものの、1997年にふたたび経堂へ。須田さんいわく「飲んで飲まれて人に出会う」日々が始まった。
「僕が経堂で地域活動をスタートした1997年は、消費税が3%から5%に上がった年です。昔ながらの個人店の景気が2、3年のうちにじわじわ悪くなり、同種のチェーン店に顧客を奪われるケースも出てきた。行きつけだった飲み屋のようなラーメン店『からから亭』の当時60代の経営者夫婦が経営の悪化を理由に店を閉めると言い出したのがきっかけでした」
■集客イベントが功を制して経営危機を脱出
大好きで、いろんな人との出会いがあった、お世話になっているラーメン店。「絶対にやめて欲しくない」と思った須田さんは、同世代の常連仲間と一緒に「経堂系ドットコム」という街応援のためのWebサイトをつくり、ネットの力を駆使しながらリアルイベントで店を盛り上げた。
たとえば「からから亭」では、毎週月曜日のキャッシュオン制のバルイベントの実施。3年間150回連続での開催に、20代~30代の若い世代のたくさんのお客さんが集まり、その1~2割が常連になり店を支えるようになった。
「いろいろな集客イベントが功を奏して、『からから亭』は経営危機を脱することができました」
須田さんたちの活動はその後拡大し、より幅広く地域の個人店を応援するようになっていった。
■落語文化と醸造文化で人がつながる街
経堂には伝説の地域寄席と呼ばれる「経堂落語会」というイベントがあった。1979年(昭和54年)から1989年(平成元年)まで行われたもので、商店街の店主たちが世話役を引き継いできた。過去の根多帳をひもとくと、柳家小さん、柳家小三治、桂歌丸、春風亭小朝などの名前などがある。
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「最初の頃はお寺が会場でしたが、その後、2000年代になって僕が引き継ぐようになって、『塩原湯』という銭湯でも開かれるようになりました。落語会にはたくさんの人が集まる。集まった人たちが笑って幸せになった後、近所の飲食店に流れる。そこで会話や出会いが生まれて、人がつながっていく。経堂という街にはそういう“集い、つながる”文化がありました」
また、近隣には東京農大があり、醸造学科には全国の酒や醤油・味噌・糀(こうじ)などの蔵元の後継者たちが毎年おおぜいやって来る。
「そういう地方出身の学生さんが、経堂の飲食店でアルバイトをする。アルバイトと店主、あるいはお客さんとのつながりは、彼らが地元に帰ったあとも長く続いていきます」
須田さんたちは、人と人が出会うことでできたつながりを大切に、さまざまな企画を立ち上げていく。農大卒業後に全国に散らばった生産者たちと商店街の個人飲食店を結び、共同でメニュー開発を行ったり地方の食イベントを実施したり。
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また、界隈のいろいろな場所で落語をはじめ、演劇、朗読、音楽、交流会などのイベントを企画・実行していった。
「経堂エリアにインバウンドを!」という意識が常に活発な行動を支えた。
■銭湯のような「地域の社交場」を目指す
経堂の街や商店街の応援団という立場にいた須田さんが、2003年から駒沢や新宿ゴールデン街でのバーの立ち上げ、経営に関わった経験を活かして地元で個人飲食店のオーナーになったのは2009年の6月。前年に地域最後の銭湯「塩原湯」がなくなったことが転機となった。
「銭湯は、江戸時代からずっと地域の社交場となってきた。その銭湯が無くなってしまったので、代わりにご近所さんたちの交流拠点になる場所をつくりたいと思いました」
それが、銭湯のような店名の由来だ。では「さば」はどこから来ているのか?
「2007年にサバ缶による街おこしをスタートしました。十数店舗が参加して、街ぐるみでサバ缶メニューを提供する活動をはじめたんです。ユニークな事例でもあり、メディアにも取り上げられ注目を集め、経堂は『サバ缶の街』として知られるようになりました」
「サバ缶」+「銭湯の湯」で「さばのゆ」。おいしいサバ缶を食べながら、人々が集い、交流する場が誕生した。第1回のイベントは、なぜかアイリッシュミュージックのライブだった。以来、まる10年と半年。その間に開催されたイベントは1500回にもなる。
■2011年の東日本大震災で「蘇るサバ缶」がつないだ希望
「さばのゆ」という場所の持つ不思議なパワーを考えるとき、この話を抜きにはできない。2011年3月11日に東日本を襲った大震災では、経堂の商店街が美味しさゆえにひいきにして、複数の店でメニュー化していた「金華サバ」缶の加工会社、木の屋石巻水産も非常に大きな被害を受けた。
歴史的大津波が本社や工場、そして100万個の缶詰を飲み込んだのだ。水が引いた後、建物は原形をとどめないほどのありさまだったが、がれきの下には泥と油にまみれた缶詰が埋まっていた。
「洗えば中身は大丈夫なので」と、泥まみれのままの状態で「さばのゆ」に400個の缶詰が届いたのは4月2日。集まった経堂の人たちやボランティアは黙々と缶詰を洗い、ブルーシートの上で乾燥させた。
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だが、いったん泥をかぶった缶詰を正規の売り物にはできない。そこで300円の義援金につき1缶を進呈することにした。初日は50個分、1万5000円の義援金が集まった。
テレビやラジオの報道でこの取り組みを知った人たちが缶詰の購入や洗い作業のボランティアのために続々と経堂を訪れる。泥まみれの缶詰がどんどんやってくる。やがて被災した石巻でも缶詰を洗う作業ができるようになり、紆余曲折がありながらも多くの人の善意と協力によって最終的には22万缶が義援金と交換され、「希望の缶詰」と呼ばれるようになった。この活動が木の屋の工場再建のきっかけとなった。一連の活動のことは須田さんが書いた復興ノンフィクション『蘇るサバ缶』(廣済堂出版)に詳しい。
「経堂の商店街も落語の人情長屋のような感じですが、日本列島も1つの長屋。困った人がいたら、助け合うのが当たり前」――須田さんは、静かにそう語る。
■人と人との化学反応が新しい価値を生み出していく
「希望の缶詰」の活動を通じて、「地元商店街の飲食店や全国の生産者さんたちとのネットワークを活かした助け合いのチームワークが高度に進化しました」と須田さんは振り返る。また「さばのゆ」という場所に惹かれて集まる様々な分野の人たちが出会うことで、次々に新しいものが生まれていった。
たとえば、「経堂こども文化食堂」。最初はほかの「こども食堂」と同じく食事の提供だけを考えていたが、人形作家・四谷シモンさんの寄付がきっかけで、地元の陶芸教室で食べるための器をつくる陶芸体験や鰹節を削る食育体験もできるようになった。食事のための材料はこれまでに関係を築いてきた全国の生産者や経堂の個人飲食店が無償提供している。
同じく寄付などの支援をする春風亭昇太さんが友情出演する「浅田飴こども落語会」は、「経堂こども文化食堂」とのコラボで、子どもたちが生の落語を楽しむ。
ほかにも、編集者とライターの出会いからユニークな書籍が生まれたり、古典芸能の世界でも浪曲師と落語家が出会って一緒にイベントを行ったり、地方の生産者同士が互いの得意分野を持ち寄って商品開発を行うなど「さばのゆ」から生まれるユニークなコラボレーションは後を絶たない。
そういった「化学反応」が起こるのは「ここがリアルな場所だから」だと須田さんは言う。「リアルな場所でリアルに人と会うこと、それが何かを生み出すきっかけになるのだと思います」。
■リピーターが増えていく「カウンターカルチャー」
カウンター酒場のいいところは、互いの関係性がフラットでいられることだ。「同じ酒を飲む客同士は、肩書や知名度や財産、収入、出身、性別などと関係なく同じ価値の人間で、平等です」
「さばのゆ」のカウンターでは大御所の芸能人と役者志望の若者が席を並べて飲むこともあれば、大企業の会長が新米営業マンとの会話を楽しむこともある。訪れる客の大半はリピーターで、通いつづける人が多いのも特徴のひとつだ。
「台風の日も心配だからとお店に顔を出してくれるような、律儀なサポーター的なお客さんがとても多いんです。面白そうなイベントがあるから行ってみるかというだけじゃなくて、その後もずっと応援団として一緒に歩き続けてくれる」
はじめて落語を聞いてみたら面白かった。高座のたびに通い続けているうちに、ずいぶん詳しくなってきた。噺のテーマになっている歌舞伎や文楽、能などにも興味が出てきてそちらにも通ってみる。気の合うお客さん同士が誘い合って一緒に行き、やがて友人になり、人の輪が小さなあたたかいコミュニティになるようなことにも発展する。
「趣味の世界と人のつながりが、酒場のカウンターでリアルに人と出会うことでどんどん豊かになっていく。酒蔵でお酒が発酵しておいしくなるように、文化や人間関係もいい感じに発酵していく」。そのあと須田さんは「これもカウンターカルチャーです」とつけ加えて、クスッと笑った。
■ゆるやかな場だからこそ、ルールとマナーが欠かせない
定期的に開催されるさまざまなイベントのひとつに「バー(またはスナック)○○」という人気シリーズがある。いろいろな方が一夜限りのマスターまたはママになってカウンターに立つ。コの字型のカウンターを囲んでの会話はいつも、和やかに盛り上がる。
ゆるやかな雰囲気と時間を守るためのルールとして店内にはいくつかの禁止事項が掲げられている。「説教・マウント」「セクハラ・パワハラ」「SNSナンパ」「からみ酒」はどれも「出禁萬円(一発退場)」。他にも、大きな声を出したり他人の会話に割って入ったりするような行為はNGだ。
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年配の男性でウンチクなどを話しはじめたら止まらない人もいるが、誰か1人が話し過ぎることで同じ時間に「さばのゆ」にいる他のお客さんの時間を奪ってはいけないので「自分ばかり話すのではなく、ほかの人の話も聞きましょうね」と伝えるようにしている。時には怒り出す人もいるが、冷静に淡々と繰り返し伝えれば、もめごとになるようなことはないという。
「僕が最優先で大事にしたいのは、すでに店に来て和んでいるお客さんたちがのんびり平和に過ごせること。僕自身の感情は関係ないんです」。
■近所のお店に回遊する“お客サバ”
店にいる客の居心地を気遣い、徹底して優先する。「お客さんが自分たちは守られていると感じられることが大事です」。一方で店主である須田さんが常連さんに守られている面もあるという。「ミクロレベルの人体の免疫システムやアマゾンの生態系でも同じようなことが起こっているんじゃないでしょうか。共存共栄ですね」。
「さばのゆ」のイベントは、店のホームページでかなり先の予定まで発表されている。定期的に行われているものもあれば、お客さんとの出会いから突発的に生まれることもある。須田さんはイベント終了後に「さばのゆ」を出てお客さんと一緒に商店街の別の店に繰り出すことも多い。
「おかげさまで、さばのゆには良い“お客サバ”が集まる。だからイベント終了後はさばのゆで飲み食いするよりも、ご近所のお店に回遊して、お金を使って、その店の店主や常連客とふれあって、じわじわ経堂に馴染んでこの街の常連になってほしい。自分の店だけが大事という考え方の飲食店が一時は流行るが数年で消えていくのを見てきました。
店は、単体で存在しているのではなくて、経堂という街に支えられ、互いに支え合っているんです。そういう意味で人情味のある商店が成り立つ仕組みは里山の動植物の生態系に似ているかもしれない」。
*さばのゆの営業スケジュールはこちらから:https://sabanoyu.oyucafe.net/schedule
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さばのゆ店主
植草甚一に憧れて移り住んだ東京、世田谷区経堂で、イベント酒場「さばのゆ」を開業。周辺のコミュニティを巻き込んで、全国の地域・産業の活性化を行っているプロデューサー。コメディライターとしても長く活動。テレビ・ラジオ番組の企画・構成の他、広告制作などの仕事も多数。著書に『モンティ・パイソン大全』、絵本『きぼうのかんづめ』『蘇るサバ缶』などがある。
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ライター・放送作家
リクルートコスモス(現・コスモスイニシア)、ベンチャー企業の経営者をサポートするコンサルティング会社を経て、現在はビジネス書を中心にライターとして活躍。京都市出身。
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(ライター・放送作家 白鳥 美子)
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