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なぜ「マリンバ」のソロ演奏でも客が集まるのか

プレジデントオンライン / 2019年11月17日 11時15分

「音がまろやかで、倍音が豊かなマリンバに賭けてみることにしたのです」(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/wavipicture

※本稿は、フランソワ・デュボワ『作曲の科学 美しい音楽を生み出す「理論」と「法則」」』(講談社・ブルーバックス)の一部を再編集したものです。

■マリンバという楽器との出会い

マリンバは木製の鍵盤楽器で、マレットとよばれる専用のばちで叩いて演奏します。木琴の一種といえば、想像しやすいでしょうか。

マリンバとの出会いは、私が10代なかばのころでした。パリの国立コンセルヴァトワールで学びはじめる前に入学した地元・ヌヴェールの地方コンセルヴァトワールの打楽器科で、こなすべきレパートリー楽器の一つとして弾きはじめたのです。

打楽器奏者は一般的に、打楽器とよばれるものなら何でもこなせるように訓練されます。練習すべき楽器の数が膨大なので、一つの楽器の練習にかけられる時間は他の楽器奏者に比べて極端に少ないのが特徴です。

学生のあいだはとにかく大変ですが、いったんプロになってしまえば、さまざまな楽器が演奏できる便利な奏者として重宝されるメリットもあります。一方で、器用貧乏というのか、ソリストとして飛び抜けて素晴らしいと評価されるクラシック音楽の打楽器奏者は、残念ながらさほど多くは存在しないのが実情です。

クラシック音楽のコンサートをご覧になったことがある人はよくご存じのように、オーケストラの打楽器奏者はたいてい後部に広く陣取っています。ティンパニ、スネアドラム、バスドラム、銅鑼(どら)、マリンバ、ヴィブラフォン、コンガ、シンバル、トライアングル、チャイム、マラカス、タンバリン、ギロ……など、数多くの打楽器を、あたかも見本市のようにずらずらと並べています。

そのたくさんの楽器たちを、曲目や小節ごとに素早く弾き替えていくのです。こうしてあらためて描写してみると、オーケストラの打楽器奏者は、音楽家というよりも職人に近いかもしれません。

写真=iStock.com/Omar Barcena
オーケストラ後方の打楽器奏者席付近。太鼓系から木琴系まで、多様な楽器がずらりと並ぶ。(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Omar Barcena

■独特の倍音に魅せられて

私自身も、キャリアの初期はオーケストラの打楽器奏者を務めていました。当時、打楽器奏者として一つ大きなコンプレックスを感じていて、それは、打楽器の共鳴度合いがほかの楽器に比べて貧弱ということでした。

私がプロとして活動しはじめた1970年代後半から80年代は、たとえばマリンバによく似た「シロフォン」(木琴)なども、共鳴板の質が低く、音を響かせるためにファンがつけられているほどでした。そんなふうに人工的に音を拡散させていることが「小手先の技」に思えて、どうにも気に入らなかったのです。

そんなある日、シロフォンに比べて、はるかに音がまろやかで、倍音が豊かなマリンバに賭けてみることにしたのです。

倍音は、それこそ数学的な性質をもったもので、1636年に、メルセンヌ素数で有名なフランス人数学者、マラン・メルセンヌ(1588~1648)によって発見されました。前述のとおり、音の本質は空気の振動であり、音はそれぞれ高さを決定づける周波数をもっています。倍音は、この基音の周波数の整数倍の値の周波数をもつ音の成分で、倍音が豊かであるということは、その楽器の音色が豊かであることに直結するのです。

さて、その当時は、今ほどマリンバの演奏技術が発達していませんでしたし、「マリ……、何? マリ……ファナ?」とバカにされることがあるほど、本当に知名度の低い、日陰者の楽器だったのです。

私はコンセルヴァトワールをとっくに卒業していて、在学中はマリンバの基本的な演奏方法しか習っていませんでしたが、かえってこの楽器のもつ本来のポテンシャルが計り知れないもののように思えて、そしてそれを誰も知らずにいることに密かな興奮を覚えました。誰も聴いたことのない、誰にも真似のできない効果的な演奏方法があるはずだ。それを独学で編み出してみよう——そう考えたのです。それからは、孤独との闘いの日々でした。音楽練習室に毎日15時間こもって、ただひたすら、マリンバと向き合っていたのです。1986年から89年にかけてのことでした。

■「他の楽器とのデュオで演奏する」というアイデア

マリンバのより効果的な演奏方法を試行錯誤しながら探究していたある日、突然、マリンバソリストとして公共の場で演奏を披露することになってしまいました。それも、のちにフランスの文化大臣を務めることになるパリ議会議員のジャック・トゥーボンの前でコンサートをおこなうという大役でした。

写真=iStock.com/OlafSpeier
マリンバの木製の鍵盤と、金属製の共鳴管。倍音を含めて調律が施され、独特の豊かな音が出る。(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/OlafSpeier

当時はまだ、自分の演奏技術に納得できていなかった、道半ばのころです。不安の拭えなかった私は、世界で初めて、マリンバと他の楽器によるデュオで演奏するというアイデアを思いつきました。誰もが知っているソロ楽器と組むことで、注目をしてもらいやすくなるのと同時に、舞台度胸のあるソリストと合奏することでいやでも自分の演奏技術が引き上げられる。お互いの音を支えあうことで相乗効果を生み出せば、なんとか乗り越えられるかもしれない――まあ、苦肉の策ですね。

そこで選んだのが、バイオリンでした。じつは、そのころ付き合っていたガールフレンドがバイオリニストで、彼女とできるだけ長い時間を一緒に過ごせるようにという魂胆もあったのです。長く付き合いが続くといいなという願望もあったのですが、残念ながらコンサートの後しばらくしてフラれてしまいました……。

それはともかく、これを契機に、その後も一流のソリストたちとデュオを組めるようになったのですから、なんともふしぎな展開です。

肝腎の初舞台は大成功を収めることができ、舞台の袖で見ていた著名な作曲家から大絶賛されるというおまけ付きでした。「これは新鮮だ! ぜひ、マリンバとバイオリンのための曲を書かせてくれ!」といって書いてくれたのが、「Barbarie」という曲です。後日、この作品を演奏したテープをコンクールに応募したところ、見事、フランス財団の賞を獲得することができました。人生はほんとうに、ふしぎな伏線に満ちています。

■ピアノやバイオリンとの決定的な違い

ここで一つ、一般の人にはあまり知られていない“演奏家の裏事情”について、ご紹介したいと思います。ピアノやバイオリン、ギターなどのソロ楽器がなぜ、代表的な楽器としてその地位を確立し、これほどまでに有名になったのか、その理由をご存じですか?

まず第一に、有名な作曲家による楽曲がたくさん提供されているから、という要因があります。たとえば、ショパンやモーツァルト、ドビュッシーやベートーヴェンのような大御所作曲家たち(存命当時はそこまで有名でなくても、没後に名声を得た例も含みます)による、「バイオリンのための~」「ピアノのための~」といった曲が数多く書かれたことで、それらを弾きこなせる奏者も続々と現れる、という好循環が起こります。

写真=iStock.com/Furtseff
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Furtseff

そうなると、曲と演奏者のあいだに、ある種の相互援助の関係が成立しはじめます。たとえば、演奏者個人を知らなくても、「ドビュッシーを聴きたいね」「ベートーヴェンのコンサートか。じゃあ、行こうかな」というふうに、曲目から興味をもつ聴衆が現れ、彼らがデビューしたての若手ソリストを初めて認知したり、あるいはベテランのソリストのすごさにあらためて感動したり、といったことが生じるのです。

もちろん、その逆もまたしかりで、「あのベテランソリストの解釈したラフマニノフは迫力があったな」などなど、そもそも有名な曲は、さらに不動の地位を獲得してゆくのです。

■どうやってマリンバをメジャーにするか

では、そういう構造が存在するなかで、いまだソロ楽器としての地位がまったく確立されていない楽器、たとえばマリンバのような楽器は、いったい何を演奏すればいいのでしょうか?

一つには、ピアノやバイオリンなど、他の楽器向けに書かれた有名なソロ曲を、マリンバ用に編曲する、という方法があります。私自身、編曲者としてたくさんの曲を書き直して、ステージで演奏してきました。

もう一つの方法は、まったく新しい曲を書いて演奏する、というものです。現在でも状況はあまり変わらないのですが、マリンバ向けに存在するごく少数のレパートリーはマリンバ奏者自身が書いたものばかりで、率直にいって曲として今ひとつのものばかりでした。

私は、機会を見つけては、一流のソリストたちと次々にデュオを組んで演奏をするという道を選択しました。第三の道を選んだわけです。

チャイコフスキーコンクールで入賞した一流の女性バイオリニストや、当時のフランスで最も注目されていた若手チェリスト、あるいはリストの直系の孫弟子にあたるピアニストなど、そうそうたるメンバーと次から次へとデュオを組み、マリンバと共演してもらいました。

■一流のソリストとの共演が成長につながった

マリンバをメジャーな楽器にすることが主眼ではありましたが、これらの経験は音楽家としての私個人にとっても、じつにメリットの多いものでした。彼らと演奏するたびに、私自身の演奏技術が上がっていくことを実感できるのです。

一流のソリストは、幼いころからソリストとして独り立ちするべく、オーケストラの団員を目指すような一般の音楽家とはまったく違った、特殊な音楽教育を受けています。ステージ上での立ち居ふるまいや曲の解釈の仕方など、徹底的な英才教育を受けている彼らは、一般の演奏家とは何から何まで異なるのです。

私自身も、ソリストになる特訓などは受けずにコンセルヴァトワールを卒業していますので、当初は無難な演奏しかできず、正直パッとしない演奏家でした。一流のソリストたちと密にやりとりしながら演奏を続けていくことで、自分でも驚くほど短期間に、急成長をとげることができたのです。

たとえば、一流のソリストのフレージング(旋律の区切りのつけ方で、楽曲の表情やニュアンスが豊かになる方法)や音楽全体の方向性のつけ方などをたくさん身につけ、ぐんぐんと腕が上がっていきました。音楽観も豊かになり、やがて自他ともに認める、本物のマリンバソリストに成長していったのです。

腕が上がると、こんどはクラシックだけでなく、ジャズやコンテンポラリーなど、さまざまなジャンルからも声がかかるようになります。こうして、私のレパートリーと演奏家としての技量は一気に広がっていったのでした。

当時デュオを組んでくれた仲間たちには、今でも感謝しきりです。

■新世代のマリンバ奏者への期待

当時の自分を振り返りながら少し残念に感じるのは、マリンバのソロ演奏がごく当たり前のものになった現在でも、若い世代のマリンバ奏者で「この人は素晴らしい!」と手放しで感動できる人になかなか出会えないことです。

フランソワ・デュボワ『作曲の科学 美しい音楽を生み出す「理論」と「法則」』(講談社・ブルーバックス)

楽曲がもつ真の意図を汲み取り、それを再現するための音の引き出し方を研究し尽くさなければ、中途半端なレベルの演奏にとどまってしまいます。ソリストとしても十分に通用するような、その人ならではの個性をもった音楽家を目指さないと上達は見込めません。

マリンバの楽器としての地位をピアノやバイオリンに近づけていくためには、この楽器に携わる個々の演奏者それぞれが、楽曲に対する独自の解釈を確立しうるくらいのレベルにいたるまで自らの演奏を突き詰めてもらいたいと考えています。

ピアノやバイオリンのソリストたちは連綿と、そして今もなお、その努力を継続しているのですから。そして、そのような技術、演奏観を身につけるには、とにかく繰り返し繰り返し、しつこく曲を弾きこなしていくしかありません。私を驚かせるようなマリンバ奏者が登場することを、楽しみに待ちたいと思います。

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フランソワ・デュボワ 作曲家、マリンバソリスト、作家、インスティテュート・ディレクター
1962年、フランス生まれ。94年にレジオン・ヴィオレット金章音楽部門を史上最年少で受章するなど、世界的なマリンバソリスト、作曲家として活躍中。楽器史上初の完全教本『4本マレットのマリンバ』(全3巻/IMD出版)を刊行するなど、卓越した表現力で、作曲、執筆などを通じてマリンバソリストの地位を向上することに大きく貢献。慶應義塾大学で作曲法を指導しはじめたことをきっかけに在日21年目。

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(作曲家、マリンバソリスト、作家、インスティテュート・ディレクター フランソワ・デュボワ)

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