家康が長男を"殺した"男を最高幹部に抜擢理由
プレジデントオンライン / 2019年11月23日 15時15分
■嫉妬は人の心を餌食にする
関ヶ原の戦いで西軍の首脳の1人となる大谷吉継は、盟友の石田三成にこんなことを言っています。
「惣じて其許(あなた)は、諸人へ対し申されての時宜(タイミング)、作法、共に殊の外、へいくわいに候」
この「へいくわい」とは横着の意味です。三成は秀吉の家臣では飛び抜けて有能な人物ですが、人にもの申すときの配慮に欠けている、それはよろしくない、と吉継は三成に苦言を呈しているのです。
歴史上、社会背景やものの見方、考え方は時代により異なります。しかし、喜怒哀楽といった人が本来持つ感情と、それによって引き起こされる行動は、いつの時代もそう異なるものではありません。歴史上の人物の心のありようを追っていくと、そこに現代のわれわれが学びとれる事柄が見えてきます。
例えば三成が関ヶ原で徳川家康率いる東軍に敗れたのは、彼に人望がなかったからだとよく言われます。しかし、それが事実であっても、その事実のみから学べるものは、さほどありません。なぜ彼は人望を欠いたのか。それを追究することが、歴史に学ぶうえではとても大切なのです。
人の心に分け入って、歴史上のできごとを解釈しようとする学問が歴史心理学ですが、その手法でアプローチしていくと、あるひとつの感情が歴史の転換点で、大きな作用をおよぼしていることがわかります。それが嫉妬です。
三成の場合は嫉妬によって、というより嫉妬されることに対して無防備だったことが、その命運を決定づけました。自分が豊臣家の家臣の中で一番有能であることを自覚していた三成は、有能な人間が妬まれるのは仕方がないことだ、と思っていました。生真面目で誠実な人に多いとらえ方です。
一方、嫉妬する側の心情はどのようなものでしょうか。例えば、自分と同格だと思っている人が、何らかの功績で出世すると「あいつはいいな」という羨望が生まれます。それだけならいいのですが、次第に「オレも頑張っているのに」と思うようになる。それが嫉妬の芽生えです。
嫉妬心は誰にでもある感情ですし、それが競争心に切り替われば、ポジティブなエネルギーにもなります。しかし、厄介なことに、嫉妬心は知らぬうちに増幅されやすいのです。
文豪シェイクスピアは、『オセロ』のなかで「嫉妬は緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にしてもてあそぶ」と記しています。「同じように頑張っているのに、なぜ自分は評価されないのか」という思いが募ると、得てして人はそのはけ口を他者へ向けます。その鬱憤晴らしは攻撃性を帯び、その理由を自分勝手な理屈で正当化しようともします。そこが“怪物”の怖さです。
■コミュニケーションスキルに問題があった
嫉妬から生じた攻撃性が、立場の弱い者に向けられればパワハラやセクハラ、恋愛感情が絡めばストーカー行為といった形で表に出ます。逆に、嫉妬の対象に向けられれば、造反や追い落としなどになるでしょう。
三成の身に起こったのは、まさに後者でした。家康との対戦において三成は、福島正則や黒田長政ら豊臣方の武断派を頼りにしていました。彼らがいれば勝てると踏んでいたのです。ところが、かねてより三成を妬み、「小賢しい」と鬱憤をため込んでいた福島や黒田らは、徳川方についてしまいます。
さらに三成は、関ヶ原で小早川秀秋の陣中に自ら3度も足を運び、徳川勢への切り込みを頼み込んでいます。自分がこれだけ誠実に仕事をしているのだから、誠意さえ示せば小早川はわかってくれる、従ってくれると確信していたのです。
確かに、三成に嘘はないのです。命がけで豊臣家のことを考え、それだけの能力もあります。九州征伐や朝鮮出兵のときのように、大量の兵を動かし、かつ連れて戻ってくることがどれだけすごいことか。あれだけの企画力を持った人が、豊臣家で他にどれほどいたのか疑問です。
ですが、その小早川の寝返りで、西軍は総崩れとなりました。恐らく、三成は負けた理由がわからなかったと思います。それほどまでに人の気持ちが読めず、吉継の苦言通りコミュニケーションスキルに問題があった人物なのです。
■長男を殺した男を最高幹部に抜擢
そんな三成とは正反対といえるのが、ほかならぬ家康です。自分自身が誠実でないという自覚を持っていた家康は、常に「人間は誠実ではない、裏切るもの」と考えていました。
世界史上では信長・秀吉タイプの英雄は数多いですが、家康は最も世界に通用しない英雄と言っていいでしょう。たぬきおやじで、陰謀くさくて、田舎者で……。
しかし、家康本人は「自分は信長・秀吉にはなれない」ことが、よくわかっている。ならば、と家康は周囲をよーく見ているんですね、優れた人のいいところを。そして、それをことごとく真似する。特に、若い頃に三方ヶ原の合戦で惨敗した相手である武田信玄を徹底して真似します。歩き方、座り方、物の持ち方。滅亡した武田の家臣を幾人も引き取って、ヒアリングまでしています。すべては生き残るためなのです。
そんな家康ですが、普通ではありえないことも数多くやっています。
例えば、自分の長男・信康を切腹に追いやった張本人である酒井忠次を、最高幹部である四天王の1人に抜擢しました。自分の長男を殺した張本人を、ですよ。
その忠次が引退する際、家康に挨拶をしにきたのですが、そのときに言った言葉が何と、「これからは、私の長男を同様によろしくお願い致します」。
それに対する家康の返事が、今も残っています。「おまえでも、長男が可愛いか」。家康はこのとき、どんな顔をしていたのでしょうか。歴史には想像力が必要ですが、嫌みや皮肉ではなく、満面に笑みを浮かべてそれが言えたと私は考えています。それが家康の凄さなのですよ。
家康ほど、さしたる能力のない天下人もいなかった、と私は思っています。にもかかわらず、生き残りました。家を守るためなら長男も見殺しにしたし、その殺した張本人を最高幹部にもした。何というか、絶望の中における寛容さとでもいうのでしょうか。自分が生き残るには、忠次のような優れた人を使うしかないと考え、その実行を躊躇わなかった。プライドがあれば、それが邪魔しますが、それすら捨てています。
そんな家康ですから、当時の人は、あの人律儀だけどあほだし、かわいそうだなーぐらいにどこかで思っていた。現代の日本人なら、徳川265年の歴史の端緒となった人として尊敬もしますが、同時代の人からは嫉妬すらされない。ずっとそういう人を演じ切ったのですね。家康は誰にもなれない、日本史上の稀有な英雄だと思います。
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歴史家・作家
1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業。奈良大学文学部研究員を経て、大学・企業の講師を務めながら著作活動を行う。著書に『幕末維新 まさかの深層―明治維新一五〇年は日本を救ったのか』(さくら舎)、『日本史に学ぶ一流の気くばり』〔クロスメディア・パブリッシング(インプレス)〕など。テレビ・ラジオ等の番組監修も多数。
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(歴史家・作家 加来 耕三 構成=高橋盛男)
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