上司は100点部下を喜び、200点部下を恐れる
プレジデントオンライン / 2019年11月24日 15時15分
■手柄はかえって我が身を危うくする
他人からの嫉妬は、古今東西の貧富貴賎、老若男女にとっても逃れられない人間の感情です。それを敏感に察知して上手にかわすことなしには、成功を収めるどころか、命の危険にまで晒される代物です。
歴史に名を遺した人物たちは、周囲に渦巻く嫉妬とどう向き合ったのでしょうか。その事例を見ていきましょう。
中国の後漢王朝末期から三国時代、魏の曹操に仕えた賈(か)詡(く)という軍師がいます。地味ながら漢の高祖(劉邦)の側近・張良にも比肩するといわれた名参謀です。この時代の綺羅星の如き俊才のほとんどが、途中で不幸な死に至り、天寿をまっとうできていない中で、賈詡は77歳までしたたかに生き残り、最後は戦死や謀殺ではなく病によって大往生を遂げています。
しかし、賈詡の人生には常に嫉妬が付いて回りました。実は賈詡は曹操に仕える前に董(とう)卓(たく)、李(り)傕(かく)、段(だん)煨(わい)、張(ちょう)繍(しゅう)と多くの主君の下に在籍しています。
なぜなら、賈詡のあまりの才能に主君たちが嫉妬し、恐れ戦いたからです。賈詡は、才能を遺憾なく発揮して李傕に助言をするのですが、あろうことか嫉妬されて謀反の疑いをかけられます。命の危険を感じた賈詡は、今度は段ワイに仕えますが、やはり恐れられてしまう。軍師がよかれと主君に尽力しているだけなのに、優秀すぎて「いつか自分の地位を奪うのでは」と怖がられてしまう。上司は100点を取る部下は喜びますが、200点も取ってしまう部下は怖くて仕方がないんです。賈詡は、次第に「才能は小出しにしなければならない」ことを学んでいきます。
やがてその才能を見込んだ魏の曹操が、賈詡を参謀として迎え入れます。しかし、賈詡は張繍の参謀だったころ、曹操の身内を討ち取っており、生え抜きの将軍から訝られます。
肩身は狭く、嫉妬を受ける中、手柄を立てることはかえって我が身を危うくすることを、それまでの失敗を通して学んだ彼は、密会や根回しの場にも顔を出さず、娘を政略結婚の道具にしないなど、恨みや妬みを買わぬ振る舞いを徹底します。御前会議でも、積極的に意見具申することもなく、曹操から求められてようやく「恐れながら」と細心の注意を払いながら自分の考えを述べる。そうやって周囲の嫉妬や恐れを回避しながら、賈詡は20年近く曹操に仕えることができたのです。
曹操は晩年、跡継ぎを嫡男の曹(そう)丕(ひ)にするべきか、三男の曹(そう)植(しょく)にするべきか頭を悩ませます。家臣たちが曹丕派と曹植派に分かれる中、賈詡はどちらにも与せず、中道を貫きます。考えあぐねた曹操が賈詡に「そなたはどう思う」と意見を求めてもなお、賈詡は「考え事をしておりました」と答えをはぐらかします。
曹操が「何を考えていた」と問い詰めるとようやく「袁(えん)紹(しょう)のことを考えておりました」とつぶやきました。袁紹は曹操とともに後漢を倒した武将の1人ですが、嫡男を廃したことで一族を滅ぼした人物。賈詡は直接口には出さず、暗に「嫡男の曹丕にすべき」と伝えたのです。曹操は賈詡の言に大笑い。初代皇帝となった曹丕は、賈詡を大尉に任命して報いています。
■嫉妬をぶっちぎってのし上がっていく人
いつの時代も才能ある人は意外にいるものですが、大方は嫉妬に阻まれ、ほとんどが埋もれて消えていきます。ところが、それをぶっちぎってのし上がっていく人がたまにいます。
ナポレオンがそう。イタリア半島の西に位置するコルシカ島(現フランス領)生まれで、父親が「こんな片田舎では出世できない」からと留学させたフランスの軍人学校で、いきなり才能を発揮しますが、よそ者であることと相まって徹底的にいじめられます。
そのうえ、当時のフランスの軍隊の上層部は皆フランス人貴族。それが上の階級に上がる条件でしたから、才能があろうがなかろうが、出世は諦めるしかありません。
鬱々として自殺も考えていたところに、勃発したのがフランス革命でした。
貴族が一挙に亡命し、国内にまともな将軍がいなくなってしまいます。これが千載一遇のチャンスとなりました。南フランスの港湾都市トゥーロンで起こった反乱が数カ月たっても収まらなかったのですが、困った国民公会に白羽の矢を立てられたナポレオンはあっという間に制圧してしまうのです。
ところが、これが裏目に出て、上司筋から嫉妬を買う羽目に。再び不遇をかこつ身となってしまいます。
■嫉妬をぶっちぎったかに見えたが……
そして今度はパリで反乱が勃発。たかが2万前後の反乱軍なのですが、無能な総裁政府は鎮圧できない。ところが、総司令官ポール・バラスに拝み倒されたナポレオンが指揮を執るや、たった2時間でこれを鎮圧。26歳で一躍パリ市民の人気を得ます。
ところが、自分の無能ぶりを暴露された恰好のバラスが彼に与えたのは、褒美ではなく嫌がらせでした。「こいつを何とか自分の目の届くところに囲っておこう」と考え、愛人の1人で、トウが立って処遇に困っていたジョゼフィーヌと結婚させ、しかも結婚2日目のナポレオンにイタリア行きの辞令を出し、当時イタリアを支配していたオーストリア帝国軍と戦わせます。バラスが与えたのは老兵部隊。士気が低く軍服も軍靴もボロボロ、馬も駄馬ばかり。バラスの嫌がらせです。
ところがナポレオンは、「正規軍なら勝つに決まっている。この軍隊で戦って勝つことに、俺の価値がある」と発奮し、連戦連勝。名声を不動のものとします。
ナポレオンが一代で欧州を制覇できた主因は、フランス革命の精神「自由・平等・博愛」を掲げ、行く先々で「解放軍」として振る舞ったことです。才能の誇示は嫉妬されるが、一歩引いて「皆のため」という大義名分を掲げれば、逆に協力を得られる。これを実行したことが彼の凄いところでした。当時王制に辟易していた他国の国民も拍手喝采、ナポレオン軍を迎え撃つどころか、進んで受け入れたのです。
ところが、ナポレオンは皇帝に即位しました。欧州の諸国民は「え? 俺たちのためじゃなくて、自分が偉くなるための戦いだったの?」と失望。欧州中に嫉妬を再発させたことが没落の端緒でした。楽聖ベートーベンが激怒して、自作の交響曲『ボナパルト』の楽譜のタイトルをペンでかき消し、「英雄」に変更したのは有名な話です。
ナポレオンは嫉妬をぶっちぎって頂点に立ったかに見えましたが、詰めを誤り、最後は流刑地で非業の死を遂げた。一方、賈詡は消極的ながら謙虚な振る舞いで天寿をまっとうした。同じ才能の持ち主でも、他人からの嫉妬との向き合い方次第で、これだけ運命が変わるんですね。
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河合塾世界史講師
世界史ドットコム主宰。1965年、名古屋市生まれ。立命館大学文学部史学科卒業後、現職。『最強の教訓!世界史』『粛清で読み解く世界史』『世界史劇場』シリーズほか著書多数。
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(河合塾世界史講師 神野 正史 構成=篠原克周)
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