名門東芝を破滅させたトップ間の嫉妬無限地獄
プレジデントオンライン / 2019年12月14日 9時15分
■30分間、部下の悪口を言い続けた
2006年、東芝は米原子力大手・ウエスチングハウス(WH)を当時のレートで約6600億円という巨額で買収したが、16年末、そのWHの7000億円超の簿外損失が判明した。東芝は多くの部門を売却、1990年代は約7万人いた東芝単体の従業員は、19年6月時点で3000人弱。日本を代表する巨大メーカーの経営陣はこの間、何をしていたのか。
17年3月、私は当時すでに東芝の相談役を辞任していた西田厚聰(故人)の自宅を訪ねてインタビューを試みた。西田は外に顔を出そうとはしなかったが、インターホン越しに取材に応じた。
インターホンは2、3分で切れてしまうので、その都度、ボタンを押し直さねばならない。最初は私が押し直していたが、途中から西田のほうでボタンを押し直すようになった。「出てくればいいのに」とも思ったが、結局そのまま30分近くインタビューを続けた。
私が聞きたかったのは06年、西田が社長在任中に東芝がWHを買収した経緯だった。しかし西田がしゃべり続けたのは、自分の後任・佐々木則夫の出来の悪さについてだった。
「佐々木は原子力の専門家と言っているが、本当のところは配管屋なんだ。あいつが全然、私の言うことを聞かないから、こんなことになった」
西田は東芝の中でパソコン部門の出身で、佐々木は原子力部門の出身である。ただ原子力の中核技術とされるのは原子炉本体やタービンだが、佐々木のもともとの担当は原子力発電所の構造設計。つまり「本人は専門家と称しているが、実はそうじゃない。その佐々木の能力不足でWHは経営がうまくいかなかった」と言いたかったようだ。
実際は、WH買収当時の佐々木は担当役員にすぎなかった。最終判断を下したのは社長の西田であり、三菱重工を抑えての買収成就を高く評価して、佐々木を自分の後任社長に据えたのも西田だ。それなのになぜ、延々30分も罵倒し続けるのか。
話は西田の2代前、96年に東芝社長に就任した西室泰三(故人)の時代に遡る。東芝社内での西室の呼び名は「嫉妬の人」。優秀な部下に仕事を任せ、功績を上げさせるが、その手柄を自分のものにした揚げ句、嫉妬のあまりその部下を次の人事で飛ばすというのだ。
00年に会長に就任すると、自分と財界人2人からなる「指名委員会」を設置し、人事権を社長から取り上げた。当時、社長だった岡村正は「お飾り」に。恐るべき権力への執着である。
その西室が何よりも執着していたのが、経済団体連合会(当時、02年より日本経済団体連合会)会長の地位であった。東芝は世上「2人の経団連会長を輩出した名門」とされている。が、石坂泰三は第一生命保険(現・第一生命HD)から、土光敏夫は石川島播磨重工業からと、ともに“外様”経営者。東芝プロパーの経営者を経団連会長にすることは、東芝にとっての悲願なのだ。
だが経団連会長の座は02年以降、トヨタ自動車会長の奥田碩、キヤノン会長の御手洗冨士夫と続き、西室は経団連会長の座を諦めざるをえなかった。
■記者会見の場で会長、副会長がいがみ合う
西室が岡村の次の社長に選んだのが、パソコン事業出身の西田である。
当時、経済産業省が「原発の海外輸出」の旗を振り始めていた。西田はその国策に迎合し、原子力部門出身の佐々木を起用してWHの買収を試みた。佐々木は奮闘し、買収を成功させる。西田はその功績を買って09年に社長を佐々木に譲り、自らは会長に就任。英語が巧みで弁が立つ西田は当時、次の経団連会長の最有力候補とされていた。
だが障害が1つあった。このとき、日本商工会議所会頭が前任社長の岡村で、「経済3団体のトップのうち2人が同じ企業出身というのはいかがなものか」という声が上がった。
■そんな男のために、誰が身を引くか
西田は岡村が自ら会頭を辞任することを期待したが、岡村にその気はなかった。岡村からすれば、自分から西室が取り上げた次期社長の任命権で選ばれたのが西田である。「そんな男のために、誰が身を引くか」という気持ちだっただろう。西田は西室に岡村説得を期待したが、西田が自分を差し置いて経団連会長になることに、「嫉妬の人」が喜ぶはずもない。結局、西田は外され、御手洗の次の経団連会長には住友化学会長の米倉弘昌が就任した。
次は、佐々木が社長在任中の13年に経済財政諮問会議の議員となり、経団連の副会長にも選ばれ、次期経団連会長候補と目されるようになる。
面白くないのは西田である。自分が選んだ後任が、自分を差し置いて経団連会長になろうというのだから。WHの経営がうまくいかなくなると、西田は手のひらを返して、佐々木を「単なる原子力バカ」とくさすようになった。
こうなると佐々木も面白くない。もともと部下を怒鳴りつける声で会議室の窓ガラスが震えたというパワハラ体質である。鬱憤晴らしに西田の子飼いの役員を怒鳴りつけ、その役員は会長室の西田に言いつけに行く。会長と社長の関係はたちまち険悪になった。
佐々木は経団連副会長となった13年6月、東芝社長を退任して副会長となった。後任社長は資材部出身の田中久雄である。ところが田中新社長就任の記者会見の場で、会長の西田は「東芝をもう1度、成長軌道に乗せてほしい」と、佐々木の経営が失敗であったかのような言い回し。佐々木は顔色を変え、「業績を回復し、成長軌道に乗せる私の役割は果たした」と、西田の経営が失敗であったかのように反論。会見後の個別取材でも、いがみ合いは続いた。
東芝経営陣の内紛はこうして世に知れ渡り、西田も佐々木も経団連会長候補から外れた。それでも佐々木は次のチャンスがあるかと思われたが、15年1月、決定的な出来事が起きる。証券取引等監視委員会(SEC)への相次ぐ内部告発である。1件目は佐々木の出身である社会インフラ事業部門で、2件目は西田の古巣であるパソコン・テレビ事業でそれぞれ利益の水増しがあったというもの。佐々木を狙って西田側が告発し、佐々木側が西田を刺し返した――としか思えない。
この2つの内部告発によって、それまで隠されていた東芝の粉飾決算が公になる。結果、西田も佐々木もその年のうちにすべての公職と東芝の役職を辞任せざるをえなくなった。西田は17年、失意のうちに心筋梗塞で死去した。
西田、佐々木ら経営陣は地位をめぐって互いに嫉妬し、足を引っ張り合って東芝を破綻に向かわせ、自らも破滅への道を突き進んだのだ。
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ジャーナリスト
1965年生まれ。愛知県出身。88年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。98年欧州総局、編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年独立。著書に『東芝 原子力敗戦』ほか。
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(ジャーナリスト 大西 康之 構成=久保田正志)
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