「神社で柏手を打ってはいけない」納得の理由
プレジデントオンライン / 2019年12月16日 9時15分
※本稿は、島田裕巳『神社で拍手を打つな!』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■若い頃、「二礼二拍手一礼」はなかった
神社に参拝に行く人たちは少なくない。正月の初詣となると、毎年必ず特定の神社に参拝することをしきたりとしている人もいる。神社に赴いたときには、拝殿の前まで進み、そこで参拝を行う。
今、多くの人たちは、そのとき、「二礼二拍手一礼」という作法に則(のっと)って、参拝している。二回礼をしてから、柏手(かしわで)を二度打ち、最後に一礼する。その前に軽くお辞儀をし、引き下がるときにも同じようにすることもある。
神社のなかには、賽銭(さいせん)箱のあるあたりに、このやり方について絵入りで解説しているようなところもある。これが神社に参拝するときの、正式なやり方である。今では、大半の人たちがそう考えている。ところが、その一方で、この参拝の仕方はどうも馴染(なじ)めない。そう感じている人たちもいるはずだ。
少し年齢が上の世代になれば、自分が若い頃は、そんな参拝の仕方はしていなかったと、昔を思い出している人たちもいるのではないだろうか。実際、二礼二拍手一礼という参拝の作法が広まったのは、それほど昔からのことではない。いつから広まったのかについては、はっきりしたことは分からないが、浸透したのは平成の時代になってからで、昭和の時代には、まだそれほど広まってはいなかったのではないだろうか。
■昔は「合掌」して参拝していた
では、二礼二拍手一礼ではないとしたら、以前どのような参拝の作法が行われていたのだろうか。
基本的には、両掌を顔や胸の前で合わせて拝む「合掌」である。今でも、二礼二拍手一礼ではなく合掌して参拝するという人もいる。あるいは、二礼二拍手の後に、合掌する人たちもいる。二礼二拍手一礼だと、手順が定まっていて、それに従っていると、それだけで終わってしまう。神に祈るというとき、こころのなかで祈る間が、この作法には含まれていない。二礼二拍手一礼では物足らない。そうした感覚を抱く人は多いだろう。
昔の人たちがどのように参拝したのか。こうしたことはなかなか記録に残っていないので、確かめることが難しい。それでも一つ例をあげるとすれば、戦時中に作られた映画にそれを見ることができる。その映画とは、世界的に評価が高い黒澤明監督が、1943年、つまりは戦時中に撮影したデビュー作、『姿三四郎』である。
『姿三四郎』は、富田常雄の長編小説『姿三四郎』を原作としている。主人公の姿三四郎は、恐ろしく強い柔道家という設定になっていて、モデルは実在した柔道家、西郷四郎だった。
■こころを込めた祈りの姿は美しい
西郷は、嘉納治五郎(かのうじごろう)が創設した講道館の四天王の一人である。映画のなかで、嘉納治五郎は矢野正五郎として登場し、精神的に未熟な三四郎を鍛え上げていく。三四郎は、村井半助という、他の流派の年配の柔道家と対戦することになる。
ところが、その試合を前に近くの神社を通りかかったとき、半助の娘が、神社の拝殿の前で一心に祈りを捧げている姿を目撃する。このことが、三四郎のこころを乱すことにつながるのだが、轟(とどろき)夕起子演じる娘は、着物姿で、下駄を履き、からだをその上に沈め、目をつぶりながら手を合わせ、懸命に祈っていた。
物語の舞台は明治時代に設定されているが、明治から映画が撮影された昭和の初期まで、神社に参拝するときには、合掌したことがそこからうかがえる。より丁寧に祈ろうとすれば、自然と腰をかがめることになったはずだ。
映画を見ていただければ、たちどころに理解されると思うが、この娘の祈りの姿は美しい。美しいのは、所作を意識してのことではなく、祈りにこころを込めたからだ。なんとか父親に勝って欲しい。その強い思いが、娘の祈る姿に表れている。
■かつて、神社と寺は密接な関係を持っていた
合掌が、神社で祈るときの基本的な作法だったということについては、はっきりとした理由がある。その理由について見ていく際に、忘れてはならないのは、明治時代以前、つまりは、日本が近代社会に入る前には、日本人の宗教世界において「神仏習合」が基本的なあり方だったということである。
明治に入る際、明治政府のなかには、神道を国家の基本に据えようとする国学者や神道家が含まれていた。彼らは、外来の宗教である仏教を嫌い、神道を仏教の影響下から引き離そうとした。具体的には、明治元年に太政官(だじょうかん)布告という形で、「神仏判然令」が出された。神仏判然令はいくつかの布告からなるもので、これによって「神仏分離」が推し進められた。
神仏分離とは、神道と仏教、神社と寺院を引き離す試みである。これによって、神社に奉仕していた僧侶は還俗(げんぞく)しなければならなくなり、仏像を神体とすることも禁じられた。その結果、神社の境内にあった仏教の寺院は破壊された。神仏分離は、仏教を排斥する「廃仏毀釈」に発展したのである。
ちなみに中国では、歴史上幾度となく廃仏が行われた。朝鮮半島でも、儒教を重視する李氏朝鮮の時代には、仏教は圧迫された。
日本では、仏教が伝えられてから、大々的に廃仏が行われたことはなかったが、明治に入る際の神仏分離は、日本における宗教のあり方を大きく変えたのである。
近代以前の神仏習合の時代には、神道と仏教、神社と寺院とは密接な関係を持っていた。
■本来は「玉串を捧げる」ときにするもの
社前での参拝の際に、二礼二拍手一礼を行うという作法が、いったいいつから奨励されるようになったのか、それは分からない。ただ、私が大人になるまで、そうした作法は広まっていなかったように思われる。
現在では、多くの神社で、二礼二拍手一礼を奨励する掲示がなされ、参拝者もそれに従っている。とくに、若い人たちは、率先してそれに従っている。彼らが神社に参拝するようになった時点では、すでに多くの神社でそうした掲示がなされていたのだろう。
だが、私を含め、年齢が上の人間になると、二礼二拍手一礼にはどこか違和感があり、このしきたりに従わないということも多いのではないだろうか。
なぜ違和感を持つのだろうか。それは、二礼二拍手一礼が、もともと神職の作法であり、しかも、それを行う前に玉串を捧げる行為が実践されるべきものだからである。本来、二礼二拍手一礼は、単独で行うものではない。玉串奉奠(ほうてん)に伴う作法なのである。
■賽銭を投げても「神と向き合う」気持ちにはなれない
一般の人間でも、神社で「正式参拝」を行うときには、玉串を捧げる。榊(さかき)を神前に供えるのだ。二礼二拍手一礼は、その後に行われる。これが示しているように、玉串を捧げることと二礼二拍手一礼はセットになっている。実際、これをやってみると、作法に流れがあり、違和感を持つことはなくなる。
ただ、社殿の前で参拝をするというときには、いきなり二礼二拍手一礼を行う形になる。その前に、賽銭箱に賽銭を投げ入れるという行為があり、それが玉串を捧げることの代わりと言えなくもないが、玉串と賽銭では意味が違う。玉串を捧げるときには、供える前に祈念する。この行為があることで、神に相対しているという感覚が生まれる。それが、賽銭を投げ入れるという行為には欠けているのだ。
社殿の前で、ただ二礼二拍手一礼をするというときには、祈念するという部分がない。そのため、参拝者のなかには、二拍手をした後にそのまま合掌し、祈念する人たちがいる。そうしないと祈念しないまま参拝が終わってしまうからだ。祈念する箇所を含まない二礼二拍手一礼は、神社に参拝する作法として果たして好ましいものなのだろうか。私は、そこに強い疑問を感じる。
■神社本庁が権威を示したいのではないか
二礼二拍手一礼の作法を推奨している神社、あるいは神社本庁の側は、その作法に祈念する行為が欠けていることについて、十分に検討してきたのだろうか。ただ、正しい作法というものを指導することによって、自分たちの権威を示そうとしてきただけなのではないだろうか。
東京都神社庁のホームページで、わざわざ「お参りする際の作法には厳格なきまりはありません」と述べられているのも、実は、神社庁の方針に対して密(ひそ)かに抵抗しているからではないだろうか。昔から神社にかかわってきた人間なら、たとえ神職でも、祈念が欠けている作法に釈然としないものを感じるはずだ。そもそも、神社に参拝するということは、それほど堅苦しいことなのだろうか。もっと自由でいいのではないだろうか。
若い人も、二礼二拍手一礼にこだわるのではなく、社前で合掌するというやり方をとってみたらどうだろうか。思いを込めるには、その方がずっと好ましいはずだ。
二礼二拍手一礼では、どうしてもこころを込めて神と相対することにはならない。神社で拍手を打ってはならないのだ。
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宗教学者
1953年東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。自身の評論活動から一時「オウムシンパ」との批判を受け、以後、オウム事件の解明に取り組んできた。2001年に『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』を刊行し話題に。『戒名』『個室』『創価学会』『神社崩壊』『0葬』など著書多数。
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(宗教学者 島田 裕巳)
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