なぜ「かぼちゃアート」に8億の価値があるのか
プレジデントオンライン / 2019年12月5日 15時15分
※本稿は、秋元雄史『アート思考』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■知られざるアートの価格の決まり方
現存するアーティストの作品にこれほどの値がつけられるアートの価格は、一体どのようにして決まるのでしょうか。それは資本主義における市場経済の原理と同様に、需要と供給のバランスというのが、ひとつの要因です。当然、需要が多くて供給が少なければ価格は高くなり、需要が少なく供給が多ければ価格は安くなります。
ただ希少性だけで価格が上昇するかといえば、それほど単純なものではありません。アーティストの知名度、制作年代、存命か物故か、制作された作品数はどのくらいか、これからも新たな作品が世に出るのかといったアーティストに関する様々な条件により、価格は決まります。
アート作品は、版画やブロンズ彫刻などは別にして、基本的には、作品はオリジナルの一点だけです。この一点の作品しか存在しないということが、アートの一大特徴で、他の商品と比較したときの決定的な差でしょう。
作家は数多くの作品を制作しますが、ひとつの作品というのは、そのオリジナル性がさらに無形の価値にまで発展していくときに、アートの価値がはじめて生まれます。
アートの価値というのは、目に見えないものですが、そこに「交換価値」が存在するのです。一枚の作品が価値あるものになるためには、それを作り出す一人のアーティストの歩みやそれを支える美術というシステムをひもとく必要があります。
高値をつくり出すメカニズムは、ある意味では抽象的な価値の生産と関連しているといえますが、それはアートがつくり出す「物語」とつながっています。この例としては、「美術史」がわかりやすいでしょうか。
ダ・ヴィンチの(モナ・リザ)が素晴らしい芸術作品であると思えるのは、私たちが美術史の中でモナ・リザを学ぶからです。美の殿堂であるルーブル美術館に展示され、歴代の専門家たちによって、その素晴らしさを説明されて、人類の宝だと教えられてきたからにほかなりません。
■制作者不明の茶入れが価値を持つメカニズム
欧米の美術だけに限りません。日本の美術も同様です。茶の世界には、手のひらに乗る小さな茶入れひとつが、国の価値と同等だった信長や秀吉の時代がありました。またそれらは今日まで重要な美術品として国宝などに指定されて継続されることで美の価値を保持しているといえます。
(モナ・リザ)は、ダ・ヴィンチが制作したことがわかっていますが、後者の茶入れを誰がつくったのかは不明です。それでも美を評価する人々により、茶入れは価値づけられてきました。信長、秀吉から後に続く経済的価値と結びつく美の価値基準は、それ以前の足利将軍という権威によって形成されていきました。美の価値は制作者だけでなく、それを承認する人々によって形成されるのです。
アートの価格はいかにして決まり、また誰が決めるのか。これらは単純な話ではありませんが、時代ごとの為政者やその周辺に集まる権力者たちが、自らの文化を代表するものとして評価し、愛でてきた歴史の蓄積の結果といえるものです。それは目に見えない価値の長きにわたる集積そのものです。
近代に入ると、資産家を中心にして美は専門家の手に委ねられます。美術館、ギャラリー、オークション会社が誕生し、それに付随して、美術史家、美術評論家、美術ジャーナリスト、ギャラリストなど、美術の評価に関わる専門家が生まれました。これらの専門機関、専門家たちにより、美は語られ、取引され、評価されて、やがてアートとしての権威を持つことになるのです。
■なぜ草間彌生の作品は人気があるのか
では、アーティストはどのようなステップを踏んで有名になっていくのでしょうか。後に広く世間に認められるアーティストの場合、多くは最初ギャラリーで展覧会を開催し、様々な機会を見つけては、実験的な展示やパフォーマンスなどを行い、キュレーターなど専門家の間で話題にのぼるところから始まります。
その後、徐々にアーティストとしての露出の機会が増えていき、やがてヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタといった大規模な国際展で評価され、独自に展覧会を展開する。さらに時代時代に話題となる作品を制作し、キャリアを積んでいくうちに作家として評価が固まり、価格は上がっていくことになります。
はじめから価値の定まったアートなどは、存在しません。アーティストが制作し、発表し、評価され、作品が社会の中で共有される過程があってはじめて、芸術的な価値がついていくのです。言い換えると、どんなアート作品にも社会化のプロセスが必要で、その結果、資産としての価値も生まれるのです。
例えば、今や「水玉の女王」の異名を取る大変な人気の草間彌生は、1960年代からニューヨークで活躍するアーティストで、代表的な作品には(インフィニティ・ネット)などがあります。網の目状の形がどこまでも続く抽象絵画で、当時の若手のニューヨークのアーティストたちに多大な影響を与えました。
他にもソフト・スカルプチャー、ハプニング、インスタレーションなどによるセンセーショナルな作品によって話題を立て続けに提供していきました。
■価格の高騰は、認知の広がりに連動する
白人男性が多い美術界で、日本人の女性で、女性かつ心に障がいも持つという立場で世界的な成功を収めた成功したアーティストは、草間以前にはいなかったでしょう。このように大きなギャップを埋めるということも、現代アートの成功には大事な点です。
直島の古い桟橋の黄色いかぼちゃの彫刻は、草間がニューヨーク時代以来、制作してきたもので、かぼちゃのシリーズをはじめて屋外彫刻にしたものです。それまで絵画や室内に展示するオブジェとしては制作してきましたが、屋外用の大きなかぼちゃは、私が直島にいた時期に依頼したものです。
かぼちゃのシリーズは80年代後半、すでに1000万円前後で取引されていましたが、2000年代には5000万円から一億円ほどになり、2015年10月に香港で開かれたサザビーズのオークションでは、約8億円で落札されました。
作品における価格の高騰は、世界において作家の認知の広がりに対応します。欧米から広がった人気はやがて、他の国、地域へと広がっていったのです。草間作品の価値は、今後右肩上がりとなっていくでしょう。
価格の上がるアーティストは、常に時代に色あせない価値、何世代も地域も超えた普遍性を持ちます。誰からも受け入れられ、かつ次の時代をつくり出すクリエイティビティがあり、はじめてアーティストとして成功するのです。草間を目指す若手の女流アーティストは世界中に誕生しましたが、草間のような成功は、限られた人のみが成し遂げられることです。
■プライマリー・マーケットとは何か
先ほどのオークションで、作品が8億円で落札されたからといっても、草間には1円も入りません。お金を手にするのはあくまでも出品者とオークション会社です。なぜならオークションは「プライマリー・マーケット」ではなく「セカンダリー・マーケット」での取引だからです。
アートの価格は、「プライマリー・マーケット」と「セカンダリー・マーケット」の二種類の仕組みで決まります。プライマリー・マーケットで取引されるのは、「作家から直接販売される作品」で、セカンダリー・マーケットで取引されるのは、一度販売されたものが再び市場で「再取引される作品」になります。
プライマリー・マーケットとは、文字どおり「第一次マーケット」で、アーティストが新しい作品をギャラリーで発表し、その場でお客様に売る、初もの作品を扱うマーケットです。プライマリー・マーケットの中に入るものは、コマーシャル・ギャラリーと呼ばれているもの、百貨店のギャラリーなどがあります。
ただし百貨店の値付けは、間に業者が入っていて、純粋なプライマリーとは言い難いところがあるので、ここでは作家が直接作品を提供するコマーシャル・ギャラリーのみを指すことにします。
■上場前の未公開株を買うようなもの
その場合の価格は、作家の業績や将来性、人気などによって異なりますが、業界で通用する価格帯で決まります。ギャラリーで、その作品を購入するのは、かなり慣れた人でないと勇気がいるかもしれません。作家はいわば個人商店のようなものですし、基本的には自己責任のもとでの売買ですから、いわば上場前の未公開株を買うような感じに近いでしょう。
ただし、欧米の有名コレクターたちは、プライマリー・マーケットで購入してきました。欧米のコレクターたちは他人のマネをしたくない個性の強い人たちが多いということもありますが、アメリカでは税制の優遇制度があるという事情もあります。
ギャラリーは、かつてはタレントとその所属事務所のような関係を持っていて、アーティストをマネジメントするだけでなく、プロデュースを行ったり、プロモートをしたりしていました。ここのところ事情が変わりつつあり、資金的にも時間的にもそこまでアーティストと二人三脚で仕事をすることができるギャラリーは、少なくなってきています。
数年前、ニューヨークの力のあったプライマリー・ギャラリーが大量に閉店する事態が起きました。主要な儲けの場がオークションなどのセカンダリー・マーケットに変わってきたからです。
実際に世界でもっとも力を持つといわれているガゴシアン・ギャラリー、ペース・ギャラリーは、セカンダリー・ギャラリーの大御所です。サザビーズ、クリスティーズは国際的なオークション会社で、セカンダリー・マーケットを動かしています。
すでにセカンダリー・マーケットで取引される大御所アーティストはいいですが、これからメジャーを目指す若者や中堅には実績を積むためのプライマリー・ギャラリーの閉店という事態は厳しい状況です。今後、アーティストだけでなく、アート業界にも影響を与えていくと言われています。
■アーティストに1円も入らないセカンダリー・マーケット
アーティストに人気が出始めて、作品の供給も行きわたると、ギャラリーによる供給だけでなく、一度購入されたけれども、再取引の場に登場する作品が出始めてきます。それがセカンダリー・マーケットに流れていきます。
前出のオークション市場は、セカンダリー・マーケットと呼ばれる売買の主要な場ですし、他にセカンダリー・ギャラリーと呼ばれる二次流通の作品を扱うギャラリーもあります。作品の高騰にはオークション会社やセカンダリー・ギャラリーでの取引が影響していると言われています。高値の更新は、常にオークション会社の取引によってなのです。
オークションもセカンダリー・ギャラリーも通常の製品サイクルでいえば、中古市場というふうに考えていただいていいのですが、ここからがアート作品の面白いところで、この場所で芸術性の高いものとそうでないもので、大きな価格差が生まれてくるのです。
作家の業績や知名度、作品の来歴、状態、クオリティなどによっても値段は左右され、アーティストによって大きな価格差が生まれます。草間は勝ち組ということになります。
ところが、たとえそうであっても、セカンダリー・マーケットにおいては、すでに作品がアーティストの手を離れているので、アーティストにはお金が1円も入らないのです(そのことに疑問を感じて自分の作品を直接、オークションで売ろうとしたダミアン・ハーストのようなアーティストもいます)。
■アート作品には、「仕手株」のような動きもある
もちろん、オークションでの落札価格が高騰していけば、新作でも「プライマリー・マーケット」の価格に影響が生まれ、上がっていくことになります。
この仕組みも株式市場と同じで、会社の上場時に株をマーケットで売った株主はプライマリーでの収入を得ることができますが、その後、どれだけ市場で株が売買されても、その取引による利益を得ることはできません。
株式市場ではときに「仕手株」のように、特定の投資家たちが意図的にまとまった資金を流入させることで、急激な株価のつり上げやつり下げが行われることがありますが、アートの世界でもときおり似たようなことが行われています。
画商の仲間同士で高額落札を繰り返して、絵や作家の価値を上げていくケースですが、そのような人為的操作で一時的に価値を上げても、長続きすることはありません。やはり多くの人々がその作品に引きつけられ、何としてでも手に入れたいといった願望が高まるからこそ、価格は無制限に高騰していくのです。
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東京藝術大学大学美術館館長・教授/練馬区美術館館長
1955年東京生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科卒。1991年、福武書店(現ベネッセコーポレーション)に入社。瀬戸内海の直島で展開される「ベネッセアートサイト直島」を担当し地中美術館館長、アーティスティックディレクターなどを歴任。2007年から10年にわたって金沢21世紀美術館館長を務めたのち、現職。
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(東京藝術大学大学美術館館長・教授/練馬区美術館館長 秋元 雄史)
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