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エリート親でも「ひきこもり」を解決できない訳

プレジデントオンライン / 2019年12月10日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo

ひきこもりの長期化はなぜ起きるのか。愛知教育大学の川北稔准教授は、「ひきこもりを恥ずかしいと捉える親の意識や、周囲の理解不足が一因だ。課題が家庭の内側に閉ざされてしまい、支援につながりにくい」と指摘する――。(第1回/全3回)

※本稿は、川北稔『8050問題の深層「限界家族」をどう救うか』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。

■40代以上のひきこもり経験者の道筋を調査

今年6月1日、東京都練馬区に住む父親(70代)が、「運動会の音がうるさい」と暴れはじめた息子(40代)の胸などを包丁で刺し、息子は搬送先の病院で死亡が確認された。父親は、ひきこもる息子からの家庭内暴力を受けていたことを捜査関係者に話したという。国家公務員として事務次官を経験した父親が、息子のことを専門の窓口に相談した形跡はなかった。なぜ、ひきこもりの悩みは家庭内に閉ざされてしまうのだろうか。

ひきこもりがどのような経緯で長期化・高年齢化しているのかは、あまり知られていない。全国55か所(2018年10月現在)の家族会が参加するNPO法人KHJ全国ひきこもり家族会連合会では、2016年、厚生労働省の委託によって、40歳以上のひきこもり状態にある人についての聞き取り調査を実施した。その結果、全国から61の事例が寄せられ、筆者はこの調査の取りまとめを担当した。

浮かび上がってきたのは、長きにわたり試行錯誤を繰り返す家族の姿であった。以下ではこの調査の結果も交えながら、ひきこもる子をもつ家族のエピソードを紹介していく。

■ほぼ20代中盤で、最初の就労が終了している

ひきこもり歴を2つのパターンに分けると、学齢期から就労定着前までにひきこもりが始まった場合と、就労定着後にひきこもりが始まった場合がある。就労前のひきこもり開始は61事例中44事例だった。学齢期の不登校・中退が関係していたり、学校を卒業後、仕事に就くまでのあいだに何らかの課題を抱えたりした人が多い。一方、1年以上就労したのちにひきこもったとみられるケースも17事例ある。

短期の就労を含めて就労経験をみると「正社員」17事例、「アルバイト」23事例などの46事例である。就労開始年齢は平均20.7歳(回答があったのは34事例)、仕事を辞めた年齢は平均27.3歳(回答は32事例)だった。最初の就労は、ほぼ20代中盤に終了していることが分かる。

■子どもが家族を避ける状態が続く

では、家族はどのような場所に相談したのだろうか。同調査によれば、「病院」40事例、「保健所・保健センター」23事例、「民間のカウンセリング機関」20事例、「精神保健福祉センター」19事例、「NPO法人」18事例という結果であった(複数回答)。特に精神医療関係の窓口が多いことが分かる。

問題を解決するため家族会に参加している人たちへの調査結果ということもあり、子どもが20代のころからいくつかの窓口に相談した経験がある場合が多いといえる。たとえば内閣府の39歳までの調査(2016)では、ひきこもりについて関係機関に相談したことがある人は44.1%にとどまる。それに対し、この調査の対象者は少なくとも家族会には参加している。しかし、61事例のうち子どもが家族以外の人がいる場に参加しているケースは14事例であった。多くの家族は、子どもが外に出られない、出られてもその場が限られていることなどについて悩み続けている。

61事例のうち、ひきこもりの状態は過去の経験も含めて「昼夜逆転」が50事例、「自室閉じこもり」が31事例にみられた。これらの背景には子どもが家族を避けているという情況が隠れている。親にとっては、子どもと一緒に食事ができない、コミュニケーションがとれない状態が長く続くことになる。

■「なぜ働かないのか」は逆効果

不登校やひきこもり状態になった人は、想像のとおり人目を避ける傾向にある。「学校や仕事に行っていない自分を周りの人が責めているのではないか」と不安になり、「こんな状態では誰にも会えない」と自らを追い詰め、殻に閉じこもっていく。

ひきこもる子どもの親は、知人や親せきから陰に陽に「親がしっかりしないから子どもが甘えるんだ」と言われたり、批判的にみられたりすることも多い。何とか気持ちを奮い立たせて子どもに強い態度で接したところ、それがきっかけとなってますますひきこもるという悪循環に陥るケースもある。

注意したいのは、「自分はこのままでいいのか」と大きな不安を抱き、ひどく失望しているのは子どものほうなのだ。親の力で「何とかせねば」という思いが逆の効果を生む場合もある。

「なぜ働かないのか」といった投げかけを親はついしてしまう。正論や叱咤激励によってひきこもる子どもが発奮して元気になるのならよいが、多くの場合、親子関係は悪化する傾向にあると、ひきこもりの支援に携わる精神科医らが指摘している。

ひきこもる本人が義務教育や社会貢献の必要性を知らないわけでない。頭で理解していても、次のステップをどのように踏めばいいのかが分からないのだ。

■親が悩む「恥」の意識と偏見

ひきこもりの問題の解決が容易ではないもう1つの理由は、我が子がひきこもっていることを「恥ずかしい」と考える親の意識である。子育てが間違っていたという思いをもつ親は珍しくないが、その思いが強すぎると、家族以外に相談することもはばかられるようになる。また、子どもがひきこもっていることを親せきの集まりで批判されることもある。1つの家庭のなかでも意見が分かれ、たとえば父親が「子育ては妻に任せてきたのだから、妻の責任だ」と子どもの母親を責める場合もある。

親自らが子育ての責任を感じているところへ、周囲からの批判も加わって、ひきこもる子どもがいることは恥ずかしいことだという意識が強まる。

単にひきこもりに関する恥意識ばかりではなく、精神医療や福祉制度を利用することへの偏見も加わる。親たちはひきこもりの相談をきっかけに、我が子に精神保健福祉サービスを利用してほしいと思ったが、隣町に住む親せきが「自分の子の就職や結婚に差しさわるからやめてほしい」と反対するような場合もある。

■「役所の担当者」にすら話せない地方がある

ひきこもる子の存在を知られたくないと思うと、親自身の行動範囲も狭くなりがちだ。ひきこもる子をもつ母親は、友人とのお茶飲み会に参加したくても、子どもの話題が出たら対応に困るので、足が遠のくという。同じような経験をもつ家族同士であれば、気負わずに子どものことを話せるという人は多い。ただ、家族のグループに参加する親たちは、グループ以外の場では、我が子のことを話すのがいかに難しいかを吐露している。「数十年にわたって子どものひきこもり状態について悩み、各地の専門家を訪ねて相談したが、地元の知り合いには決して我が子のことを打ち明けることができなかった」と語る人もいる。

一概にはいえないが、地方のほうが、都市部に比べて人付き合いが濃密で、家族の話をうかつにできないという話を聞く。役所へ相談に行こうにも、窓口担当者が顔見知りで、身内の話などできるわけがないと感じるというのだ。

こうしてひきこもりの課題は家庭の内側に閉ざされていく。

■支援が先延ばしにされてきたという現実

幾重もの壁を乗り越え、家庭内の問題をやっと外に出したとしても、支援の窓口での相談がうまく進まなかったというエピソードも、家族会の調査では多く語られている。

支援者の側からみた問題解決の難しさについては本書でも触れているが、家族側からみた相談の困難さについてここで紹介しておこう。

40歳以上の例では、「家族が仕事などに忙しく本人の課題を相談に行くのが遅れた」「家族自身に状況を変えることへの不安や抵抗感があった」「支援の途絶に関連して窓口や相談への失望感があった」という声が聞かれる。「支援の途絶」とは家族が開始した相談が、何らかの理由で途切れることを指すが、家族会の調査では26事例みられた。

「初回相談で話したことが引き継がれていないので、何度も同じ話をしなくてはならない。やっと相談が軌道に乗ったと思ったら、担当者が異動になった」
「『何かあったらまた来てください」の繰り返しで、通い続けても役に立つアドバイスが得られない」

ひきこもる人への支援には、長期的な関わりや、本人や家族についての多角的な情報収集が必要になる。しかし、ただちに対応すべき大きな問題(暴力や自殺企図など)が起こっていないことを理由に、本格的な支援を先延ばしにするような対応が、特に過去には多かったことは否めない。

■死後を心配する、親たちの「あきらめ」

「親亡きあと」という言葉がある。ひきこもり問題の場合、高齢の両親が亡くなったあと、ひきこもっている子どもがどう生きていくかがしばしば話題にされる。しかし、少し不思議なことがある。「親亡きあと」という言葉を使って死後を心配するのは残される子どもたちではなく、当の「親」たちなのだ。親たちは人生を終えたあとまで親であることをやめられないことになる。

川北稔『8050問題の深層「限界家族」をどう救うか』(NHK出版新書)

高齢のため相談に行くこともままならず、いざ相談に行っても根本的な対策がなく、疲弊した親たちは子どもの変化をあきらめるようになる。

ついには、ひきこもる子どもにできるだけお金を残そうと通院を控えたり、「いくらお金を用意したら子どもは困らないのか」などと、支援者に相談したりするようになる。その是非はともかく、親が子どもにできることは、もはや資産を残すことしかないという心境の親たちが多いということだろう。

ここにはいくつものあきらめがある。子どもが外に出ることも、働くことももうない。

また、これからどうするかを子どもと話し合うこともできそうにない。子どもを託しておけるような親族もいなければ、行政機関も期待できない。

「どのくらい資産を残せば自分たちの死後、子どもは生きていけるのか」

これは、不信感や絶望が幾重にも重なった結果出てくる言葉ではないだろうか。

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川北 稔(かわきた・みのる)
愛知教育大学教育学部准教授
1974年、神奈川生まれ。名古屋大学大学院博士後期課程単位取得修了。社会学の立場から児童生徒の不登校、若者・中高年のひきこもりなど、社会的孤立の課題について調査・研究を行う。

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(愛知教育大学教育学部准教授 川北 稔)

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