なぜ富士そばのBGMは24時間ずっと演歌なのか
プレジデントオンライン / 2019年12月9日 11時15分
※本稿は、稲田俊輔『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
■東京は立ち食いそば屋であふれかえっている
一般に、西日本はうどん文化圏、東日本はそば文化圏と言われています。人生のほとんどを西日本で過ごしている私にとって、そばはずっと縁遠い食べ物でした。それこそ大晦日(おおみそか)にだけ食べる特別な食べ物という認識です。
しかしその後ちょくちょく東京で仕事をするようになってから、私はそばにハマりました。特に、昼でもない夜でもない中途半端な時間帯に老舗のそば屋ならではのそば味噌(みそ)や天抜きといったつまみ、いわゆる「そば前」をつつきながらゆっくり酒を飲む、なんてのはなかなか贅沢(ぜいたく)な楽しみです。
もちろん最後にはもりそばをたぐって、そば湯で締めます。正直、最初は形から入りましたが、なんだか自分がいっぱしの大人になったようないい気分でした。
こういうのはいわば「そばの名店」での楽しみ方です。東京では神田などの古い町を中心にこういう店がいくつもありますが、もっと気軽なそば屋はそれよりはるかにたくさんあります。そば文化の厚みといいますか、東京はどこでもとにかくやたらめったらそば屋がある印象です。東京の人はどんだけそばが好きなんだろうと最初は驚きました。
ちょっとした繁華街がある駅前なら、付近には必ず立ち食いを中心にそば屋が数軒はあります。なかでも一番よく目につくのが「富士そば」です。
■「かけそば310円から」という薄利多売な商売
富士そばは東京都内に100店舗以上。ただしそれ以外は埼玉、神奈川、千葉に計20店舗程度です。東京では知らない人はいない一大チェーン店ですが、首都圏以外の人は知らないのではないでしょうか。
これだけ東京に集中しているというのは、一つには東京にはそもそもそば好きが多いというのもあるでしょうし、もう一つには、かけそば310円からなんていう薄利多売な商売なので、ある程度人口が集中してお客さんが回転し続ける立地でないと商売として難しいというのもあるでしょう。
実際に富士そばは、朝から夜中まで常にお客さんが入れ替わり立ち替わり入っています。朝からラーメンを食べる人はまずいないでしょうが、富士そばは朝から主にビジネスマンでいっぱいです。ランチ時にも行列ができます。夜は酒類やつまみを安く提供しており、ちょい飲み客を多く見かけます。
私が利用するのはもっぱら、午後や夜中の中途半端な時間ですが、そのときもやっぱりコンスタントにお客さんが入っています。しっかり食事にもなるけど軽く済ませるにもぴったり、というのはそばならではの強みかもしれません。
■唐突な「カレーかつ丼」にお客は驚く
東京の街角では特に富士そばが目立つ、と言いましたが、実は「ゆで太郎」という同じく立ちそばのチェーンが数の上では拮抗していますし、「小諸そば」という少し上品な感じのチェーンもあります。
ただその2店が、何というか、「街角にひっそりと佇んでいる」という風情なのに対し、富士そばはもっとギラギラと、道行く人に向かっていつも手招きをしているような印象があります。
それほど空腹でなくても「ちょっと寄ってくか」と思わせるパワーを感じるのです。目立つ看板やポスター、食品サンプルなどが効果的に配置され賑(にぎ)やかで入りやすい店頭。ただ、富士そばのパワーの源は単にそういうデザイン戦略的なことだけではないとも思っています。
富士そばは、いろんなところがちょっと変なのです。もちろん主要な商品はそばであり、一応うどんも選べて、かき揚げやコロッケなど揚げ物中心に定番のトッピングもあるオーソドックスな品揃(しなぞろ)えですが、そこには唐突に「カレーかつ丼」なんてものがあります。
カレー丼でもカツカレーでもありません。これは、カレーライスの上に、甘辛いつゆで煮て卵でとじたカツ丼の具がのっているというものです。初めて見たときは正直ギョッとしました。ありそうでない、というより普通は誰もやらない珍メニューです。
しかしこれ、普通なら素直にカツカレーを出すであろうところ、富士そばのオペレーションでは揚げたてのカツは提供できない、ならばさっと煮たカツをのせたほうがお客さんは嬉(うれ)しいはずだ、という思いから生まれたと聞きます。斜め上のサービス精神、独特です。
■真っ赤な着色のカニカマは富士そばの「特撰」
独特といえば、私が最初に富士そばを「ちょっと変だ」と気づくきっかけとなった「特撰富士そば」というメニューがあります。これはそばの上にあげや天かす、温泉卵などをのせたちょっと豪華なメニューなのですが、トッピングの中央にはなぜか「カニカマ」が堂々と鎮座しています。
今どきの自然な色合いの高級カニカマではなく、真っ赤な着色が目にも鮮やかな、ザ・昭和のカニカマです。「特撰」とうたうからには、何か特別なものをのせねばならない。それは何か? という問題に対してカニカマという答えを出すのはかなり独特だと思います。
だからこそこの特撰富士そばはとにかく目立ちます。どうやったって普通は地味になってしまうそば屋のショーケースの中で、その一本の真紅の棒はひときわ輝いています。まさに浮き上がったように目に飛び込んでくるのです。
富士そばのメニューは店ごとの自由裁量権があり、今は販売を終了してしまった、「パキスタン風激辛カレーそば」というのがありました。これは2020年の東京オリンピックを視野に入れ、ハラール対応のメニューを商品化しようと開発がスタートしたそうですが、なぜか途中で目的と手段が入れ替わり、ハラールとは関係ない「パキスタンのスパイスを使ったおいしいカレーそば」として完成されたと言います。なんだそりゃ。しかしこういうチェーン店らしからぬ奔放な自由さもまた富士そばの魅力なのかもしれません。
■メニューだけでなく店自体もなんだか独特
独特なのはメニューだけではありません。例えば店内BGMは24時間ずっと演歌です。演歌の世界のことはよくわからないのではっきりしたことは言えないのですが、演歌でもいわゆる「ど演歌」と言われるようなジャンルにあたるのではないでしょうか。
令和の時代に今だに新譜でこういうものがコンスタントにリリースされ続けているのか、古いビンテージものもサルベージしているのかはさっぱりわかりませんが、今や大衆居酒屋みたいなところでも聞かないようなコテコテの演歌が朝でも昼でも結構なボリュームで流れています。
正直ちょっと異様でもあるのですが、これを聴くと、ああいま俺は富士そばにいる! という確かな実感を得ます。店内には社長の丹道夫氏が、作詞家「丹まさと」名義で歌詞を提供した演歌CDのポスターも貼られています。
■愛される秘密は独特すぎるチャーミングさ
貼られているといえばサンプルケースや店内には「おそばを食べても太らない」というメッセージまでデカデカと貼られています。そばは確かにラーメンよりはカロリーが低く、うどんや米よりはやや低糖質でミネラルも多少は多いかもしれませんが「太らない」と言い切るのは企業コンプライアンス的にどうなのか少し心配になります。
でもそんな野暮(やぼ)なことを指摘する人は誰もいないようです。「うん、言い方には問題があるような気もするが言いたいことはよくわかるぞ」と皆、温かい眼差しで見守っているのでしょうか。
富士そばは、首都圏エリア限定とはいえ、現在約130店舗を展開する大チェーンです。堂々たる優良企業です。それでいて、言うなれば人情味溢れるたたき上げのオヤジ(演歌好き)がその独特すぎる感性を店の隅々まで行き渡らせた、個人店の空気を濃密に残した店。東京の人は皆、富士そばが大好きだと思います。私ももちろん大好きですから、普段生活している名古屋にもぜひ進出してほしいと思っています。
むろん、東京ほどの人口密度がない地方都市では運営的に難しい部分もあるかもしれませんが、どんな街でもあの愛すべき独特さは多くの人を惹きつけるのではないでしょうか。なので、今後もし富士そばが首都圏エリアを飛び出して全国区に進出するとしても、変に洗練されることなく、独特すぎるチャーミングな濃密さを保ち続けてほしいと切に願っています。
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円相フードサービス専務
鹿児島県生まれ。関東・東海圏を中心に和食店、ビストロ、インド料理など幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)を経営する円相フードサービス専務。メニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛ける。イナダシュンスケ名義で記事をグルメニュースに執筆することも。ツイッター:@inadashunsuke
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(円相フードサービス専務 稲田 俊輔)
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