夫刺殺の妻の供述が嘘だとバレた包丁の持ち方
プレジデントオンライン / 2019年12月5日 9時15分
北尾トロ『なぜ元公務員はいっぺんにおにぎり35個を万引きしたのか』(プレジデント社)にも、勝ち目がない裁判にもかかわらず、裁判長や検察官に対して無罪を堂々と訴えるひと癖もふた癖もある被告人がたくさん登場する。
■勝ち目ゼロなのに無罪を堂々と主張する人の珍語録5
被告人の多くは精神的に追い詰められた状態で、「有罪か無罪か」「(有罪の場合は)何年の刑期にすべきか」を決める裁判に臨む。日本の裁判で無罪判決が下される確率はかぎりなくゼロに近いので、身に覚えのある被告人が現実的に狙えるとしたら執行猶予付き判決となる。
塀の中に入るのか、それとも社会の中で更生する機会を与えられるのか。瀬戸際の争いが繰り広げられるだけに、被告人が緊張でガチガチになるのはむしろ普通だ。
しかし、なかには肝の据わった被告人もいる。客観的に見て勝ち目はないと思えるのに、自身の正当性を堂々と主張する人たちだ。自信満々の根拠は何なのか。法廷で出会った珍主張を紹介しよう。
■珍主張1:「私のテレビを返しなさい」
別れた内縁の妻に対する脅迫やストーカー行為で捕まった元タクシー運転手の40代の被告人は、犯行を否認。渡した生活費を好きなことに使われた、浮気をしていた疑いがあるなど、迷惑を掛けられたのは自分のほうだから、抗議するのは当然で、犯罪には当たらないと一歩も譲らない。自分は別れることが嫌だったのではなく、同棲する際に自費で購入した家具を返してほしかっただけだと主張した。
元妻は勝手にテレビを持って行った。尾行したり、元妻の勤務先に大量の誹謗中傷ファクスを送りつけたりしたのも、抗議を無視されてやむなく行ったことで、被害者はむしろ自分のほうなのだ、どう考えても自分は正しい、と言い張るのである。
「あのテレビは私のものです。それを元妻は勝手に持ち出した。人のものを盗んだら返すのが当たり前でしょう。私は何十回も、テレビを返せと留守電にメッセージを残しましたが返事がない。この事情を元妻の勤務先に伝え、上司から返すように言ってもらおうと考えるのは当然じゃないですか。私はテレビがないと困るんだから」
だからといって嫌がらせをしていい理由にはならないのだが、被告人は独自の理論をネチネチと展開するのだった。
「大型画面の最新式だったんです。私が買ったんです。私のものなんだ!」
主張は認められず、あえなく有罪となった。
■珍主張2:「(結婚)相手は東方神起のメンバーの方です」
かつて不倫関係にあった男に「あなたが私にしたことは結婚詐欺」だったからと1700万円を要求し、脅迫未遂で捕まった40代半ばの女性の主張は一風変わっていた。動機について、韓国のアイドルとの結婚話があり、身元を調査されているので、過去を清算する必要があったというのである。
「相手はシム・チャンミンさんです。東方神起のメンバーの方です。で、私も昔のことにけじめをつけようと。(不倫関係にあった男に)騙(だま)されたという思いもありましたから、ちゃんとした話をしたかったんです」
被告人は妄想に取りつかれているようだった。
「(男性被害者との不倫は)シムさんの親族から調べられたようです」
お構いなしに話を続ける被告人だったが、話の内容は支離滅裂で信ぴょう性がない。こういうケースはときどきある。有罪は動かないとしても、実害はなかったのだから、執行猶予付き判決にして精神科で治療を受けさせるのがいいのではないだろうか。傍聴席はそんな空気だった。いくら検察が内容のおかしさを指摘しても、被告人は笑顔でこう答えるのだ。
「シムさんに聞いていただければ、すべてがわかるはずです」
■珍主張3:「とにかく歯が痛くて痛くて」
執行猶予期間中に覚醒剤を使用して捕まった30歳の女性。前科が3犯ある(覚せい剤使用と免許証偽造、詐欺)。執行猶予中の逮捕なので実刑は確実で、いかに刑期を軽くできるかに被告人の将来がかかっている……ように思えた。こういう立場に置かれた被告人なら、法廷で素直に反省の意を示そうとするのが普通だろう。
しかし、被告人は主張するのだ。
「あごの骨の手術を受けたせいで歯が痛くてたまらず、仕方なく覚醒剤を使いました」
意味がわからないし、覚醒剤に痛みを和らげる効果があるとしても、それを知っているのは覚醒剤の使用に慣れていると告白するに等しい。しかし、被告人はめげることなく繰り返す。
「とにかく歯が痛くて痛くて」
死ぬほど痛かった自分には、覚醒剤を使う選択肢しかなかった。中毒じゃないんです。更生する意思はありますし、現に執行期間中は今回を除き、ただの一度も使っていません。悪いのはあごの手術に失敗した医者なんです!
黙って聞いていた検察官が、やってられないという顔で被告人に言った。
「歯が痛いときは、覚醒剤を使うより歯医者に行くべきです」
■珍主張4:「刺せ!と命じられたんです。殺意などありませんでした」
ケンカの絶えない夫婦。その晩も激しくやりあい、ベッドに包丁を2本持ち込んで「刺すなら刺せ!」と挑発する夫を、妻が馬乗りの姿勢で刺殺してしまった事件があった。妻は動かなくなった夫を見て死んだと思い、親戚に電話で状況を伝えたのち自殺を試みるも失敗。殺人罪で起訴され、罪を認めたが、ひとつだけ否定したことがあった。
殺意はなかったというのである。
被告人は、じつは夜の営みにSM的な嗜好を持ち込んで楽しむことが多く、事件発生のポイントとなった「刺すなら刺せ!」もプレーの一環だったような言い方で殺意がなかったことを説明する。夫の指示に従って包丁を振り下ろしたら、たまたま心臓を刺してしまった。罪を逃れるつもりはないが、それだけはわかってください……。
しかし、裁判長は特殊な事情を考慮しつつも、殺意を疑う合理的な証拠はないとした。それを決定づけたのは包丁の握り方。夫に包丁を渡された被告人は、それを順手で握るのではなく、わざわざ逆手に持ちかえて振り下ろしていたのだ。被告人は、言われるままに包丁を手にし、殺す気もないまま刺したというストーリーを持ち出したが、やったことは確信犯的。それを証明するのが“逆手持ち”だったのだ。
■珍主張5:「歯がないのは強烈な個性だと思いませんか?」
傍聴のしたなかでも指折りの、とぼけた味わいの窃盗未遂事件。兄弟が暮らすマンションで、リビングから物音がするので弟がドアを開けると、見知らぬオヤジが兄の時計を手にしていた。兄は不在だった。弟は反射的に時計を取り返したが、直後に恐怖で動けなくなったのをいいことに、オヤジは悠々とタバコを一服。われに返った弟が警察に電話をしている間に部屋を出ていく。逃がしてはならんと後を追うと、オヤジはマンション内の共用廊下でウロウロ。その後、オヤジは無言で弟にタバコをせがむなどし、駆けつけた警察官に身柄を拘束された。
しかし、被告人は「人違いだから無罪だ」と主張。被告人の言い分では、弟は被告人にそっくりの他人と部屋で遭遇し、その犯人が逃げた後、たまたまマンションの共用廊下にいた被告人を犯人と思い込んだのだと、代理人である弁護人が独特の解釈を披露したのである。
これには、傍聴席で腰を抜かしそうになってしまった。なぜなら、リビングで会ってから、弟がオヤジから目を離した時間は数秒間しかなく、室内では1メートルの距離でにらみあっていたのだ。「絶対に間違いない」。検察側の証人として出廷した弟が断言するのも無理はなかった。それでも被告人は余裕の表情。弁護人は、被告人には大きな特徴があるのに、弟がそのことに触れていないのは人違いをしているからだという。
「あなたはじっと犯人を見ていた。部屋でタバコを吸うときも目を離さなかった。口元に注意がいったはずです。被告人を見てください。あなたが犯人だといった男を。さあ、見せてあげなさい!」
法廷でそう促されると、被告人は弟に向かって顔を突き出し、ニッと口を開いた。歯が2本しかなかった。弁護人が身を乗り出して弟に問う。
「歯がないのは強烈な個性だと思いませんか?」
が、弟は冷静に答えた。
「思いますけど気がつきませんでした。この人だったと思います」
力尽き、それ以上の質問をあきらめる弁護人。気落ちしたそぶりも見せず、退廷時、傍聴席に向かってニッと2本の歯を見せる被告人。法廷はコントを演じる場所じゃないんだがなあ。
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ノンフィクション作家
1958(昭和33)年、福岡県生まれ。法政大学卒。フリーターなどを経て、ライターとなる。主な著書に『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』『裁判長! おもいっきり悩んでもいいすか』などの「裁判長!」シリーズ(文春文庫)、『ブラ男の気持ちがわかるかい?』(文春文庫)、『怪しいお仕事!』(新潮文庫)、『もいちど修学旅行をしてみたいと思ったのだ』(小学館)など。最新刊は『町中華探検隊がゆく!』(共著・交通新聞社)。公式ブログ「全力でスローボールを投げる」。
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(ノンフィクション作家 北尾 トロ)
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