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中村哲さんの死で護憲を論じる東京新聞の曲解

プレジデントオンライン / 2019年12月10日 9時15分

死亡した中村哲医師を出迎えるため福岡空港に集まったアフガニスタン人ら=2019年12月9日、福岡市博多区 - 写真=時事通信フォト

■「襲撃は20秒から25秒の間に一斉に行われた」

アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードで12月4日朝(現地時間)、四輪駆動車が銃撃された。人道支援に取り組んできた民間活動団体(NGO)「ペシャワール会」現地代表の日本人医師、中村哲さん(73)が乗っていた。中村さんは病院に運ばれたが、死亡していた。

中村さんらは2台の車に分乗しており、何者かに車を止められて銃殺された。現地の警察は中村さんを含む警備員や運転手ら計6人全員が死亡したと発表した。

9日のNHKの報道によると、この6人とは別の同行していた現地スタッフの男性1人が生存しており、「襲撃は20秒から25秒の間に一斉に行われた」と証言した。

■タリバンとイスラム国、アフガン政府の3つ巴の紛争地帯

アフガンでは、旧支配勢力のタリバンのほか、タリバンと対立するイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の支部組織も頻繁にテロを起こし、これに政府軍が戦う3つ巴の紛争が起きている。政情は不安定で、治安も悪い。

いまのところ、中村さんらを襲った武装集団は特定されていない。タリバンの報道官は4日、ツイッターで関与を否定する声明を出している。一方、ISはこれまでにも外国人を狙って攻撃し、自らの存在を誇示してきた。

武装集団が現地でよく知られた中村さんを襲撃することで、勢力の拡大とアフガン政府への強い対抗意識を示した可能性がある。

タリバンだろうが、ISだろうが、アフガンの復興に力を注いできた中村さんを銃殺した犯行グループの罪は許されるものではない。

■「人道支援は善意の押し付けだけでは失敗する」

中村さんは1946年に福岡市で生まれた。九州大医学部を卒業した後、1984年に派遣要請を受け、パキスタン北西部のペシャワールでハンセン病患者の診療を始めた。

その後、アフガニスタンにも医療活動を広げ、2000年以降は大干魃に見舞われたアフガンの地で、井戸や農業用水路の整備に取り組んできた。干魃が絶えない大地に用水路を掘り、1万6500ヘクタールもの乾燥した砂漠を潤し、緑の農地に変えた。アフガンの人々は中村さんに深い畏敬の念を持っていた。2019年10月にはアフガンの大統領から名誉市民権を授与されている。

中村さんは聞いた人の心に残る言葉を数多く残した。たとえばアフガンに診療所を開設する前年の1990年、日本人スタッフにこう語った。

「地元の人が何を求めているのか。そのために何ができるのか。生活習慣や文化を含めて理解しないといけない。自分の物差しを一時捨て、偏見なく接することだ。善意の押し付けだけでは失敗する」

これは人道支援の基本的な考え方になるものだろう。

■「100の診療所よりも1本の用水路が必要だ」

2001年のアメリカの同時多発テロで、アフガン情勢は緊迫する。中村さんは一時日本に帰国していたが、すぐにまたアフガンに戻り、2003年には農業用水路の工事を始めた。

独学で土木を学び、掘削の大型重機も自ら操縦した。現地の人だけでも用水路を維持管理できるように現地の工事法を採用した。アフガンの文化と習慣を理解しようとしていたからこそ、できた用水路建設だった。

中村さんは日本で公演するたびにこう話していた。

「復興は軍事ではなく、農業から」
「100の診療所よりも1本の用水路が必要だ」
「飢えは薬では治せない」
「薬があっても水と食糧がなければ命を救えない」
「私は医者だが、農業用水路も作る」

■「アフガン人に殺されたと断罪しないでほしい」

2008年8月、ペシャワール会の一員で、アフガニスタンで活動中の伊藤和也さん(当時31歳)が殺害されると、中村さんは日本まで遺体に付き添い、葬儀に参列した。

あのときの中村さんの言葉が「アフガンのために働いたのにアフガン人に殺されたと断罪しないでほしい」だった。

アフガンにはアフガンの複雑な事情がある。現地で活動を続けるなかで、その事情をよく理解していた。銃弾に倒れた中村さんは、天国で同じように語っているに違いない。

中村医師らを殺害した襲撃犯の罪は重く、断じて許されるものではない。だが、大切なのは罪を憎んで人を憎まずである。襲撃犯をいくら憎んでも、憎しみの連鎖を生むだけだ。同様の犯行はまた繰り返される。

そうしないためには、根本的な紛争の解決が欠かせない。もつれからまった糸をほどくように、問題をひとつずつ丁寧に解決していくしかない道はない。

■重要なのは「紛争の根本的解決」を世界に呼びかけること

中村さんの襲撃事件を聞いた安倍首相は12月4日、首相官邸で記者団に次のように話した。

「このような形で亡くなったことは本当にショックだ。心からご冥福をお祈りしたい」
「医療分野、かんがい事業などでアフガニスタンに大変な貢献をしてきた。危険で厳しい地域にあって本当に命がけでさまざまな業績を上げられ、アフガンの人々からも大変な感謝を受けていた」

安倍首相が哀悼の意の表明したのは早かった。ただ、これから重要になるのは、アフガン紛争の根本的解決を世界に呼びかけることである。

中村さんの遺体を乗せた航空機は12月8日の夕方、成田空港に到着した。告別式は12月11日午後1時から、福岡市中央区古小烏町の「ユウベル積善社福岡斎場」で執り行われる。

■「中村さんが砂漠から変えた緑の風景が続くことを祈りたい」

新聞もお悔やみの気持ちを込めた社説を一斉に掲載した。

12月6日付の朝日新聞の社説はその中盤でこう指摘する。

「中村さんが現地代表を務めるNGOぺシャワール会は、約1600本の井戸を掘り、用水路を引いて、1万6500ヘクタールの農地をよみがえらせた。東京の山手線の内側の面積の2.6倍にあたる。ふるさとに帰還した難民は推定で15万人にのぼる」
「だが、アフガニスタンの治安は依然として回復の兆しが見えない。反政府武装組織タリバーンや過激派組織『イスラム国』が根を張り、政府に打撃を与える目的で、国際援助機関やNGOを標的にし続けている」

タリバンやISは自らの非人道的な行いをどう考えているのだろうか。朝日社説は最後をこう結んでいる。

「『私たちは誰も行かないところに行く』。この中村さんの言葉を胸に、ぺシャワール会は今後も活動を続けるという」
「中村さんが砂漠から変えた緑の風景が続くことを祈りたい」

中村さんのぺシャワール会が二度と悲劇に遭わないことを願うばかりである。

■なぜ国際社会にとって、アフガンの国造りが重要なのか

次に12月6日付の産経新聞の社説(主張)を読んでみよう。

見出しは「中村医師の死 アフガン復興の意志繋げ」である。

産経社説はまずこう訴える。

「同時に痛感させられるのは、アフガンの国造りのあまりの険しさだ。それでも成し遂げるという決意を新たにする必要がある」

険しいさゆえに成し遂げねばならないことはある。アフガニスタンがひとつの国として成り立たない限り、反政府勢力の攻撃は続く。

産経社説も「国際社会にとって、アフガンの国造りが重要なのは、このまま放置すれば、再び『テロの温床』と化す危険があるからだ」と指摘する。

さらに産経社説は主張する。

「そのためにも、中村さんのような人々の支援活動は貴重だ。テロで支援が後退することがあってはならない。中村さんの意志を繋ぐべきである。彼らの安全確保に一層力を入れてもらいたい」

ここで見出しの主張と結び付く。中村さんの意志を繋ぐために、あらゆる報道機関が中村さんたちの活動を報じていく必要がある。それが支援につながるからだ。

■「中村哲さん死亡 憲法の理念を体現した」への違和感

各社説に目を通していて少々、気になったのが東京新聞の社説(12月6日付)だ。

東京社説は「平和憲法のもとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった。アフガニスタンで長年、人道支援に取り組んだ医師中村哲さんが現地で襲撃され死亡した。志半ばの死を深く悼む」と書き出す。

「平和憲法のもとでの」という書き出しは、追悼の社説にしてはどこか引っ掛かる。

見出しも「中村哲さん死亡 憲法の理念を体現した」で、違和感を覚える。

さらに東京社説はこうも指摘する。

「紛争地アフガニスタンでの三十年近くに及ぶ活動の中で、戦争放棄の憲法九条の重みを感じていた人だった。軍事に頼らない日本の戦後復興は現地では好意を持って受け止められていたという」
「政府が人道復興支援を名目に、自衛隊を派遣するためのイラク特措法を成立させた後は、活動用車両から日の丸を取り外した。米国を支援したことで、テロの標的になるという判断だった。現地での活動は続けた。『活動できるのは、日本の軍人が戦闘に参加しないから。九条はまだ辛うじて力を放ち、自分を守ってくれている』。二〇一三年、本紙の取材にそう語っている」

■中村さんの死が、憲法論議のために消費されていいのか

「戦争放棄の憲法九条の重みを感じていた人」という東京新聞の評価や、中村さんが「九条はまだ辛うじて力を放ち、自分を守ってくれている」と東京新聞の記者に話したことはひとつの事実だろう。

だが、中村さんを追悼する社説に取り上げるには無理があると思う。なぜなら憲法九条の重視が中村さんという人間の本質とは思えないからだ。

中村さんは人間が好きで、アフガンを愛した人であった。そこを書かずに東京社説の好きな「憲法九条の重み」を追悼社説の柱に持ち出すのはおかしい。中村さんが「憲法の理念を体現した」人だというならば、憲法を論じるときに書くべきではないか。中村さんの死が、憲法論議のために消費されてはいけないはずだ。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)

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