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泥沼の遺言トラブル「一澤帆布事件」に学ぶ教訓

プレジデントオンライン / 2019年12月25日 11時15分

一澤ブランド分裂「一澤帆布工業」と「一澤信三郎帆布」通りを挟んでそれぞれ営業=2006年10月16日、京都市 - 写真=毎日新聞社/アフロ

2006年に起きた京都の老舗かばんメーカー「一澤帆布工業」の相続トラブルは、大きな注目を集めた。結局、あのトラブルの原因と教訓はなんだったのか。税理士の井口麻里子氏が解説する――。

■「生前に父から預かっていた」という第二の遺言

2006年に起きた京都の老舗かばんメーカー「一澤帆布工業」の相続トラブルについて、覚えている方は少なくないと思います。池井戸潤氏の小説の題材になったとも言われています。私自身も、当時たまたま京都へ出張した際、街の人々が熱心にうわさ話をしていたのを覚えています。

この騒動の主役は、「二つの遺言」でした。

2001年3月、3代目の一澤信夫氏が死去。会社の顧問弁護士が信夫氏から預かっていた遺言(いわゆる「第一の遺言」)を開封しました。その内容は、信夫氏所有の一澤帆布工業株式の大半を、当時すでに4代目社長であり、信夫氏と共に会社を切り盛りしていた三男の信三郎氏夫妻に相続させるというものでした。

ところがその4カ月後、長男の信太郎氏が「生前に父から預かっていた」という第二の遺言を持ち出したのです。その内容は、信夫氏所有の株式の大半を長男の信太郎氏へ相続させるというもの。

内容の全く異なる遺言が出てきた場合には、新しい日付の遺言が優先します。第一の遺言の日付は1997年12月、第二の遺言は2000年3月。通常であれば第二の遺言が有効となりますが、ここで三男は第二の遺言の無効確認を求め、訴訟を起こしました。

■地元政財界も職人も三男を支持した

結果としては、2004年12月に最高裁で三男の敗訴が確定。第二の遺言が有効とされたため、長男が筆頭株主となり、取締役全員を解任し、自分が社長の座につきました。

ところが、さすが老舗文化の京都です。地元政財界の有力者たちが、「信三郎氏を応援する会」を立ち上げ、三男を支持したのです。「裁判さえ勝てば老舗の経営を握れるというものではない」と支援者のひとりは当時説明しています(「AERA」2006年2月20日号)。

三男は最高裁の敗訴が確定する以前の2005年3月に別会社を立ち上げています。そこへ三男を慕う職人が全員移籍したため、見事「信三郎帆布」を開店させることができました。一方の一澤帆布工業は、事実上の製造部門を全て失い、やむなく営業を休止することとなりました。

■相続が「争族」になると悪影響は甚大

しかし、これでは終わらなかったのです。

2006年3月、今度は三男の妻が原告となって、第二の遺言の無効確認と取締役解任決議の取り消しを京都地裁へ提訴したのです。三男の妻は、第一の遺言で株式を遺贈されることとなっていたため、提訴する権利がありました。

その結果、最終的には2009年6月、最高裁で、第二の遺言は「偽物で無効」であることが確定し、取締役解任決議も取り消されるという逆転劇が起こりました。

これを受け、翌7月に三男・信三郎氏夫妻が一澤帆布工業の代表取締役へ復帰しました。実は裁判はこの後も続きましたが、結局、経営権は三男・信三郎氏のものとなり、同社は現在も営業を続けています。

とにかく相続が「争族」になると、膨大な時間と労力を消費し、そして従業員や取引先等へ多大なる迷惑と悪影響を及ぼすことがお分かりいただけると思います。

それにしても、なぜこのような争いが生じてしまったのでしょう? 問題の原因は、出てきた遺言が二つとも「自筆証書遺言」だったという点です。

■1人で書ける「自筆証書遺言」のデメリット

遺言には、一般的に二つの種類があります。自筆証書遺言と公正証書遺言です。

自筆証書遺言とは、全文、日付および氏名を手書きする遺言です。2018年の民法改正により、財産目録についてはワープロで作成する等も認められ、簡便化されました。自分一人で手軽に書け、費用もかからないため、多くの方に好まれるようです。

しかし、実は大きなデメリットがあるのです。

一つは、自筆証書遺言の場合は、相続発生後に家庭裁判所で検認という手続きを経ないとならず、遺言を執行するのに時間がかかる点。また、素人が書くため遺言の法的要件が不備で、無効となるケースが多い点。そして、偽造や改ざんのリスクが高く、「本当に本人が書いたのか?」ということで争族の火種となりやすい点です。

信夫氏の遺言は、前述の通り二つとも自筆証書遺言でした。第一の遺言は巻紙に毛筆でしたため実印を押したもの、第二の遺言は便箋にボールペンで書き、普段使わない「一沢」という判を押したものだったそうです。法律上は、紙も筆記具も問いませんし、必ずしも実印を押す必要もありませんが、自筆証書遺言にはこのような疑いが入り込む余地が満載なのです。

■専門家が作成する「公正証書遺言」

対して、公正証書遺言とは、遺言者が口述した内容を公証人が筆記して公正証書により作成する遺言です。公証人という専門家が作成してくれるため、法的要件の不備で無効になる心配がなく、相続発生後は家庭裁判所での検認が不要である点がメリットです。

さらに大きなメリットは、公証人の他に証人2名以上の立ち会いが必要であるため、作成時点で「父さん、ぼけていたんじゃないか?」とか、一澤帆布騒動のように「本当に本人が書いたのか?」といった、疑義の入る可能性が極めて低い点です。

また、遺言の原本は公証役場で保管しますので、改ざんのリスクもありません。

■公証人はベッドサイドまで出張してくれる

介護施設へ入所していたり、病院のベッドで寝たきりだったりして、公証役場へ行けないから無理だと考えている方もいることでしょう。

実は、公証人はベッドサイドまで出張してくれるのです。公証役場へ出向く場合と比べ、手数料が1.5倍になりますし、公証人の交通費や日当がかかりますが、ご自分の意思を残したい、子供同士を一生顔も合わせないような関係にさせたくない――そんな思いがある場合は、これくらいは必要経費と考えていいと思います。

あるいは、証人が二人必要という要件がネックになっていて、「遺言内容を家族やお友達に知られたくないから、公正証書遺言は無理」と思い込んでいる方も多いようです。

しかし、立ち会いに必要な証人を、友人や知人に頼む必要はありません。公証役場に依頼すれば、1人につき6000円程度の手数料で証人2人をそろえてくれます。もちろん、先述の公証人同様、ベッドサイドまで出張もしてくれます。これを知っておくと、一気に気持ちのハードルが下がるのではないでしょうか。

■特に遺言を書くべき人はこんな人

お子さんがいないご夫婦には、お互いに遺言を書き合っておくことをおすすめしています。「全財産を妻に」「全財産を夫に」という遺言をのこしておくのです。

お子さんのいないご夫婦で、例えば夫が先に亡くなった際、夫の両親が既に死去している場合は、法定相続人は残された妻と夫の兄弟になります。しかし、兄弟にあげるよりは長年連れ添った妻に全財産を残してやりたい、と思う方が多いと思われます。そのためには、遺言を書くことが必要です。兄弟には遺留分がないため、この一言があれば、妻が全財産を相続することができるのです。

内縁の妻や夫、未認知の子供など、相続人ではない人に財産を渡したい場合も、遺言が必要です。何十年連れ添っても、戸籍上の届けが出ていない夫婦は、相続においては相続権がありません。認知していない子供も、戸籍上ご自身の子ではありませんので、相続権がありません。

また、お孫さん、お世話になった人、病院や介護施設などへ財産を渡したい場合も、同様です。とにかく、相続人でない人や団体へは、遺言がなければ一切財産を渡せないので、この点はじゅうぶん心にとどめておいてください。

「会社を経営しており、後継者を長男に決めている」「不動産賃貸をしている」といった方も遺言が必要です。遺言がなければ、相続人同士の話し合いで遺産を分けますが、相続税の申告期限が迫る中、慌てて株式や不動産などの財産基盤を複数の相続人で分散すると、事業継続が困難になるリスクが想定されます。このような事態を防ぐために、じゅうぶんに事前検討を重ねた遺言を書く必要があります。

遺言があればかなえられることはたくさんあります。そして、一澤帆布騒動に学ぶべきことは、「遺言を書くなら公正証書遺言で」に尽きるでしょう。

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井口 麻里子(いぐち・まりこ)
税理士
辻・本郷税理士法人所属。メガバンクのプライベートバンキング部門への出向経験を持ち、富裕層から一般層までさまざまな相続のケースを手掛ける。現在は同社の相続部にて相続のスペシャリストとして活動。井口麻里子のブログ

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(税理士 井口 麻里子)

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