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認知症患者を子供扱いすべきでない本当の理由

プレジデントオンライン / 2019年12月29日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/imtmphoto

2年前に自らも「認知症になった」と公表した専門医がいる。医師の長谷川和夫氏は「嘘をついて、騙して受診させるケースもあるようですが、ボクは騙すのは反対です。何となくおかしい、尊厳をもって扱われていないということは、認知症になってからでもわかります」という――。

※本稿は、長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■認知症ケアの指針「パーソン・センタード・ケア」とは

ボクは、愛知県東春日井郡(現・春日井市)で生まれ、銀行員の父と、優しい母のもとで育ちました。医者をしていた叔父に野口英世の伝記を薦められて読み、医者という仕事をしたいと思うようになりました。その後、東京慈恵会医科大学に入り、脳科学や精神医学に興味をもちました。

やがて認知症と出合い、その研究や仕事をしてきたすえに、自分も認知症になりました。そういうことがあって、いまの自分がある。こんな経歴と、ボクのような周囲との絆をもっているのは、自分一人だけです。人はみんな、それぞれ違っていて、それぞれが尊い。認知症になったからといって、その尊厳が失われるわけではありません。

こうした考え方を学問的に研究し、広めた人がいます。イギリスの牧師、心理学者、大学教授のトム・キットウッド(1937~1998年)という人です。認知症ケアの分野のパイオニアで、「パーソン・センタード・ケア(person-centered care)」を提唱したことで有名です。

「パーソン・センタード・ケア」とは、日本語に訳せば「その人中心のケア」。これは、その人のいうことを何でも聞いてあげるということではありません。その人らしさを尊重し、その人の立場に立ったケアを行なうということです。

■言うは易く行うは難し「その人中心のケア」

ボクは2000年に認知症ケアを研究する高齢者痴呆介護研究・研修東京センター(現・認知症介護研究・研修東京センター)のセンター長となり、医療だけでなく、介護の分野にも深くかかわるようになりました。当時、認知症ケアをどうしたらよいかは手探りで、みんなが共有できる指針や理念がなかなか見つかりませんでした。

そんなときに偶然、トム・キットウッドが書いた“DEMENTIA RECONSIDERED”(1997年刊)という本と出合って、これだ! と思ったのです。この考えをぜひ、日本中に広めたいと思いました。

あれからかなりの年月がたっても、「パーソン・センタード・ケア」の重要性は少しも変わっていないと感じます。「一人ひとりが違う」「一人ひとりが尊い」「その人中心のケアを行なう」……言葉でいうのは簡単ですが、実行するのはなかなか難しい。ぜひ、認知症の人と接するときに、この言葉を忘れずにいていただけたらと思います。

■ケアを必要としている人と「同じ目線の高さ」で

ボクが大好きな物語があります。聖マリアンナ医科大学に勤めていたとき、同僚だった方が、あるコラムに書いたものです。たしか、次のような内容でした。

公園を歩いていた小さな子が転んで泣き出しました。すると、4歳くらいの女の子が駆け寄ってきました。小さな子を助け起こすのかと思って見ていたら、女の子は、小さな子の傍らに自分も腹ばいになって横たわり、にっこりと、その小さな子に笑いかけたのです。泣いていた小さな子も、つられてにっこりとしました。しばらくして、女の子が「起きようね」というと、小さな子は「うん」といって起き上がり、二人は手をつないで歩いていきました——。

ボクは、この女の子は「パーソン・センタード・ケア」の原点を表しているように思うのです。泣いている、転んだ小さな子のもとに駆け寄って、上から手を引いて起こすのではなく、まずは自分も一緒になって地面に横たわり、その子の顔を見る。

これは、ケアを必要としている人と同じ目線の高さに立つということです。それから頃合いを見て、自分で起き上がってみようと勧めます。自力で起き上がることができた小さな子は、さぞ嬉(うれ)しかったことでしょう。

■下手に手を貸さず、しかも貸しすぎない

下手に手を貸さず、しかも貸しすぎない。時間をかけて十分に待つ。自主性を尊重しつつ、さあ、前に向かって進んでみようと誘ってみる。この女の子が見せてくれたような、こうしたケアが日本中に広まったらいいなと願ってきました。

思えば、ボクが認知症とかかわりはじめたころは、みな、認知症の人とどう接したらよいのかわからず、部屋に閉じ込めたり、薬でおとなしくさせたりしていました。そうしたことが、いまでもないとはいえません。それでも日本のケアは大きく進歩したし、改善したと感じています。

■デイサービスで分かった職員さんの仕事ぶり

自分が認知症になってわかったこととして、デイサービスの体験についても触れておきたいと思います。認知症になってデイサービスを利用するようになり、そこでいろいろな人に会っておしゃべりしたり、お風呂に入れてもらったりしました。これは非常に勉強になりました。

いままでは、自分が医者の立場から患者さんに「デイケアやデイサービスに行ったらいいですよ」と勧めていました。自分が反対の立場になったら、いろいろ見えてくるものがあります。

とくにいいなと思ったのは、デイサービスに行ったときに受ける入浴サービスです。職員の方がお風呂で身体を洗ってくれて、さっぱりしてじつに気持ちがいい。王侯貴族のような気分です。

利用者の人たちとも仲良くなりました。あと何といっても感心したのは、職員の方たちの仕事ぶり。利用者のことを一人ひとり、よく知っていて、何かあるとすぐに声をかけてくれます。利用者が帰ったあと、ミーティングをして、綿密にケアのことを考えているのです。

利用者としっかりしたコミュニケーションをとっている姿を見て、これはたいした組織だなと思いました。日本のケアは、こういう方たちの努力の上に成り立ってきたのだなと実感し、こうしたサービスを上手に利用することの大切さを、当事者になって感じたのです。

■生まれて初めてのショートステイ

2019年には、自宅近くの有料老人ホームで、生まれて初めてショートステイ(短期的に施設に入所して、支援が受けられるサービス)を利用しました。2泊3日です。ボクは家内と二人暮らし。子供たちは何かと気にかけてくれて、よく助けてくれるけれど、家内に万が一のことがあった場合のことを考えて、一度、ショートステイを利用しておこうという話になりました。

その有料老人ホームは、それまで2~3回、訪れたことがあります。ボクが認知症であると公表したこともあって、「入居者のみなさんに、一度、話をしに来てください」と頼まれたからです。そこでスタッフの人たちとも顔を合わせていたので、ショートステイを利用する際にも、不安はまったくありませんでした。

どうでしたかって? よかったですよ。やはりここでも、スタッフがよく教育されているのを感じました。職員の人たちが、こちらをうまくのせてくれるというか、その気にさせてくれるのです。「長谷川さん、お食事ですよ」とか「体操の時間ですよ」とか。明るく声をかけられると、こちらも「じゃあ参加しようか」という気持ちになります。サービスを利用してみることの大事さを、ここでも感じました。

ただ、一泊したところで「もう、家に戻りたい」と思ったことも事実です。家にいると電話が鳴ったり、届け物が来たり、近所の人が寄ったり、バタバタしているけれど、生活のにおいがありますから。デイサービスも正直、つまらないなとか、行きたくないなと思うときもあったりしますが、そんなときは、家内が少しでも楽になるならと思い直しています。

■認知症の人を「騙さない」

認知症の人に接するときの心得として、「騙(だま)さない」ということも挙げておきたいと思います。ボクが現役時代、よく相談されたことの一つに、認知症の診断を受けさせたいが、本人に対してどういえばよいのか、というものがありました。

嘘(うそ)をついて、騙して受診させるケースもあるようですが、ボクは騙すのは反対です。ボク自身はそうしませんでした。騙したら、騙されたほうは怒って、今度は、こちらを騙すことも出てくるでしょう。

「相手は認知症だから大丈夫だろう」と、認知症のことをよく知らない人は思いがちですが、そうではありません。何となくおかしい、尊厳をもって扱われていないということは、認知症になってからでもわかります。認知症だからといって色眼鏡で見ることなく、普通に接してほしいと思います。

ボクは自分が診察をしていたときは、いつもご本人とご家族に同席してもらっていました。ご家族とだけ話をされるというケースもあるようですが、自分抜きで家族と先生が入院させる算段をしている、そうにちがいないなどと、ご本人に余計な心配や詮索をさせたくなかったのです。

■認知症と関わって50年、患者と家族に多くを教わった

とはいえご家族から、本人の前ではいいにくい話があります、といわれたときは、ご本人に「しばらくのあいだ、待合室でお待ちいただけますか? 話が終わったらすぐにお呼びして、話の内容をお伝えしますから」と了解をとってから、席を外してもらっていました。

長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)

認知症の人とのかかわり方で、ご家族からこちらが教えてもらうこともたくさんありました。

認知症の人は何度も同じことを尋ねたりしますが、男性の認知症の患者さんと一緒に来られるご家族に、「奥さま、たいへんですね」と話しかけると、「うちの人、無口だったのが、いまではしょっちゅう同じことだけど聞いてくるの。同じ答えをしていればいいので楽です。夫婦の会話が増えたと思えば、認知症も悪くないですよ」といって笑われたのです。それがとても印象的でした。

ボクは50年ほど認知症とかかわってきたけれど、ご本人とご家族からじつに多くのことを教わりました。たくさんの豊かな時間をいただいたと感謝しています。

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長谷川 和夫(はせがわ・かずお)
認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授
1929年愛知県生まれ。53年、東京慈恵会医科大学卒業。74年、「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表(改訂版は91年公表)。89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。「パーソン・センタード・ケア」を普及し、ケアの第一人者としても知られる。現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授。認知症を描いた絵本『だいじょうぶだよ――ぼくのおばあちゃん――』(ぱーそん書房)の作者でもある。

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(認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授 長谷川 和夫)

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