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「認知症を理解したつもり」だった専門医の反省

プレジデントオンライン / 2020年1月10日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PIKSEL

認知症研究の第一人者が認知症になり、身をもって知ったことがある。医師の長谷川和夫氏は「認知症を発症しても突然、人が変わるわけではありません。『何もわからなくなってしまった人間』として、一括りにしないでいただきたい。一人の人間としてじっくり向き合ってほしいと思います」という——。

※本稿は、長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■認知症で突然、人が変わるわけではない

ボクは認知症の臨床や研究を半世紀にわたって続けてきました。でも、自分が認知症になって初めてわかったことが、いくつもあります。まず何よりもいいたいのは、これは自分の経験からもはっきりしていますが、「連続している」ということです。

人間は、生まれたときからずっと連続して生きているわけですから、認知症になったからといって突然、人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます。

それから、認知症は「固定されたものではない」ということです。普通のときとの連続性があります。ボクの場合、朝起きたときが、いちばん調子がよい。それがだいたい、午後1時ごろまで続きます。

午後1時を過ぎると、自分がどこにいるのか、何をしているのか、わからなくなってくる。だんだん疲れてきて、負荷がかかってくるわけです。それで、とんでもないことが起こったりします。

夕方から夜にかけては疲れているけれども、夜は食べることやお風呂に入ること、眠ることなど、決まっていることが多いから、何とかこなせます。そして眠って、翌日の朝になると、元どおり、頭がすっきりしている。

■良くなったり悪くなったりの「グラデーション」

そういうことが、自分が認知症になって初めて身をもってわかってきました。認知症は固定したものではない。変動するのです。調子のよいときもあるし、そうでないときもある。調子のよいときは、いろいろな話も、相談ごとなどもできます。

もちろん、人によって認知症のタイプも症状の現れ方もいろいろで、全部が全部、ボクのようではないかもしれません。しかし、専門医であるボク自身、認知症はなったらそれはもう変わらない、不変的なものだと思っていました。これほどよくなったり、悪くなったりというグラデーションがあるとは、考えてもみなかった。

だから、認知症といってもいろいろで、ボクのようなケースもあるということを、そして、いったんなってしまったら終わりではないということを、みなさんにぜひ知ってもらえたらと思います。

固定したものではないわけですから、ひとたび認知症になったら「もうだめだ、終わりだ」などと思わないでほしいし、周囲も、「何もわからなくなってしまった人間」として、一括りにしないでいただきたいのです。

■「ボクたちを置いてきぼりにしないでほしい」

認知症への理解はかなり進んできましたが、それでも、認知症と診断された人は「あちら側の人間」として扱われていると思うことがあります。こちら側の人間だと思っている人たちは、あちら側の人間はまともに話ができないとか、何をいってもわからないなどといったりします。

認知症の人の前で、平気でそうしたことを口にし、人格を傷つけるようなことが話されている場合もあります。

でも、それは間違いです。話していることは認知症の人にも聞こえているし、悪口をいわれたり、ばかにされたりしたときの嫌な思いや感情は深く残ります。だから、話をするときには注意を払ってほしい。認知症の人が何もいわないのは、必ずしもわかっていないからではないのです。

存在を無視されたり、軽く扱われたりしたときの悲しみや切なさは、誰もが大人になる過程で、そして大人になってからも、職場や家庭で多かれ少なかれ体験していることでしょう。そうしたつらい体験がもたらす苦痛や悲しみは、認知症であろうとなかろうと、同じです。

何かを決めるときに、ボクたち抜きに物事を決めないでほしい。ボクたちを置いてきぼりにしないでほしいと思います。

■きちんと待って、じっくり向き合ってほしい

みなさんが認知症の人と接するとき、ぜひ、心に留めておいていただきたいことがあります。まず、相手のいうことをよく聴いてほしい。「こうしましょうね」「こうしたらいかがですか」などと、自分からどんどん話を進めてしまう人がいます。

そうすると、認知症の人は戸惑い、混乱して、自分の思っていたことがいえなくなってしまいます。「こうしましょう」といわれると、ほかにしたいことがあっても、それ以上は何も考えられなくなってしまう。それは人間としてあるべき姿ではない。

だから「今日は何をなさりたいですか」という聞き方をしてほしい。そして、できれば「今日は何をなさりたくないですか」といった聞き方もしてほしい。

それから、その人が話すまで待ち、何をいうかを注意深く聴いてほしいと思います。「時間がかかるので無理だ」と思うかもしれません。でも、「聴く」というのは「待つ」ということ。そして「待つ」というのは、その人に自分の「時間を差し上げる」ことだと思うのです。

認知症はやはり、本人もそうとう不便でもどかしくて、耐えなくてはいけないところがあるから、きちんと待って、じっくり向き合ってくれると、こちらは安心します。

■認知症の人も「一人の人間」

話しかける際は、遠すぎず、近すぎず、その人と1メートルくらいの距離をとったところで言葉をかけてもらうのが、ちょうどいい。目線の高さも大事です。上から見下ろすのでも、下から見上げるのでもなく、同じ高さにして、目と目を合わせる。

長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)

認知症になったら「何もわからなくなる」と思っている人がいます。でも、心は生きています。嫌なことをされれば傷つくし、褒めてもらえばやはり嬉しい。何よりも心に留めておいてほしいのは、認知症の人も自分と同じ「一人の人間」であり、この世にただ一人しかいない唯一無二で尊い存在ということです。

生活環境をシンプルにすることも大事です。できるだけ単純なほうがよい。複雑な環境でないほうがよいのです。トイレがどこにあるかとか、寝る場所の位置とか、大事なものほど覚えやすく、見えやすいようにし、動きやすいようにしておくのが大切です。

また、認知症の人は、同時にいくつものことを理解するのが苦手です。一度にいろいろなことをいわれると混乱して、疲れの度合いが深まります。同じことを伝えるにしても、なるべくシンプルにわかりやすく、一つずつにしてほしい。これは、伝える側の心がけ次第で大きく変えることができる点です。

■大切なのは「役割を奪わない」こと

認知症の人を、ただ「支えられる人」にして、すべての役割を奪わないということも心がけていただきたい。役割というのは、別に難しいことではなくて、何でもよいのです。

台所仕事が得意なら、台所仕事の役割、大工仕事が得意なら、大工仕事の役割。あるいは認知症の人たちが一緒に暮らすグループホームで料理をつくるとき、じゃがいもの皮を剥くことなどがありますが、剥くのが上手な人がいたら、お願いして、その役割を担っていただく。

その人の得意分野だと頼みやすいし、引き受けてもらいやすいと思います。あとは、繰り返しますが、どうか褒めることを忘れないでほしいと思います。

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長谷川 和夫(はせがわ・かずお)
認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授
1929年愛知県生まれ。53年、東京慈恵会医科大学卒業。74年、「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表(改訂版は91年公表)。89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。「パーソン・センタード・ケア」を普及し、ケアの第一人者としても知られる。現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授。認知症を描いた絵本『だいじょうぶだよ――ぼくのおばあちゃん――』(ぱーそん書房)の作者でもある。

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(認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授 長谷川 和夫)

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