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なぜ長嶋茂雄とイチローは「変わっている」のか

プレジデントオンライン / 2019年12月23日 15時15分

全日本選手権決勝の観戦に訪れた長嶋茂雄氏(手前左)。母校立大の優勝を見届け、ファンに囲まれながら球場を後にする=2017年6月11日、神宮球場 - 写真=時事通信フォト

子供の頃に熱中したスポーツは、人格形成に大きな影響を与えているのではないか。集団競技か、個人競技か。ポジション、プレースタイル、ライバルの有無……。ノンフィクション作家の田崎健太氏は、そんな仮説を立て、「SID(スポーツ・アイデンティティ)」という概念を提唱している。この連載では田崎氏の豊富な取材経験から、SIDの存在を考察していく。第2回は「野球の打者」について――。

■ボールの軌道の記憶を多数持った超人

プロの打者とは超人である――。

マウンドに置かれたピッチャープレートと打者の目の前にあるホームプレートの距離は18.44メートル。投手が150キロ以上の速球を投げたとき、ピッチャープレートからホームベースまでの到達時間は単純計算で0.45秒を切る。

打者がバットを振るのに掛かる時間は約0.2秒、脳が躯に命令を下して実際に動くまでの神経反応は約0.3秒弱と言われている。この2つを足すと0.5秒弱。つまり、理論上は脳が球が来ると思ってからバットを振っても間に合わない。打てないということになる。

それでも打者は150キロ以上の球を打ち返している。脳科学者の林成之はこれは「イメージ記憶」によるものだと説明している。

〈プロのバッターが豪速球を打ち返すとき、じつはボールを見ている脳と同時に、ボールを見ていない脳も使っているのです。(中略)バッターはピッチャーが投球動作をしている段階から、ボールが手元にくるまでの起動をイメージ記憶をもとに予測して、バットを振るのです〉(『〈勝負脳〉の鍛え方』)

林によると、優れた打者は、ボールの軌道の記憶を多数持っており、投げられた瞬間にその過去の軌道を分析してバットを振っているのだという。

■“握り”を見分けるメジャーリーガー

脳とは人間の躯の中で最も解明されていない器官の一つでもある。

神経科学者の藤田一郎は、霊長類の脳の中には30数カ所の視覚を司る場所があると前置きした上で、〈「見る」ことを1つとっても、脳のどこか1カ所が働いているわけではなく、たくさんの場所で順番の処理しながら、しかも複数の経路が階層的かつ並列的なネットワークとして機能〉していると『脳ブームの迷信』で書いている。

そして、実際にどのように脳が機能しているかは、厳密な科学実験による検証が必要であると警鐘を鳴らしている(右脳と左脳の区分、あるいは脳は通常10パーセントしか働いていないという類は全く科学的な裏付けのない迷信である)。

ごく一部ではあるが、メジャーリーガーは投手が球を離す瞬間の“握り”で、直球なのか変化球なのか見分けることが出来るらしいと故・伊良部秀輝が教えてくれた。

ぼくは何人かのプロ野球経験者にこの話をしたが、あり得ないよと笑って否定された。つまり彼らは0.45秒より短い時間で、どんな球が来るのかの像を頭に描き、バットを振っている。打撃とは3割打てれば成功、7割は失敗である。とはいえ、勝負所でこそ力を発揮するという種類の打者もいる。集中力を増したときに、彼らは何かを何かを感じているのではないかとぼくは思うようになった。

■配球を読み、感じる力

打者は打席でどんな風にして投手と向き合っているのか。好打者のSIDというものはあるのか――。

野村克也は打撃についてぼくにこう教えてくれた。

「技術力には限界がある。そこから先がプロの世界だ。バッティングは感性と頭脳。感じる力、考える力」

考える力とは配球を読むことである。では感じる力とは何か。野村に尋ねたが、うーん、説明は難しいなという答えが返ってきた。

野村の「感じる力」を少し具体的に説明してくれたのは、佐伯貴弘だった。彼は横浜ベイスターズ、中日ドラゴンズでプレーし、現役通算1597安打を記録している。

2003年シーズン、佐伯はアメリカから阪神タイガースに戻ってきた伊良部秀輝を打ち込んだことがあった。そのとき、伊良部から、自分の癖を見抜いているだろうと電話が掛かってきたという。

佐伯は尽誠学園で伊良部の一年後輩に当たる。高校時代の一学年の違いは、絶対だ。仕方なく、佐伯は癖を2つ教えた。しかし、伊良部はまだあるだろうと食い下がった。ないですよと、佐伯は否定した。

■直球と変化球のときに不思議とわかる

伊良部には教えなかったが、確かにもう1つあったのだと佐伯はぼくに言った。しかし、それは言葉にすることができなかったと付け加えた。

「直球と変化球のとき、マウンドのシルエットが違うんです。口では説明できないんです。グラブのちょっとした向きとかかもしれない。でもぼくにはわかる。伊良部さんに言いたくても言えなかった」

佐伯は両方の手で掌をひょうたんを描くように動かした。

「人の形が違うというんですかね、言葉では説明できないんです」

佐伯はマウンドの伊良部から、何かを感じ取っていたのだ。

佐伯は投手と打者の関係について、興味深い話をしてくれた。彼は伊良部に、どういう打者が嫌ですか、と聞いたのだという。すると伊良部の口から佐々木誠の名前が出てきた。

佐々木は、南海ホークスから福岡ダイエーホークス、94年から西武ライオンズに所属していた左打ちの外野手である。92年に首位打者になっている。

「伊良部さん曰く、自分もバッターに対して牙を剥く。佐々木誠さんも牙を剥いてくる。向かってこられるので、本当に投げるところがない。見逃すだろうと思ったボールに、ポンと突然バットが出て来る、と」

佐伯の話を聞きながら、居合いの達人による果たし合いを思い浮かべた。

投手と打者の間にある、18.44メートルは結界のようなものだ。投手の腕から飛んで来るのは鉛の球である。頭部に当たれば、生死に関わる。その球筋は、前述のように投手の手を離れた瞬間には分からない。打者は当然、神経を研ぎ澄ますことになる。そして、優れた打者は常人では理解できない領域に到達する――。

いわば「奇人変人」の部類である。

■室内で銃を乱射し、バーボンを飲みながら雪道を爆走

奇人変人の大打者としてまず頭に浮かべるのは、9年連続首位打者、三冠王、打率4割などの記録を残した、メジャーリーグ最高の打者、タイ・カッブだ。

トミー・リー・ジョーンズがタイ・カッブを演じた。『タイ・カッブ』(原題「ザ・カッブ)という映画がある。自伝執筆の代筆――ゴーストライターの依頼を受けたスポーツライターである、アル・スタンプが、晩年のカッブに会いに行くところから物語が始まる。そこで彼が見たのは、黒人の使用人に人種差別の言葉で罵倒、室内で銃を乱射し、バーボンを飲みながら車のハンドルを握り、雪道を猛スピードで走る、性格破綻者の姿だった。アル・スタンプはカッブの死まで、彼の狂気に付き合うことになる――。

しかし――。

後年の調査で、スタンプがカッブに会ったのはほんの数日間のみ、この作品及び原作で描かれたことはほとんど捏造であったことが分かった(不幸なことに、この作られたカッブの像が定着し、後に製作された『フィールド・オブ・ドリーム』などにも反映されることになる)。

人は自分の信じたいことを信じるものだ。カッブのような並外れた成績を残した打者は、常人離れしていると思い込みたい、という心理が働いたというのもあるだろう。

そして、実際にカップは一風変わっていた。観客に殴りかかる、あるいは打撃、走塁技術に強い拘りを持っていたことは事実である。

■理屈がないと消化不良になる

日本に目を向けると――。

長嶋茂雄の有名な話として、球場に連れて行った長男の一茂を忘れて帰ってきたというのがある。打撃のことに入れ込みすぎて他のことを忘れてしまったのだろう。これは長島の“天然”な面として微笑ましく捉えられているが、普通では考えられない。

また、監督時代、他人に理解できないオノマトペを多用した指導など、彼の愛嬌あるキャラクターがなければ、変人である。

また、長嶋の同僚であった王貞治も同じである。

ぼく個人は彼がフロント入りした後の穏やかな姿しか知らない。ただ、当時を知っている人からは、王の激しい気性、打撃に対する思い入れは聞かされたことがある。そもそも彼のトレードマークとも言える一本足打法を掴んだのは、日本刀を使っての練習であることは有名である。その練習を強いた荒川博も、それを疑うことなく従った王も奇人である。

近年、最高の打者であるイチローもそこに加えていい。

『イチロー・インタビューズ』で著者であるスポーツライターの石田雄太はイチローに丹念に話を聞いている。その中にこんなやり取りがある。

〈――自分自身で、“鈴木一朗”って、どんなヤツだと思っています?

【イチロー】うーん……どんなヤツだろう。まあ、つきあいづらいヤツだろうね(笑)。どっちかというと、理屈で話を進めていくタイプだから。理屈じゃないところが多い人って、けっこういるじゃないですか。僕はそこを突いていっちゃうわけですよ。そうすると、「やなヤツだなあ」って思われるでしょう。それは、つきあいづらいですよね。そうじゃないと納得できない性格だから。理屈で理解させてくれないと、消化不良な感じがするんです〉

ぼくはイチローと親しかったスポーツライターの永谷脩の担当編集者だった時期がある。そのため、ぼくは彼と軽く接触したことがある。彼の自己分析通り、どこか他人を突き放したような印象を与える男だった。

■衝突を厭わず渡り歩く浪人

前出の佐伯も取材嫌いで知られている。

ぼくは佐伯の恩師である尽誠学園の監督だった大河賢二郎を通じて、彼に連絡をとった。しばらくして、佐伯からぼくの携帯電話に連絡があった。伊良部さんについてはまちがった情報ばかりが出ているので話したくない、しかし、監督からの頼みなので会う、話すかどうかは会ってから決めてもいいか、という。取材に対してこうした返事が来たのは初めてだった。

横浜の繁華街の彼の指定した店の個室で会うことになった。最初、彼は半ば喧嘩腰だった。ぼくが伊良部について丹念に取材を続けていることを説明すると、次第に表情が柔らかくなった。そして話が止まらなくなった。4時間ほど話を聞いた後、彼は駅までぼくを車で送ってくれた。取材中、酒を一滴も飲まなかったのだ。ぼくにとって最も印象に残る取材の1つになった。自分のバット――刀一本に拘り、衝突を厭わず渡り歩く浪人のような男だと思った。

いい打者のSIDは「奇人変人」的な「求道者」的性格なのである。(続く)

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田崎 健太(たざき・けんた)
ノンフィクション作家
1968年3月13日、京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。

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(ノンフィクション作家 田崎 健太)

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