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一流ランナーの条件"羊羹を5ミリに切れるか"

プレジデントオンライン / 2020年1月7日 15時15分

名古屋ウィメンズマラソンの結果を受けて、記者会見する日本陸連の長距離・マラソン強化戦略プロジェクトのリーダーを務める瀬古利彦氏=2017年3月12日、ナゴヤドーム - 写真=時事通信フォト

子供の頃に熱中したスポーツは、人格形成に大きな影響を与えているのではないか。集団競技か、個人競技か。ポジション、プレースタイル、ライバルの有無……。ノンフィクション作家の田崎健太氏は、そんな仮説を立て、「SID(スポーツ・アイデンティティ)」という概念を提唱している。この連載では田崎氏の豊富な取材経験から、SIDの存在を考察していく。第3回は「マラソンランナー」について――。

■朗らかで話が途切れない明るい男

ぼくが瀬古利彦と初めて会ったのは、1999年7月のことだった。

このとき、98年ワールドカップで日本代表を率いていた岡田武史がコンサドーレ札幌の監督となっていた。ぼくの友人たちが“私設岡田武史応援団”なるものを立ち上げており、その一員として、札幌で行われた試合を観戦することになったのだ。

試合後の食事会に岡田が顔を出した。そしてエスビー食品の陸上部監督だった瀬古が、合宿で北海道に来ているはずだ、呼び出そうと言い出したのだ。岡田と瀬古は早稲田大学出身であり同じ年だった。

瀬古利彦という名前を聞いたとき、現役時代の苦渋に満ちた、痩せた逆三角形の顔が浮かび上がってきた。ところが店に現れた、実際の彼は全く違っていた。朗らかで話が途切れない明るい男だったのだ。

全く思っていた人と違いましたとぼくが軽口を叩(たた)くと、彼は「みんなにそう言われるんだよ」と大笑いした。

求道者のような、瀬古の像を作り上げたのは、早稲田大学競走部で出会った中村清である。

■受験のストレスで走る気力がなくなり、10キロ太る

瀬古は大学入学前に大きく躓(つまず)いている。

インターハイなどで目覚ましい成績を残していた瀬古には多くの大学から誘いがあった。中でも高校の監督から陸上に力を入れている、自らの出身校を強く薦められた。

「でも(陸上部の)部長は早稲田に行ったらどうかって。うちの父は“ずっと走るわけじゃないし、行けるんだったら早稲田大学のほうがいいんじゃないか”って。それで早稲田を受けたんです」

瀬古は一般入試で教育学部と商学部を受験することにした。陸上の成績が加味されるため、ある程度以上の成績を取れば合格だと聞かされていたのだ。ところが両学部とも不合格――。

「もう目の前が真っ暗になりましたよ。俺の人生どうなっちゃうんだろうって思いました」

そこで二人の跳躍競技の選手と共に南カリフォルニア大学陸上部で練習しながら、翌年の受験に備えることになった。

「5月からロサンゼルスに行きました。向こうは9月から入学ですから、それまでは自炊しながら自分たちで練習。9月からは大学で練習したんですけれど、長距離の選手がいなかった。コーチもいたけれど、長距離の専門家じゃなかったんです。次の入試で受かるんだろうかっていう不安もあったし、ホームシックにもなりました。ストレスが溜まって走る気力がなくなって、10キロ太りましたものね」

■世界一のために、土のついた草を食えるか

1年後の入試で合格、早稲田大学に入ることになった。入学前、瀬古は館山で行われた競走部の合宿に参加している。そこで中村と出会うことになった。

〈「心の中に、火のように燃え尽きない情熱をもって練習をしなければ、強くはなれない、泣く泣くやる練習はやっただけだ」
「今日から初めて陸上をするという原点に返った決心で、練習をすること」
全員を目の前に、先生は、確かそのようなことを言ったと記憶している。(中略)
そして「今の早稲田が弱いのは、お前たちの面倒をみなかったOBのせいだ。OBを代表して私が謝ります」と言って、自分自身の顔を、思いっきり平手でバンバンと手加減なしに、何十発も殴った。
あっけにとられて見ていると、今度は辺りに生えている草をむしり、土の塊のついた草を手に取るとこう言った。
「これを食ったら世界一になれると言われたら、私はこれを食える。練習も同じで、なんでも素直にハイと返事をしてやれなくては、強くなれないんだ」
まさか食べるわけはないだろう、と思った瞬間、土のついた草を口の中に入れ、草を噛みちぎって、土をジャリジャリと言わせながら食べてしまった。
その直後に、こう言われた。
「瀬古、マラソンをやれ。君なら世界一になれる」〉(瀬古利彦『瀬古利彦 マラソンの真髄』)

■根性なしの私がマラソンなんかできるのか

入学前まで中距離走に注力するつもりだった。中村の熱に気圧された瀬古はマラソンをやると宣言することになった。

「その当時、早稲田は予選落ちで箱根駅伝に出られていなかったんですよ。それで中村先生が早稲田に帰ってくることになった。アメリカ留学中から誰かに教えてもらいたいという思いはずっとあったんです。このままだと潰れるって分かっていました」

自分にマラソンランナーとしての資質があるかは自信がなかった。

『マラソンの真髄』でもこう書いている。

〈マラソンをやると決めても、ロサンゼルスで毎日のように泣いていた根性なしの私がマラソンなんかできるのだろうかと常に思っていた。
父親も、先生に「うちの息子は根性がないので、マラソンなんてできないと思います。でも、先生ができるとおっしゃるのなら、お預けします。煮ても焼いてもいいですから、よろしくお願いします」と言ったほどだ。
マラソンは、君原健二さん(メキシコ・オリンピック銀メダリスト)や円谷幸吉さん(東京オリンピック銅メダリスト)のように、苦しくても、つらくても、粘りに粘って最後まで頑張り抜くことができる、忍耐強い人に向いている種目だ。高校時代に「練習をしない瀬古」と言われていた私に、それはない〉

■「こんなに苦しいのか。もっと練習しなきゃ」

浪人期間の1年間で増えた体重を落としながら、1万メートル、5000メートルのレースに出場している。10月に行われた日本学生対抗選手権(インカレ)の5000メートルで優勝、しかし1万メートルでは6位に終わっている。77年1月2日の箱根駅伝では2区を任された。

しかし――。

「区間11番でしょ。12月に怪我をしちゃって全く練習できなかったんです。そもそも相変わらず長い距離は走れなかった。中村先生も“瀬古ってほんとにマラソン選手になれるかな”って周囲にこぼしていたらしいです。もちろん私には言いませんでしたけれど」

そして2月13日、京都マラソンに出場している。初めてのマラソンだった。

瀬古は、相変わらず自分の資質は中距離走にあるのではないかと思いながらマラソンの練習をしていた。

「練習した割にスタミナがつかないなってずっと思っていました。さらに走る前から、マラソンは苦しい、苦しいって言われていたんです。そんなに苦しいのは嫌だなって。走る前から怖くて恐くて。どんなに苦しくなるんだと思っていたら、本当に苦しくなった」

想像以上でしたと、瀬古は大げさに顔をしかめた。

「マラソンってこんなに苦しいのかって。練習しなきゃ、こんな風になるんだ。もっと練習しなきゃいけないと思いました」

■ランナーズハイとペース配分

結果は2時間26分0秒で10位だった。

「(記録は)女子マラソンのレベルじゃないですか。とにかく走りきることだけを考えていました。(棄権したら)先生にボロクソ言われるじゃないですか。(次のマラソン出場まで)1年間言われるから、完走はしなきゃいけないって」

苦しみながら走りきった後、マラソンという競技の特性に朧気(おぼろげ)に気がついた。それはペース配分の重要性である。

「前半までは良かったんです。ハーフ(折り返し地点)までは順調、2時間13、4分のペースだったんです。でも後半ボロボロになった。ランナーズハイになってペース配分を間違えたんです」

長距離を走っているとまず苦痛を感じるものだ。その苦痛が通り過ぎると快感、恍惚感になる。それをランナーズハイと呼んでいる。このとき脳内にβ-エンドルフィンという快感ホルモンが発生しているという。

「ランナーズハイって練習のときにも起こるんです。マラソンの最中にそれとどう向き合うかは分からない。中村先生もそれまでマラソン選手を育てたことがなかった。だからペース配分を考えたこともなかった」

■1センチの羊かんを5ミリの厚さに切れるか

この年の12月に福岡国際マラソンが行われている。瀬古が意識したのは、5キロを15分から16分で走り続けることだった。

「(併走している車に設置されている)電光掲示板を見て、何分で走っているというのを計算するんです。ランナーズハイになると苦しくないから、もっと速く走ることができる。でも、絶対に行っちゃいけないって、我慢する。行きたいけれど、行っちゃいけない。それが苦しいんです。マラソンには辛さを我慢すること、そしてもう1つ、自分を抑えつける我慢。2つの我慢がある。行けるのに行かないという我慢の方が辛(つら)い」

この二度目のマラソンは2時間15分0秒で5位に食い込んでいる。翌78年12月の同じ福岡国際マラソン、2時間10分21秒で優勝。瀬古は日本陸上界に現れた新星として認められることになった。

その過程で瀬古は自らの適性に気がついた。

それは我慢する能力である。

「マラソンランナーというのは普段から自分を抑える練習をしなければならない。食欲、性欲もそう。私は食事制限とか得意だもの。腹減っているけど我慢する。食べ物が目の前にあっても食べない。例えば羊かんを1センチ(の厚さに切って)食べようとするじゃないですか。でもそこで5ミリしか食べない」

つまり、頭の中で1センチの羊かんを食べると想像しながら、そこでわざと半分である5ミリの厚さに切ることができるか、である。

「そういう我慢ができる人じゃないと、マラソンのコントロールはできないんです。マラソンって誰でもできる競技じゃない。もちろん肉体的、運動能力的にできるかできないかというのもある。それに加えて心が大切」

瀬古はそういうと胸をどんと音が聞こえそうな勢いで叩いた。

「筋肉と心、2つがないとマラソンランナーにはなれないんです」(続く)

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田崎 健太(たざき・けんた)
ノンフィクション作家
1968年3月13日、京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。

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(ノンフィクション作家 田崎 健太)

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