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「ブス」と呼ばれ続け死にかけた私が伝えたい事

プレジデントオンライン / 2020年1月15日 11時15分

40代の今になって、ようやく10代のことを振り返ることができたという - 撮影=プレジデントオンライン編集部

過去のつらい経験は、忘れたほうがいいのか。『この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。』(イースト・プレス)を書いた小林エリコさんが、新刊『生きながら十代に葬られ』(イースト・プレス)を出した。綴ったのは、クラスメートからのいじめ、親との衝突、諦めた夢のこと。小林さんの本は、なぜ読者の心を震わせるのか――。

■やっと「私はひどいことをされた」と気づけた

――なぜ、つらいことの多かった自分の10代について執筆しようと思ったのですか。

【小林】自分の過去を見つめ直しておかないと、この先私は幸せになれないんじゃないかという思いがあったんです。『生きながら十代に葬られ』を書き始めるまで、私は自分の10代の記憶に囚(とら)われていました。ちゃんと働いて、ひとり暮らしもできている自立した大人なのに「自分はまだ幸せじゃない」と苦しみ続けてしまう。いじめられていたことなんてもう思い出したくもないし、できればなかったことにしたいのに、生きている限りどうしても顔を出してきます。以前も引っ越しのときに荷物を整理していたら、中学校の卒業アルバムが出てきて。

――新刊に出てくる、同級生に「ブスエリコ」と書かれたアルバムですね。

【小林】これまでは、いじめられた経験をわざと中途半端に放っておいたんですよ。「死にたい、苦しい」という思いをはっきり自覚してしまうと、自分が崩れてしまうから。大人になって、10代の私が叶(かな)えられなかったもの、与えられなかったものを手に入れた今、やっと「私はとてもひどいことをされたのだ」と正しく認識することができました。

■自分をいじめた人のフルネームは覚えている

【小林】私が受けたいじめは、ずっとなかったものにされていました。たぶん学校の先生も気付いていないですし、両親も知らないと思うんです。私をいじめた人だって、私のことは絶対忘れていると思います。でもいじめられた側っていじめた人のフルネームをしっかり覚えているものなんですよ。漢字も間違えません。私のなかだけでくすぶっていたものを表に出すことで、こういう体験があったということは人に知ってもらいですね。私のいじめはなかったものではない、ちゃんとあったのだと。

――「この本を書いている間、私はほとんど泣いていた」とあります。当時の体験を書き起こすのは、相当苦しい作業だったのでは。

【小林】そうですね。以前、生活保護を受けていたころの体験を綴(つづ)った『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)という本を出したときには一度も泣かなかったのに。自分にとって、生活保護を受けながら自殺未遂を繰り返していたときよりも、10代のほうがはるかにつらかったです。

■自分を認めてくれる大人がひとりもいなかった

――当時を振り返って、周囲の大人にしてほしかったことや、かけてほしかった言葉はありますか。

【小林】先生がもう私のことを完全に問題児として見ていたので、最初に私の味方になってほしかったなとは思います。でも今考えてみたんですけど、私自身が先生に対して1ミリも期待していなかったので、正直あんまり思い浮かばないんですよね。

――先生には最初から期待をしていなかった。

小林エリコ『生きながら十代に葬られ』(イースト・プレス)

【小林】小学校のころから「あなたがいると迷惑なのよね」と先生に言われるような経験があったので。私の周りには、私のことを認めてくれる大人がひとりもいなかったのは、不幸なことだったんじゃないかと今になって思います。子どもの世界はどうしても家庭と学校になりがちです。狭い生活圏で暮らしていると、自分に与えられる評価も限られてきます。私の一番の救いは、高校生のときに多様な価値観のある人たちと知り合えたことでした。

――小林よしのりさんの漫画で知って足を運んだ「HIV訴訟を支える会」で、末広さんという大学生の女性と仲良くなるエピソードがありますよね。小林さんにとって末広さんはどんな存在でしたか。

【小林】末広さんは初めて私のことを褒めてくれた大人です。私は小学生のころから絵の展覧会でよく賞を取っていたこともあって「私を評価してくれるものは絵しかない」と思い込んでいましたが、末広さんは「エリコはたくさんものを知っているし、面白いし、難しい本をたくさん読んでいて偉いね」って。そういう風に私を褒めてくれた人は今までいませんでした。

■「みんな仲良く」「未来は明るい」なんて嘘っぱち

【小林】映画や漫画など、いわゆるサブカルチャーの話で一緒に盛り上がれたのもうれしかった。私は父親の影響で60年代や70年代のロックやテクノをよく聴いていたんですが、おかげで学校ではなかなか趣味の合う友だちが作れなくて。ジャニス・ジョプリンのことがめちゃくちゃ好きだったんですが、クラスの誰も知りませんでした(笑)。

――ジャニス・ジョプリンの音楽との出会いは、作中で章も割いて描かれています。

【小林】私の場合、とにかく衝撃的だったのは、ジャニスが「人生はすごくつらい、苦しい」ってことばかり言っていることだったんですよ。私の中で女の人というのはきれいな歌声で、恋の歌を歌ってばかりのイメージだったから、ジャニスが髪の毛を振り乱して、醜い表情をしながら「もう生きるのがめっちゃつらい、苦しい」と歌っているのが「いや、チョーかっこいい!」と思って。周りは基本的にみんな仲良くとか、未来はもっと明るいみたいなポジティブな言葉で誘導してきますが、私はそっちのほうが嘘(うそ)っぱちにしか思えなかったんです。

撮影=プレジデントオンライン編集部
新刊のタイトルは、ジャニスの死後に発売されたアルバム『パール』の収録曲「生きながらブルースに葬られ」へのオマージュだ - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■子どもには「失敗する権利」があると思う

――美大への進学を熱望したものの両親に反対されたというエピソードが登場します。小林さんに限らず、美大進学は親からの反対に遭う人が多いですよね。「安定した職に就けそうな進学先を選びなさい」という声には根強いものがあります。

【小林】親が子どもの進路を反対するのって、過去に自分が失敗した経験があるからだと思うんですよ。あるいは、自分が成功した方法で子どもにも成功してほしいから。でも私はやっぱり、子どもには失敗する権利があると思います。

――失敗する権利?

【小林】誤った道を進んで失敗するという経験は、子どもにとってすごく大事なことです。例えば、よちよち歩きの子どもが転びそうになったからって常に抱っこしてあげていたら、子どもは一生自分で歩くことができないじゃないですか。私たちは失敗することで次はどうしたらいいのか考えて、そうやって生きていくんだから。

■「美大に落ちた」経験すら手に入らなかった

【小林】私はどうしても大好きな絵で生計を立てたくて、そのために美大に入りたかった。美大に入るのはとても難しいことですが、失敗したらしたでよかったんです。何十万もかけてアトリエに通って、何回も留年して、それでも失敗して「ああ、私には絵の才能がなかった」とわかる。そういう経験がしたかったんですよ。私は受験すら反対されたので「美大を受けて落ちた」という経験すら手に入らなかった。死ぬほど努力したら、もしかしたら1ミリくらいは才能があったかもしれない。でもそれすらもう見極めることはできません。私は自分の可能性がわからないままでした。

――子どもから失敗する権利を奪っていることに気が付かない親は多そうです。我が子を危険から回避させているつもりで……。

【小林】でも、子どもは失敗できなかったことを後々まで恨んでしまいますよ。失敗さえできれば、ダメだった自分に納得できるのに。

写真=iStock.com/hobo_018
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hobo_018

■過去の記憶が苦しくても、人生は絶えず変化していく

――小林さんのように、現在も10代の記憶に苦しめられ続けている人に伝えたいことはありますか。

【小林】私もいまだに過去の記憶に引きずられることがありますが、人生は絶えず変化していくもの。今の自分の立ち位置をよく見つめて、「(10代は)昔のことだ」と自分に言い聞かせ続けることが大切だと思います。それから、経験を共有することです。世界で私ひとり、自分だけが味わっていると思っていた苦労や苦痛を、別の地域で同じように味わっていた人がいるとわかればいい。自分だけじゃなかったんだって。

――経験を分かち合える人や場所に出会うにはどうすればいいのでしょう。

【小林】やっぱり、自分の情報を開示していくということじゃないでしょうか。私は人からけっこう驚かれますが、初対面の人にも「私、精神疾患だから精神障害者手帳を持ってる」とパパッと言っちゃうんです。なぜかというと、先に言ったほうが、同じように精神を病んでいる人が「私もだよ」って言いやすいだろうから。精神科について尋ねられることも多いです。

■「偏見」は自分から打ち破っていく

――小林さんは著作のなかでも、自身のセンシティブな体験を真っ直ぐに打ち明けています。自分自身について語るのが怖いと思うことはありませんか?

【小林】そうですね……。もし批判が来るとしたら、それは私の言葉が足りなかったと思うしかないです。私の努力が足りないとか、考え方の幅が狭いと言う人がいても、社会にはさまざまな考え方があるのだから仕方がない。10人のうち1人にでもわかってもらえれば十分です。やっぱり、私をいじめていた人には私のことが理解できないと思うので。それはそういうものだと思っています。

――自分のことを積極的に開示するようになったきっかけはありますか。

【小林】自分が精神障害者になってしまったことがすごくショックだったんですよ。精神障害者手帳を取ったのは生きやすくなるためではありましたが、やっぱり公的な障害者になったという事実はかなりつらかった。自分で自分に対して「障害者」という偏見を持ってしまったんだと思います。「だったら自分から偏見を突破しよう」と、どんどん打ち明けることにしました。

自分のつらい体験を話すと、友だちも誘われるようにつらい体験を話してくれますからね。そういうのがどんどん言いやすい土壌にして、人と人が「弱さ」で人と人がつながれるようになるのが、すごくいいんじゃないかなと思いますね。

――人と人が弱さでつながれる世界。

「弱さ」というのはどんどん開示していったほうが、社会が優しくなってくると思うので。だって、長く生きていたら1回や2回は死ぬほどしんどいときってあるじゃないですか。成功談しか話さない人より、弱さを言える人のほうが、人に優しくできるんじゃないかなと思います。

撮影=プレジデントオンライン編集部
今を苦しんでいる10代に向けて、「今いる世界がすべてじゃない」というメッセージを送ってくれた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

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小林 エリコ(こばやし・えりこ)
作家
1977年生まれ。短大卒業後、エロ漫画雑誌の編集に携わるも自殺を図り退職、のちに精神障害者手帳を取得。現在は通院を続けながら、NPO法人で事務員として働く。ミニコミ「精神病新聞」を発行するほか、漫画家としても活動。著書に『この地獄を生きるのだ』(イースト・プレス)、『わたしはなにも悪くない』(晶文社)がある。

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(作家 小林 エリコ 聞き手・構成=いつか床子)

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