V字回復ファンケルがキリンに"身売り"の背景
プレジデントオンライン / 2020年2月10日 11時15分
■2003年に経営の第一線から退いたが、13年に復帰
企業にとって、サステナビリティはいまや社会的責任の一部となった。顧客、株主、社員などのステークホルダーがいるかぎり、企業は存続に努めなければならない。
次期社長の人選は、トップの最重要課題といわれてきた。1つの判断ミスから倒産しかねない「VUCA(ブーカ)の時代」は、その重要性がますます高まっている。
いったん会長に退いたカリスマ経営者が、業績不振から復帰したケースはいくつもある。ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄会長兼社長、メルカリの山田進太郎CEO(社長)……各社の事情は異なるものの、“社長復帰”からの経営再建が目立つ。
ファンケルの池森賢二会長もその1人。
自ら社長の65歳定年を決めて2003年に第一線を退いたが、会社は業績不振に陥り、経営再建のために復帰。創業者ならではの“大鉈”を振るい、大胆な戦略転換によって一気に業績をV字回復させた。
19年8月にキリンHDと資本業務提携を結んだのも池森会長の発案だ。ZOZO、LINEなど、M&Aによる事業継承が注目を集めるなか、池森会長が創業者として選択した“生き残り戦略”について語ってもらった。
カリスマ創業者が、後継者育成に失敗することは珍しくない。池森会長も10年の準備期間を設けながら、社内で次期社長を選ぶことはできなかった。会社の成長に合わせて人材も一緒に育つとは限らない。事業継承の難しさはそこにある。
■「65歳で引退」の意見に共感
65歳になったら経営の第一線から退く――そう決意したのは55歳のときでした。ある新聞記者と話すなかで「経営者は老害にならないように、65歳ぐらいで引退したほうがいい」という意見を聞き、「そのとおりだ」と共感したのがきっかけでした。また、ダイエーの中内(功)さんが引退の時期を見誤ったことも1つの教訓でした。
私は社内報「はぁもにぃ」に、残り10年で後継者を育て心置きなくバトンタッチしたい、と書きました。そして「期待する後継者像」として、
①私と価値観が合っていること
②10年くらいは勤めて力量が見極められていること
③「才」と「徳」を兼ね備えていること
④上からも下からも人望があること
⑤複数の帽子をかぶれること、すなわち会社全体の利益を考えられること……
という条件を示しました。1992年1月のことです。
しかし10年後、社内にその5条件を満たす人材はいませんでした。後継者の育成に失敗したのです。
そこで次期社長をお願いしたのが、ローソンの藤原謙次会長(当時)でした。ダイエー取締役からローソンの社長となり、店舗数を増やした実績を買ったのです。
03年に藤原社長が就任し、私は代表取締役会長となりました。その後経営は藤原社長に全面的に任せ、私は名誉会長に退きました。経営陣から相談を受ければアドバイスする立場です。
社員たちには毎月「はぁもにぃ」を通じて創業者メッセージを伝えました。
成果を出した社員を褒めたり、大企業病が蔓延ってないかと警告したり、ファンケルについて私が思うところを率直に綴った連載です。
03年から18年までのメッセージは、19年、『企業存続のために知っておいてほしいこと』(PHP研究所)にまとめました。
■売り上げ重視、規模拡大があだに
藤原社長も、自分なりにファンケルを強くしようと考えてくれましたが、ファンケルがこれまでやってきた路線とは異なり、売り上げ重視、規模拡大にかじを切った結果、利益は落ち込んでいきました。そこから宮島和美社長、成松義文社長とトップが交代しても、業績の低迷は続きます。
そのなかで唯一といっていい戦略的な取り組みが、12年に実施したブランド再構築、リブランディングです。
しかし、業績はみるみる悪化し、株価も落ちていきました。リブランディングは失敗だったのです。
そのなかには、私が知っていたら反対した施策がいくつもありました。海外進出に失敗して退かざるをえなかったり。「このままでは潰れてしまう」と、本気で心配するところまで経営状態は悪化しました。
ファンケルは当時、業界内で“3LDK”と揶揄された。ローソン(L)、ダイエー(D)、カネボウ(K)から移ってきた役員や社員が多くいたからだ。創業者が経営から退いて10年近くがたち、他社の企業文化が広がっていく。そのなかで展開されたリブランディングは、創業の理念や“ファンケルらしさ”からのズレを感じさせた。
■どれも“自己満足の芸術品”
社名のロゴや商品パッケージを一新しましたが、どれも“自己満足の芸術品”でした。見た目の格好よさを重視したことで、パッケージには読みづらい小さな横文字が並び、商品が何なのかちっともわからない。長年ご愛用くださっている年配のお客さまを無視しているように見えました。
私が無添加化粧品を思いついたのは70年代後半のことです。妻が「化粧品での肌荒れがひどい」とこぼすのを聞き、同じ悩みを抱える方がたくさんいることを知ったのです。化粧品に含まれている防腐剤や殺菌剤が主な原因でした。「それなら、防腐剤や香料を使わない無添加化粧品を作ればいい」と開発に取り組んだのが原点です。
■現役引退を撤回し、75歳でのカムバック
成功するビジネスは、消費者の不満・不安・不便などの「不」を解消するものです。
90年代にデパートに出店するや、売り上げナンバーワンを記録しました。大手に大差をつけた店舗がいくつもあります。当然、他社がどっと参入してきました。しかし、消費者は敏感です。ずっと添加物入りを販売してきた会社が、急に無添加を売り出す。その矛盾やブレを見逃しません。
当社のリブランディングも似たところがありました。ファンケルの存在価値を忘れ、見た目の格好よさに走った、とお客さまや株式市場は受け止めたのではないでしょうか。
「このままではお客さまと株主に迷惑をかける。社員とその家族が路頭に迷うようなことがあってはならない」
私は現役引退を撤回し、13年に会長執行役員に就任しました。75歳でのカムバックです。
「10倍のスピードでファンケルらしさを取り戻す」と宣言し、そのための施策を矢継ぎ早に打ち出しました。やるべきことはわかっていたのです。
■すぐに現場社員の月給を一律2万円上げた
第1は、弱体化した研究開発を復活させること。研究開発をしていた優秀な社員が、どんどん辞めて他社に移っていました。社員のモチベーションを上げるため、第二研究所を建設し、基礎研究の強化や脳科学など最先端分野の研究にも取り組むとアドバルーンを揚げました。
次に「ファンケル大学」を設置し、理念教育の徹底など、社員の教育に力を入れました。採用したばかりの店舗の現場社員が1週間の教育だけで直営店の現場に配属されると聞き、私は驚愕しました。それほど人手不足になる原因は給料の安さです。すぐに現場社員の月給を一律2万円上げました。
その一方で、赤字の海外事業や子会社にメスを入れました。13年3月期はその特別損失で、創業以来初の最終赤字となりました。ほかにも改善策を次々と実施。スピード回復の足場を固めていきました。
池森会長は、14年秋に「5年後に売り上げ倍増」を目標に掲げ、攻めの経営に転じた。マスコミで話題になった「広告先行成長戦略」だ。広告宣伝費を3年間で150億円ほど上積みし、販売チャネルを拡大する。年商約800億円の会社が広告費に150億円とはまさに暴挙。当時、管理本部長だった島田和幸社長は、池森会長が言った「来期は大赤字になるけどワクワクするだろ!」の一言にゾッとしたと話す。
■株主総会で一世一代の大勝負
失敗すれば倒産しかねない大勝負です。もちろん、株主にも賛同してもらわなくてはいけません。当社の株主総会は、6月の土日に横浜アリーナで開催され、5000人以上が参加する大イベントです。15年の総会では当然、この戦略に疑義の声が挙がりました。
私は自ら手を挙げて立ち上がり、このまま手を打たず倒産してもいいのか、ファンケルを再建するにはこの戦略しかないと説明しました。そして「私の考えに反対される方は、手を挙げてください」と言いました。
広い会場が水を打ったように静まりかえり、誰も手を挙げません。「それでは、ご賛同いただいたものとして実施します」と宣言して着席しました。82年間の人生で、一世一代の大勝負だったと思える瞬間でした。
この戦略はみごとに当たり、当社はV字回復を果たします。インバウンド効果もあって、18年3月期は史上最高売上高を11年ぶりに更新、19年3月期は史上最高益を19年ぶりに更新しました。復帰前に450円前後だった株価も、現在は3000円前後を推移しています。
19年8月、当社はキリンHDと資本業務提携を結び、同社の持分法適用会社となりました。私が他社との提携を検討しはじめたのは18年のことです。理由は、私自身の年齢です。島田社長は信頼できる優秀な経営者ですが、いずれ会社を離れる日がきます。引退していた10年の業績低迷を考えると、自分が元気なうちに、将来にわたって社員が安心して働ける環境を整えておきたいという強い思いがありました。
■キリンに持ちかけた3つの理由
過去に大手外資を含む数社から提携のお話をいただき、なかには時価総額の2倍という好条件もありました。しかし価格を競わせるようなことはしたくなかった。自分が起業して育てた会社の将来に、最善の道を求めるのは創業者の義務でしょう。
そこで自分自身で候補となる企業を研究し、最終的にキリンHDがいいと判断しました。第1に当社とバッティングする事業がない、第2に同社と07年に提携した協和発酵工業(現・協和キリン)は、その後も企業風土や独立性が尊重されている、第3に私が「一番搾り」が好き、というのが主な理由です。まぁ、3番目は半分冗談ですけど。
私からキリンHDに持ちかけたのですから、社員たちが安心し納得してくれるか心配でした。しかし社員の大多数は、「池森さんが社員のことを真剣に考えてくれた決断だ」と理解してくれました。この提携を通して、ファンケルらしさや当社の品格が将来も保っていけたら、創業者としてこれほどうれしいことはありません。
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ファンケル 代表取締役会長ファウンダー
1937年、三重県生まれ。ガス会社に勤務したのち、73年に仲間と雑貨販売の会社を起業するが失敗。このとき抱えた約6000万円の借金は2年半で完済。兄のクリーニング店を手伝うなか、化粧品の皮膚トラブルに着目して80年に無添加化粧品の事業をスタート。81年、ジャパンファインケミカル販売(現・ファンケル)を設立。99年、東京証券取引所第一部に上場。2003年に会長、05年に名誉会長となる。13年に経営再建のために復帰し、代表取締役会長執行役員に就任。同年、私費を投じて東京・銀座に医療法人財団健康院「健康院クリニック」を開院。
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(ファンケル 代表取締役会長ファウンダー 池森 賢二 構成=伊田欣司 撮影=石橋素幸、鈴木啓介 写真=時事通信フォト)
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