名医が「答えられない」と悩む認知症患者の問い
プレジデントオンライン / 2020年1月30日 15時15分
※本稿は、長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■自分の体験の「確かさ」が揺らぎ始めた
どうもおかしい。前に行ったことがある場所だから当然たどり着けるはずなのに、行き着かない。今日が何月何日で、どんな予定があったのかがわからない。どうやら自分は認知症になったのではないかと思いはじめたのは、2016年ごろだったと思います。
自分の体験の「確かさ」が、はっきりしなくなってきたのです。自分がやったことと、やらなかったことに対して確信がもてない。たとえば、自宅を出てどこかへ出かけるとき、鍵をかけたかどうか不安になっても、たしかに鍵をかけたと思えば、そのまま出かけるのが普通です。あるいは不安なら、一度戻って鍵がかかっているのを確認して、それ以上は心配せずに出かけます。それが正常なときの反応。
でも、確かさが揺らいでくると、家に戻って確認したにもかかわらず、それがまたあやふやになって、いつまでたっても確信がもてないのです。
「確かさ」が揺らぎ、約束を忘れてしまうといったことが増えてきて、自分の長い診療経験から、「これは年相応のもの忘れではなく、認知症にちがいない」と思うに至りました。
■講演会で公表「じつは認知症なんですよ」
2017年10月、神奈川県川崎市内で認知症に関する小さな講演会がありました。ボクは専門医として呼ばれていて、認知症ケアのアドバイスをすることになっていました。ご家族向けに、ケアをするうえでのポイントや、これまで診てきた患者さんとの思い出話などをするうちに、次の言葉が出たのです。
「みなさんの前でこういうと(主催者が)困るかもしれないけれど、じつは(ボクは)認知症なんですよ」
自然に出てきた言葉でした。自分が認知症と自覚してからは、誰もがなる可能性があり、認知症になっても「人」であるのに変わりはないこと、この長寿時代には誰もが向き合って生きていくものだということ、そして、認知症になっても普通の生活を送ることが大事だということを伝えたいという気持ちが、心の底にありました。
だから講演会で話すうち、「ボクもこのとおり、普段どおりの生活を送っていますよ」ということを、その場のみなさんにお伝えしたいと思ったのです。みなさん、とても真剣に、そして温かく受け止めてくれました。
■ある認知症男性との記憶
「認知症になってショックでしたか」とよく聞かれます。これに関連して、ボクが以前に体験したお話をしたいと思います。
ボクは大学の学長や理事長職なども務めましたが、やはり臨床が好きで、臨床の場から長く離れているのは寂しいという思いが、いつも胸のなかにありました。認知症ケアの理念である「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」をもっと診療に生かしたいとの思いもありました。
そこで大学での理事長職などの仕事を終えたあと、2006年ごろから、同じく精神科医をしている息子の川崎市内にある診療所で、月に数回、8年間ほど診療をしていたことがあります。そのときの話です。
ある日、認知症と診断されたという高齢の男性が、「セカンドオピニオン(別の医師の意見)として、先生の意見を聞きたい」とやってきました。
ご本人とご家族によると、最近、急に症状が悪化したとのことで、雪の日に寝間着のまま外に飛び出して歩き回り、家に帰れなくなったところを近所の人が見つけて知らせてくれたこともあったそうです。
まず、「お座りください」といって椅子を勧めると、その方は腰掛けるところがない椅子の裏側に回って腰をおろそうとされました。
■ボクは何も答えられなかった
「先生、聞きたいことがあるけど、質問していいですか」とおっしゃいます。「もちろんです。どうぞ」というと、「どうして私がアルツハイマーになったんでしょうか。ほかの人じゃなくて」と聞くのです。
アルツハイマー型認知症はアミロイドβというたんぱく質が脳に蓄積して、といった類の話ではなく、「ほかの誰かじゃなくて、なぜ自分がならなくちゃいけなかったのですか」というストレートな質問です。その方の表情はとても真剣で、何というか、全身から悲しみが滲み出ているような感じでした。
みなさんだったら、何と答えますか。
ボクは答えられなかったな。
認知症の方が真剣勝負で向かってこられたとき、その場しのぎの答えや生半可な慰めは通用しません。そんなときは、その方にきちんと向き合って、苦悩や悲しみに寄り添うしかないと、それまでの臨床経験から感じていました。
あるいは「人間の本質は変わりませんよ」というべきかとも思いましたが、そうしたことを話すよりも、ボクも一緒に悩みますよ、と伝えたいと思いました。
だからそのとき、ボクにできたことといえば、その方の手の上に自分の手を重ねて、「そうですねえ」といって握り続けることくらいでした。
その男性は、会社で重要な職に就いていた方でした。おそらく、その方からすれば、「どうして私が? 何も悪いことをしていないのに」「社会でそれなりの仕事をしてきた私が、この期に及んでなぜ?」という気持ちが強かったのだろうと思います。
当時はいまよりも認知症への理解が進んでいませんでしたから、そうとうショックだったのでしょう。
■ショックと言えば嘘、でも仕方ない
翻ってボクはどうだったかって?
ボク自身でいえば、認知症になったのはしようがない。年をとったんだから。長生きすれば誰でもなるのだから、それは当たり前のこと。ショックじゃなかったといえば嘘になるけれど、なったものは仕方がない。これが正直な感想でした。
もちろん、もどかしくなる気持ちはたくさんあります。だって、今日が何月何日で、何曜日かもわからなくなるのですから。認知症でいちばん多いアルツハイマー型認知症の場合、一般的に、まず時間の見当がつかなくなり、次に場所の見当がつかなくなり、最後に人の顔がわからなくなるといわれます。
この世に生きているうちは何とか症状が進むのを先延ばしにして、できれば、人の顔がわからなくなるのはあの世に行ってからにしたい。家族の顔もわからなくなるのは、あまりにつらいから。ただ、そうなると今度は、あまり長生きはできないということにもなります。
そういえば昔、聖マリアンナ医科大学(以下、聖マリアンナ医大)に勤めていたときに先輩から、「あなた自身が同じ病気にならないかぎり、あなたの研究は本物じゃない、認めない」といわれたことがありました。その先輩に向かって、いまなら「ボクも本物になりました」といえますね。
■見守るだけでなく、歩み寄り、ともに歩く
「認知症になったことを隠したがる人も多いのに、なぜ公表したのですか」という質問もよく受けます。
それはやはり、認知症についての正確な知識をみなさんにもっていただきたかったから。認知症の人は、悲しく、苦しく、もどかしい思いを抱えて毎日を生きているわけですから、認知症の人への接し方をみなさんに知っておいてほしかったのです。
付け加えていえば、認知症を理解して支える存在や、その仕組みが絶対に必要だと思ったからです。
「大丈夫ですよ、私たちがそばにいますから安心してください」。そんなメッセージをその人に届けてくれる存在や仕組みがあったら、認知症の人はどんなに安心するでしょう。
また、認知症の人をたんに見守るだけでなく、寄り添い、ともに歩んでいきましょうという取り組みがあったら、どんなに勇気づけられるでしょう。実際、そんな先駆的な取り組みをする自治体も出てきていると聞きます。
■「認知症のありのままを伝えたい」
ボクが認知症だと公表した理由をさらに突き詰めれば、「自分自身がよりよく生きていくため」といってよいだろうと思います。自分が生きているあいだに、人さまや社会のために、少しでも役に立つことをしたい。
役に立てるかどうかはわからないけれど、認知症のありのままを伝えたい。それが、自分が生きていく道だと思ったのです。また、それが、自分が生きていく道であると同時に、自分が死んでいく道でもあると感じたのです。
ボクは若いころから、精神的に落ち込んで、悲観的になることが時折ありました。そんなボクにとって、認知症になり、「何もかもわからなくなる」ことへの恐怖心はそうとう強いものがあります。でも、そこにいつまでもとどまっているのは、身体にも心にもよくありません。
自分を叱咤激励して、くよくよしているよりは、いまできることをやろうと決めた。だからこそ、認知症であることを公表し、語ることを始めたのです。
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認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授
1929年愛知県生まれ。53年、東京慈恵会医科大学卒業。74年、「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表(改訂版は91年公表)。89年、日本で初の国際老年精神医学会を開催。2004年、「痴呆」から「認知症」に用語を変更した厚生労働省の検討会の委員。「パーソン・センタード・ケア」を普及し、ケアの第一人者としても知られる。現在、認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授。認知症を描いた絵本『だいじょうぶだよ――ぼくのおばあちゃん――』(ぱーそん書房)の作者でもある。
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(認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医大名誉教授 長谷川 和夫)
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