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スバルの車には「ヒコーキ野郎の魂」が今も宿っている

プレジデントオンライン / 2020年2月5日 9時15分

自動車耐久レース「スーパーGT第7戦」決勝で走るSUBARU BRZ R&D SPORT - 画像提供=SUBARU

スバルの前身は、戦前に「東洋一の航空機メーカー」として戦闘機を開発していた中島飛行機だ。戦後に解体されたが、航空機エンジニアの思想は今も社員に受け継がれている。ノンフィクション作家の野地秩嘉氏が、耐久レースの現場を訪れた——。

■「私たちが造っている車は丈夫で長持ち」

2019年9月のある日曜日、SUBARU(以下、スバル)の代表取締役社長、中村知美は宮城県にあるサーキット、スポーツランドSUGOに来ていた。自動車耐久レース、スーパーGT第7戦の決勝に参加するためだ。

耐久レース(エンデュランス)とは長距離・長時間を走行するレースで、その日に行われたレースは3704mの周回コースを2時間で何周できるかを競うものだった。スバルの車はSUBARU BRZ R&D SPORT。トヨタと共同開発したトヨタ86とは兄弟車にあたる。

サーキットでジャーナリストに囲まれた中村が話していたのは「雨のなか、これほど多くの方々に来ていただいて本当にありがたい」ということ。

「社長に就任する前からレースには来ているのですけれど、いつもいつもお客様が来てくれることが嬉(うれ)しいしありがたいです。私たちが造っている車は丈夫で長持ち。次々と新車を出している会社ではないのに、応援していただいて本当に感謝しています。

もちろん、モータースポーツをしっかりと支えていこうと思っています。昔からずっと続けてやっていることですし、やるからには勝たないといけない。なんといっても、うちには、根強いファンがいっぱいいらっしゃる。ファンの方たちから元気を与えていただき、私たちもファンの方たちに元気をお届けする。そういうふうにしていきたいと思っています」

画像提供=SUBARU
スバルの中村知美社長(写真右) - 画像提供=SUBARU

■自動車レースをする「本当の目的」

インタビューに答えた後、中村は同社のレーシングカラー、ブルーのユニフォームを着て、雨が降るスタンドで応援するファンのところに駆けていき、精一杯、手を振っていた。

スバルは国内の自動車会社のなかではもっとも規模が小さかった。はっきりいえば販売台数ではビリ。それが最近、不祥事はあったものの、アメリカ市場で根強い人気があることもあり、販売台数では三菱自動車を抜き、売上高ではもう少しでマツダ、スズキと肩を並べるところにまできた。

なんといってもスバルの販売台数100万台のうち、66万台が北米マーケットで売れている(2019年3月期)。国内では13万5000台。国内の自動車会社のなかではもっともグローバル化が進んでいる。

画像提供=SUBARU
スタンドのファンに手をふる中村社長(中央) - 画像提供=SUBARU

さて、スタンドで応援していた「スバリスト」と呼ばれるファンたちにあいさつした後、中村はつぶやいた。

「レースも私たちの大切な仕事の現場ですから」

自動車レースのオリジンは競馬だ。そして、競馬はエンターテインメントとして始まったのではなく、馬種の改良が目的だった。いちばん速い馬の子孫を残していくことで、競走馬の能力水準を上げていこうとしたのである。

自動車レースもそうだ。限界に挑戦することで、部品やシステムの耐久性を検証するのが自動車レースの目的だ。自動車会社はサーキットで得た情報をもとに車とエンジニアを鍛えている。

同社が誇るユニークな技術、四輪駆動、水平対向エンジン、そして、アイサイトなどはレースへの参加も含めた地道な研究開発で生まれたものだ。

■戦後、最初に手がけた「スバル360」

スバルの前身は中島飛行機だ。戦前は東洋一の航空機メーカーとして、戦闘機の隼、鍾馗(しょうき)、疾風(はやて)などを開発した。また、三菱航空機が開発したゼロ戦も、量産した機体数は中島飛行機のほうが多かった。

創業者、中島知久平が会社を立ち上げたときは7人のスタートだったが、その後二十余年で同社は147の工場を持ち、26万人の従業員を雇用するまでに成長した。

短期間に、疾走するように成長した企業だった。そして、今もスバルは自衛隊の練習機の開発や、ボーイングとの旅客機の共同開発をしている。航空機製造も手がける自動車会社は国内ではスバルとホンダだけだ。

戦後、中島飛行機は解体され、いくつかの会社に分かれた後、再び富士重工業として統合し、自動車の製造を始めた。最初に手がけたのは軽自動車のスバル360である。飛行機の機体技術だったモノコック構造を持つスバル360は「てんとう虫」という愛称のスモールカーだ。発売から半世紀以上も経つ現在でも、同車を修理し、パーツを交換しながら乗り継ぐスバリストもいる。

■受け継がれる、航空機エンジニアが残した思想

そして、スバル360、スバル1000といった往時の名車を設計した技術者が百瀬晋六。トヨタのクラウンを造った中村健也、日産(プリンス)のスカイラインの開発に携わった桜井眞一郎と並ぶ日本の三大自動車エンジニアのひとりである。

桜井は最初から自動車設計を学んだが、百瀬は航空機のエンジニアであり、中村はプレス機などの設計をする生産技術者だった。だが、他分野からの才能が日本の自動車を育て、モノ作り技術を革新していったといえる。

今もスバルに残るのは、中島飛行機時代から在籍した航空機エンジニアがもたらした技術と考え方だ。

あるスバルのOBは「百瀬さんたち航空機のエンジニアは当社の車にさまざまな飛行機の技術を持ち込みました」と語った。

そして、続ける。

「いちばん大事なのは“燃料の通路”なのです。飛行機も自動車も同じように燃料を燃やして走ります。ところが、飛行機は何千mも急上昇したり、あるいは急下降します。酸素の濃いところから薄いところまで行ったり来たりする。宙返りなんかもしちゃいます。機体がどんな状態であれ、つねにエンジンまで燃料が供給されなくてはなりません。そのためには燃料ポンプ、燃料ホースからエンジンまでの道筋が大切なんです。気圧が変わっても燃料を供給する通路の設計は、飛行機技術者がもっとも得意とするところでした。百瀬さんはそれをわかっていたから、スバル360、スバル1000はどんな急坂でも上ることができたんですよ」

■社員が自らスマホに保存する「言葉」

敗戦国の日本はある時期まで占領軍から飛行機製造を禁止された。そのため、飛行機の技術者はスバルだけでなく、トヨタ、日産、ホンダなどに入社し、自動車開発に携わった。日本の車を一流にしたのは自動車のエンジニアだけでなく、戦前の航空機技術者だった。

同社専務取締役で、技術部門を統括する大拔哲雄もサーキットに来ていた。彼もまたファンに頭を下げ、レースの推移を見ながら、私の質問に答える。

「今もスバルの車に飛行機の技術は反映されているのですか?」

大拔は「はい」と言った。

「でも、技術そのものよりも考え方ですね。百瀬さんの語録があるのですが、設計や開発の人間なら誰でも百瀬さんの言葉を一つや二つはそらんじています」

百瀬が遺した言葉はエンジニアだけでなく、すべての社員が耳にしたことがあるものだ。だからといって同社ではそれを社員手帳に載せたり、公式に広めたりはしていない。それぞれが自発的にスマホに保存したりしている。

■「ヒコーキ野郎の魂」を運転する人も感じている

次の3つは百瀬語録のうちの代表的なものだろう。

「すべてを数値化して考えよ」
「みんなで考えるんだ。部長も課長もない、担当者まで考えるんだ。考えるときはみんな平等だ」
「ものを考えるときは強度計算を先にするものじゃあない。先に絵を描け。感じのいい絵はよい品物になる」

語録について教えてくれた大拔は「ひとつ大切なことを思い出しました」と言った。

「35年前に入社して、最初に担当した車は初代レガシィでした。私は車のエンジンルームと車室を隔てるトーボードの設計をしたのですが、一緒に設計をした人は昔、戦闘機の画を描いていたと言っていました。おそらく定年の後、働いていたと思うのですけれど、隼の設計にかかわっていた人だと思います。ちょうどコンピュータが職場に入ってきた頃でしたけれど、その方は手で描いていました

レースからの技術でいえば、空力関係の技術は非常に参考になります。量産車にそのまま使うわけではありませんけれど、いろいろなエッセンスは重要です。そして、我々のお客様は飛行機やレースからきたエッセンスをちゃんと感じてくださっています。そこが本当にありがたいです」

スバルの車にはヒコーキ野郎の魂がちゃんと残っている。

補記。スポーツランドSUGOで行われたスーパーGTの決勝レース、GT500クラスではCRAFTSPORTS MOTUL GT-R(日産)が優勝。日産にとって2019年シーズンの初優勝だった。一方、スバルが参加したGT300クラスではARTA NSX GT3(ホンダ)が優勝。スバルは車の故障でピットインしたままで、レースは終わった。(敬称略)

画像提供=SUBARU
中村社長(左)と専務取締役の大拔哲雄氏(右) - 画像提供=SUBARU

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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