小泉元首相が引退してから「脱原発」を言い始めたワケ
プレジデントオンライン / 2020年1月29日 11時15分
※本稿は、堀内進之介『善意という暴力』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
■社会は、実は分断されていない
「競争が起きるのは、価値観が対立しているからではない。むしろ共通の価値観を持っているときに競争が起きる」、みんなが「弱者」を助けることが大切だと思っているから、誰もが「弱者」や「当事者」に寄り添おうとする。弱者や当事者に近いほど偉いというピラミッド構造だ。
それゆえに競争が起きる。私たちは、よく、社会の分断の溝が深まり、対立が激化しているという。だが、実際にはシステムは最適な平等でフラットな環境を提供している。政治的には民主主義、経済的には資本主義という近代社会だ。だとすれば、溝が浅くなった分、これまで目に留まらず、気にならなかった些細な違いが気になるようになっただけではないだろうか。
私たちは分断されたのではなく、むしろ、接続されたために違いに気付くようになった。その意味では、対立は深まっているというより、浅く広まっているといった方が正しい。敵のいない、開かれた社会を作るつもりで、細分化された社会とその敵を作っていたわけだ。
■リベラルも極右も私たちとよく似ている事実を認めるべき
にもかかわらず、もし、対立が激しくなっているように見えるのだとすれば、それは、私たちがそれを望んでいるからに他ならない。ウォールストリートのオキュパイ・デモで「私たちが九九パーセントだ」(=少数のエリートではなく、自分たち多数派こそがアメリカ人である)と叫んだのと同じように、トランプの支持者もヨーロッパで移民排斥を訴える人たちも「私たちが九九パーセントだ」と言っている。
私たちの社会では、漠然とした違和感や嫌悪感を「拡大」する技術さえ最適化されている。つい、この間まで、私たちは、日本の政治は対立軸がないから盛り上がらないと言っていた。だから、他の人との違いを見つけ、少しでも個性的であろうとする。それなのに、いざ、対立が始まると、社会の分断を嘆いている。
私たちが認めたがらない、しかし認めるべき事実は、リベラルも極右も私たちと、とても、よく似ているということだ。これは、左翼も右翼もどっちもどっちという話ではない。私たちは本当に「九九パーセント」なのだ。
■極右政党の多くは特徴を失いやがて淘汰される
これは嘆くべきことだろうか。『憎しみに抗って――不純なものへの賛歌』(邦訳 みすず書房、二〇一八)でカロリン・エムケは、いわゆる極右政党の台頭は、それほど心配することはないと言う。彼女は、マクロの経済政策を実行して、社会への不満や未来への不安を取り除くことさえ行っていれば、多くの極右政党は、彼らが実際に力を持って現実に可能な政策に妥協するようになるか、あるいは他からも支持を受けるようになるか、どちらにせよ特徴を失いやがて淘汰されてしまうというのだ。
それよりも、難しいのは「憎しみに対して憎しまない」ことだと彼女は言う。
憎む者たちに欠けている姿勢をとることだ。つまり、正確に観察すること、差異を明確にし、自分を疑うのを決してやめないこと。
(カロリン・エムケ、前掲書)
彼女は憎しみは決して自然の感情ではない、「憎しみには器が必要だ」と言う。憎しみは時間をかけて作られるものだ。であれば、器ができる前に壊すことも、あるいは、社会の中で、みんなが目に見えるところに置いて、見張っていることもできるはずだ。
■無意識と当たり前の中に私たちは生きている
(ミシェル・フーコー『ミシェル・フーコー思考集成Ⅶ』筑摩書房、二〇〇〇)
この場合の「知(エピステーメー)」というのは、特別な知識のことではなく、物事を理解するときの枠組み、私たちが当たり前だと思っている「空気」のことだ。
たとえば、私たちはスマホやタブレットを持つことを当たり前のように思っているが、三〇年前はそうではなかった。先のことは分からないが、将来、音声入力や、絵文字やLINEのスタンプのような記号を思い浮かべるだけでやりとりできるようになれば、「この時代の人が、皆、俯いて手を動かしているのは、モニターと指による文字入力を行っていたからだ」という説明が必要になるはずだ。
たとえば、普段、私たちは国家を意識していないが、それが存在していないとは考えない。しかし、いまから、二〇〇年前は違った。
福沢諭吉は「水戸、薩摩、長州、土佐藩という個々の藩はあるが、日本などという、そんなものが、どこにあるのか」と問われ、「西欧には(統計学)というものがあって、それを踏まえれば『日本』という国は確かにあるのだ」と答えたという。貿易や生産や消費を数値化すれば、藩よりも「日本」という国がまとまりとしてより実態に即しているというわけだ。国家(state)と統計(statistics)は、同じラテン語を語源とするが、統計が国家だというのはそういう意味がある。
■総理「なのに」知らないのではなく、「だから」こそ知らない
それにしても、DV被害者が加害者の立場に同情するように、従業員なのに、経営者の立場を代弁して話す人がいる。どうしてそのようなことが起きるのだろう。デヴィッド・グレーバーは、構造的な不平等は想像力の偏りを生むという。彼の考えでは、ある決まった立場に置かれていると、知らないうちに、優位な立場の人間の気持ちを推し量って「想像的同一化」し、相手を理解することを強いられる(解釈労働)。
だが、こうした想像力の偏りは、必ずしも「弱者」だけに起きているのではない。小泉純一郎元総理は、政治家を引退してから脱原発運動に転じ、次のように述べる。
「(原発事故は)『天災ではない。人災です』と。報告書でもそう断言されている。原発事故の根源的な原因は、監督、規制する側の経産省と、規制される側の電力会社、この立場が逆転してしまったことにある」
「それでいて、未だに懲りずに原発を推進しようとしている」
「しかし、総理の時に、なぜこれほど単純なことがわからなかったのか」
(小泉純一郎ロングインタビュー『週刊読書人』二〇一九年二月八日)
先の議論を踏まえれば、総理大臣「なのに」分からなかったのではなく、総理「だから」分からなかったのだ。権力者たちは自分では「分かっている」つもりだし、しばしばそう言いたがる。だが、実は、彼らは、支配するのに「都合の悪いこと」は知らないし、知っていても簡単に忘れる。そうするのがもっとも合理的で、そのように「最適化」されているからだ。彼らは決断しているつもりで、実はさせられているだけかもしれない。
■相手と同一化することと理解に基づく共感は別のものだ
だが、私たちは理解した相手に同一化をしてしまうことを、やめられないのだろうか。そんなことはないと、孔子は言う。
生意気な弟子が、師匠を困らせようと意地悪な質問をしている場面だ。現代語風に思い切って意訳すると「先生、思いやりとか、当事者に寄り添うとか言いますが、一番かわいそうなのは、誰からも同情されないテロリストや麻薬中毒者、ヘイトスピーチをするような連中ではないでしょうか? もしも、そうだとしたら、思いやりの深い人は、そういう連中に寄り添ったがために自滅することになりませんか?」
「どうして、そんなことがあるだろう。たとえ騙して『井戸の傍までは連れていけても、落とすことまではできない』(行為の直前までは理解しても、一緒に落ちることが共感ではない)のであって、情緒的な想像的同一化と理解に基づく共感は別のものだ。私たちは権力者を理解しても、彼らに同一化する必要はない。彼らが知らなければ分からせ、忘れていれば思い出させればいい。国民ひとりの責任は、それで十分足りている」
■生活に合わせて政治風土を作り変えてもいい
戦時中、戦意高揚のための宣伝に協力したといわれる花森安治は、その反省から戦後『美しい暮しの手帖』を興す。それは、単なる雑誌社というより消費者運動と経済的に自立した民間の研究所を兼ねていた。各社の製品の性能を比較するテストを誌上で行い、そのために雑誌に広告を入れなかった。
今日風にいえば、システムの中に生活世界を作ろうというわけだ。言い換えれば、専門家の知識を分かりやすく民主化するだけでなく、民主主義を科学的な仕方でバージョンアップしようとしたということだ。
人の暮らしの中には変わった部分もあれば、変わらない部分もある。それでも、花森の時代と比べれば、私たちの生活はやはり変化したといえるだろう。そうだとすれば、私たちは、そろそろ自分たちの生活に合わせて、政治風土を作り変えてもいいのではないか。その方が、一内閣を云々するよりも、ずっと意味があるはずだ。
■恐れずに受け入れることができれば社会はまだ進化できる
善意による支配において特徴的なのは、ある選択肢が道徳の名で与えられ、これに挑戦する可能性が理性の名で制限されるということである。(畠山弘文『官僚制支配の日常構造 善意による支配とは何か』三一書房、1989年)
「最適化されたシステム」は、その選択肢の中から選ぶのが、もっとも合理的だと言ってくるかもしれない。だが、元々人は自由だ。提供されたものの中から選ばなければならない理由はない。少し「視点を移動」することで、私たちの社会に無意識のように君臨している〈知〉を、意識へと転換し、「常に人が見ていながら、見えていないもの、見損なっているものを、はっきりと見えるようにする」ことができる。次は、それに合わせて社会を変えればいい。
そんなこと、とても無理だと言うかもしれない。だが、よく考えてみてほしい、本当にできない理由があるのだろうか。何となくそう思い込んでいるだけで、実は大した理由なんてないのではないか。「徳は孤ならず必ず隣あり」、変化を恐れず、受け入れることができれば、私たちの社会はまだ進化できる。本書があなたにとって、社会を思い出し、自由を恐れないための、きっかけになってくれることを願っている。
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政治社会学者
1977年生まれ。博士(社会学)。Screenless media Lab.所長。首都大学東京客員研究員ほか。専門は、政治社会学・批判的社会理論。近著に『善意という暴力』(幻冬舎新書)、『人工知能時代を<善く生きる>技術』(集英社新書)がある。
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(政治社会学者 堀内 進之介)
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