「医師が一斉退職」一人残った34歳医師に-職員たちが体を預けた理由
プレジデントオンライン / 2020年1月28日 8時45分
※本稿は、『プレジデントFamilyムック「医学部進学大百科 2020完全保存版」』の掲載記事を再編集したものです。
■毎年赤字7億円を垂れ流す市民病院が奇跡の復活できた理由
2018年度の医療費は過去最高の42兆6000億円——。2019年9月26日、厚生労働省はこの数字を元に「再編統合について特に議論が必要だ」と主に地方にある全国424の公立病院の実名を挙げた。膨れ上がる医療費を前に経営効率化を促すものだが、名指しされた病院や地域住民には「病院がなくなってしまうのか」と動揺が広がった。
しかし、このような時代にあって“奇跡の大復活”を遂げた市民病院がある。三重県志摩市の「国民健康保険志摩市民病院」だ。
■医師が一斉退職。市民病院に1人残った34歳の医師が院長に就任
同病院は現在、志摩市南部の回復期や緩和医療、在宅医療において重要な役割を担う中核病院だ(一般病床17床、療養病床60床)。とはいえ、4年前まではいかんせん、毎年7億円の赤字を垂れ流す典型的な“お荷物病院”だった。
しかし、2016年4月、34歳にして新院長に江角悠太さんが就任すると、診療所へ規模を縮小することさえ検討されていたダメ病院が奇跡の復活劇を遂げるのだ。
それまで年間赤字7億円だったが、赤字額を毎年1億円ずつ減らし、今年2020年には、基準外繰り入れ額(※)の赤字額がほぼゼロになるところまで経営を立て直した。
※公立病院はへき地医療など、不採算医療を担うため、地方自治体の「一般会計繰り入れ金」と総務省が認める「基準内繰り入れ金」が経費として認められている。志摩市民病院で削減できたのは、これらを除く「基準外繰り入れ金」。
■たった4年で4億の赤字解消をした立役者とはどんな人物か
約4億円分の赤字解消をした立役者、江角院長とはどんな人物か。
三重大学医学部を卒業後、大学の医局で働いていた江角さんは2014年12月、志摩市民病院へ「医局派遣」でやってきた。これは医師が足りない地方の病院へ、医局が医師を派遣する仕組み。多くの医師が“ご奉公”として数年働くものの、その後は、医局に戻ったり、患者の多い都会の病院へ行ったりしてしまう。
ところが、江角さんは東京出身ながら、大学で世話になった三重県への恩返しとして、医師不足のこの地に骨を埋める覚悟でやってきた。趣味はサーフィン。「病院から海が近い」という点も動機となった。
そして、派遣からわずか2年後の2016年4月には院長に就任する。卒業してからの7年間でスピード出世して34歳という若さでの“トップ就任”には事情がある。
■ダメ病院に見切りをつけて他の医師が一斉退職してしまった
実は2015年秋に、診療所への規模縮小が検討されていた志摩市民病院に見切りをつけて、江角さん以外の医師が一斉退職してしまった。
一人残された江角さんは、考えた。
このまま、本当に診療所へと規模縮小してしまっていいのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。志摩市民病院がある南部には、約2万人が住んでいる。この人たちが急病になったときに、北部にある県立志摩病院まで行くには時間がかかる。何より、これからニーズが増えていく緩和医療や在宅医療の拠点がないではないか。志摩市の高齢化率は37.4%(2015年時点 全国平均26.6%)。この人たちの終末期医療はどうなってしまうのか。
タウンミーティングを行い、300人以上の市民の声を聞いた。「税金泥棒」「つぶしてしまえ」という厳しい声もあるなかで、「なくなると何かあった時に不安」「安心して暮らしたい」「見捨てないでくれ」という声もあった。
「なくしてはいけない。志摩民病院がなくなると、志摩市の医療が崩壊する」
そう結論づけた江角さんは、病院として成り立たせるために知り合いの医師を必死に口説き、常勤医師1人、非常勤医師3人(当時)をなんとか確保し、新院長としての仕事を開始した。
■「絶対に断らない」方針で、毎年1億円の赤字を削減
そこから新院長は驚きの手腕を見せる。
毎年1億円の赤字を削減し、4年で経営を立て直したのは先述した通りだが、一体どうやったのか? よほど大胆なリストラやコストカットを断行したのかと思いきや、「外来や入院患者が増えたことによる純粋な収益増」だと言う。
「医療ニーズは、やはり地元にあったんです。それまで志摩市民病院は、救急要請があっても専門外だと言って断ってばかりいました。そのために収入も少なく、地域住民からも信頼されていなかったんです。だから、私が院長になった時に『絶対に断らない』をモットーに掲げました。とにかく断らず、自分に回してくれと。これをやり続けたら、患者さんが来てくれるようになりました。そして、職員のモチベーションが上がった。これにはとても感動しました」(江角さん)
■地元に必要とされていると知り、職員ががらりと変わった
医師が一斉退職してしまった2015年秋には、「この病院はもうつぶれる」とほかの仕事先が見つけられる有能な看護師や職員は早々に転職してしまった。残ったのは家庭の事情や本人の問題で、ほかの病院に転職できない人たちばかりだ。実際、江角さんと一緒に病院を立て直そうというモチベーションが高いスタッフは、ほんの数人しかいなかった。
院長就任当初に「職員の皆さんのご意見を聞かせてほしい」と江角さん自らが面談を申し入れても、100人中50人しか受けてくれない。だが、来てくれた半数の職員から「風通しが悪い」と聞けば、朝礼や会議の回数を増やし、対話を重ねた。さらに、職員全員で協力しないと成り立たない「病院祭」を企画。来場者は「100人がやっとでは」と囁(ささや)かれる中、1500人が来る大成功を収めた。
「これが本当に大きかったです。この病院が地元の人から必要とされていることを、職員が実感できた。人の意識は、人から頼られ、役割を与えられた時に変わります。信頼に応えたいと自ら動き出すんです」(江角さん)
過疎地域医療の対策1「フレキシブルな勤務体系で医師を確保」
患者が来るようになり、職員のモチベーションも上がった。
だが、患者が来るようになれば、医師の負担は大きくなる。地方では、医師獲得が常に課題となっている。江角さんのように志の高い医師が、「絶対に断らない」という方針で患者を受け入れていっても、過重な負担がかかり、体を壊してしまっては元も子もない。
江角さんはフレキシブルな勤務体系にすることで、現在自分を含めて常勤医師3名と非常勤医師1名という診療体制を築くことに成功している。さらに、4人の医師は全員、総合診療医であるため、皆がすべての患者を診ることができる。そのために、一人の医師に過重な負担がかかることを防ぐことができているという。
「最近では医師でも起業したい人や、NPOやNGOを作りたいという人が増えています。しかし、医師との二足の草鞋(わらじ)を履かせてくれたり、3カ月の海外プロジェクトに参加さえてくれたりといった働き方を許してくれる病院はほとんどありません。そこでうちの病院では、これを叶(かな)える給料システムや雇用システムをつくりました。医師が希望する働き方をとにかく受け入れて、できる範囲で病院に来ていただけるようにしたのです」
こうして働いているのが、81歳のアメリカ人医師クー・エン・ロックさん。クーさんは日本とアメリカ、カナダ、中国の医師免許を持っていて、それを使って半年は志摩市市民病院で働き、残り半年はアメリカで奥さんと自由に過ごしている。江角さんは2014年にピースボートの船医として働いていた。クーさんとはその時に出会い、彼が望む働き方に応える形で志摩市民病院に来てもらったのだ。
■医学生など“部外者”も病院再建に協力しはじめた
ちなみに、常勤の2人の医師は、沖縄徳洲会病院で一緒に初期研修をした、救命救急が専門の土田真史さん。もう一人は、江角さんの父でガン治療学が専門の江角浩安さん(71歳)だ。
浩安さんは以前、国立がん研究センター東病院院長を務めていたが、志摩市で奔走する息子のためにひと肌脱いできてくれた。土田さんや浩安さんが縁もゆかりもない志摩市に来てくれたのは、個人的に仲のよい友人や家族ということもあるが、それまでに深い絆のある人間関係を築いていたからだ。
過疎地域医療の対策2「医学部生から中学生まで幅広く研修を受け入れる」
さらに病院では、院内の働くスタッフを呼ぶために研修生や体験学習生を積極的に受け入れていた。ただ、この受け入れ方が、常識外れだった。
受け入れたのは、まず医学部や薬学部などの医療関係の学生。これ普通だが、そのほかの医学・薬学部ではない学部の大学生や高校生、さらに中学生も受け入れることになった。筆者が取材へ行った昨秋には早稲田大学先進理工学部や慶應義塾大学理工学部の学生が院内で患者の身の回りのサポートをしていた。
「医学部生であっても、そうでなくても関係ありません。ただ目の前の患者さんのために、できることを皆ができる範囲で行う。その中で、担当した患者さんから『ありがとう。あなたがいてくれてよかった』と感謝されるようにがんばることが研修の目的です。人が生きるとは? 健康とは? 幸せとは? 実際の患者に接することで感じてもらいたい。人の健康や幸せをつくっていくことは、すべての業種で必要ですから」(江角さん)
たとえば、患者の話を聞くことなら、医学知識がなくてもできる。研修生たちは何時間でも患者に寄り添い話を聞き、患者の本音をくみ取ってくれるという。
江角さんが語る。
「こんなことがありました。脳梗塞のリハビリで入院していた一人暮らしのおばあちゃんが退院するので、看護師や理学療法士などがケアマネージャーとともに自宅を見に行ったんです(退院前訪問指導)。すると、家屋はボロボロだし、近所の人は、おばあちゃんが帰ってくると聞くと露骨にイヤな顔をしたそうです。これでは家には帰せないと、本人にも了解をとって施設行きの方針になりました。だけど、2週間経ったある日、学生が話を聞いていたら、おばあちゃんが『本当は家に帰りたい』と泣き出したんです。あわてて、自宅で暮らせるように支援する方針に変更しました」
患者はしばしば、多忙な医師や看護師に対しては遠慮して本音を語らない。だが、時間をかけてじっくり話を聞いてくれる研修生なら、患者と人間関係を築くことができる。その中で患者は救われ、研修生にとっても「医療とは何か」「生きるとは何か」を考える貴重な機会になっている。
「研修生を受け入れることは、患者・研修生・医療者、地域のすべてにメリットがある。まさに三方よしなので、積極的に受け入れています」(江角さん)
彼らはここで、比較的重篤な患者のサポートを担当する。そして、その人に向き合い、自分なりの役割を見つけた時に、意識が変わる。若い学生たちが病院や地域の支え手になったり、新たな仲間を呼ぶ力になったりするといった小さな奇跡が志摩市民病院の大きな奇跡へとつながっていったのだ。(後編へつづく)
(プレジデントFamily編集部 森下 和海)
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