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なぜラグビーの外国人代表は「助っ人」と呼ばれないのか

プレジデントオンライン / 2020年1月30日 11時15分

準々決勝・日本-南アフリカ。南アフリカ戦の後、記念撮影する日本代表の選手ら=2019年10月20日、東京スタジアム - 写真=時事通信フォト

昨秋、大活躍したラグビー日本代表は31人中15人が外国人だった。日本は外国人を「お雇い」や「助っ人」という言葉で評しがちだが、今回のラグビーではそうした言葉は聞かれなかった。なにが違ったのか。亜細亜大学アジア研究所の大泉啓一郎教授は「そこに日本企業が進めるべきダイバーシティのヒントがある」と指摘する――。

■多国籍「日本チーム」の活躍

2019年のラグビーワールドカップ日本大会に、日本中がテレビにくぎ付けになった。それは日本チームの快進撃により、不安で不透明な現在に「やれば、できるかもしれない」という勇気を与えてくれたからだと思う。選手たちには心から感謝したい。

とりわけ私の目に留まったのは、日本チームでの外国人の活躍だった。たとえばキャプテンであるリーチ・マイケル選手の人を思いやる発言(それも日本語で)は、日本人が忘れつつある何かを思い出させてくれた。それは、私だけではないのだろう。彼にボールが回る度にスタンドから「リーチー」という声援が飛んだのは、多くの人が彼の人間的魅力に反応したからに違いない。

今回の日本チームの外国人(日本国籍を取得した者を含め)は31人中15人であったという。ワールドカップでは、①出生地が日本である場合、②両親もしくは祖父母のうち1人が日本国籍である場合、そして③日本で継続3年以上居住する場合、④通算10年にわたり居住する場合、日本チームでプレーできる。日本チームの外国人の多くは③、④に該当する。

日本チームが多国籍で編成されたのは、今大会が初めてではない。前回のワールドカップの時点で、日本チームの11人は外国人だった。それが、南アフリカを倒す「金星」につながり、今回の決勝トーナメント進出の原動力になった。

多国籍で編成された日本チームを、まったく違和感を持つことなく観戦できたのは、きっと日本人ラガーと外国人ラガーがうまく溶け合っていたからだろう。ラグビーには「ワンチーム」、あるいは「ワンフォアオール、オールフォアワン」という考え方があるという。その言葉通り、多国籍のメンバーが一致団結していることに、私は魅了された。

■「お雇い外国人」でも「助っ人」でもない外国人

幕末から明治維新にかけて外国人はわが国の経済社会の基礎作りに貢献してきた(「お雇い外国人」とも呼ばれた)。スポーツ界でも、たとえばプロ野球では、外国人プレーヤーが日本の技術レベルを引きあげてくれた(「助っ人」と呼ばれた)。そこでの外国人は特別扱いであった。

これに対して、ワールドカップの日本チームの外国人は「お雇い外国人」にも「助っ人」にも見えないのだ。日本人とともに目的を果たすため、日本の持ち味を重視し、それを磨くという新しいダイバーシティ(組織の多様化)の形を提示してくれたようにみえた。

もっとも、外国人プレーヤーが日本を磨くというのは、今回ラグビーで初めて見られたものではない。私が大好きな大相撲では、ずいぶん前から起こっていることだ。大相撲を盛り上げてくれたのは、ハワイ出身の力士(曙、小錦、武蔵丸)、近年はモンゴル出身の力士(白鵬、鶴竜、日馬富士)である。彼らは、日本のしきたりをしっかり守ってくれたし、それだけでなく、相撲の持ち味までも進化させるように貢献してくれた。現在、幕内で8人、十両で8人が外国人力士だ。

■ダイバーシティは当たり前の行為

スポーツの世界とは打って変わって、わが国の経済社会や企業レベルでのダイバーシティは遅れていると指摘されている。たしかにスポーツとは同列で扱うことはできない。単純なダイバーシティは、組織の伝統的な価値観に修正を迫るかもしれないし、それはかえって組織の長所を失わせる結果になるかもしれない。その気持ちはわからないわけではない。しかし変革は、いつもリスクを伴うものだ。

たしかに、昭和時代は、ダイバーシティが遅れても経済社会や企業は成長を遂げることができた。しかし、平成時代の経済社会と企業の停滞は、おそらくダイバーシティの遅れと無関係ではないだろう。そして令和時代は、ダイバーシティが実現しなければ衰退する時代になるかもしれない。

なぜなら、日本を取り巻く環境が大きく変わったからだ。日本のプレゼンスは世界のGDPに占めるシェアでいえば、2000年の14.4%から2019年には6.0%に低下している。日本企業が高い質だけで勝ち残れる時代は完全に終わった。国内市場が縮小するなかで国際競争力を強化したいのなら、各国の激しい市場変化に柔軟に対応できる多様化した組織を持つことだ。欧米の多国籍企業は人材抜擢で、中国企業はM&Aで組織のダイバーシティを加速させているなか、日本企業に残された時間はほとんどない。

この点は、30年間、日本企業のアジアでのビジネス展開をリアルタイムで見てきた筆者が常々実感してきたところだ。

アジアにある日系企業の現地法人において、いまだ現地化(現地スタッフがすべてを運営すること)が課題である。まず毎年の事業計画を日本本社に頼るという状況から早く脱することから始めることであろう。さらに現地で採用された従業員が幹部に昇進できるシステムを整備し、日本本社での役員への道をも切り開くべきだ。

危惧するのは、ダイバーシティの遅れは日本と外国人の間だけではないことだ。中国企業の台頭により国際市場での競争がますます激しくなるなかでは、複数の企業が一丸となったコンソーシアムを形成した事業展開が求められる。政府は、オールジャパンというかけ声の下、官民の連携を強調しているが、グループを越えた企業連携には消極的なようにみえる。これらは、日本企業のオープンイノベーションが遅れてきた原因でもある。しかし、現地化やコンソーシアムなどのダイバーシティが遅れれば、30年近くかけて作り上げたアジアの集積地の力が衰えるかもしれないのだ。このことにもっと敏感になっていい。

ダイバーシティの促進には乗り越える課題も多そうだが、ダイバーシティはそもそも適材適所に人材を配置するという、ごく当たり前の行為ではないか。ラグビーでダイバーシティが効果的に進んだのは、きっと勝つという明確な目標が設定されていたからであろう。そうだとすれば、ダイバーシティを推進するためには、責任者・経営者がもっと現場を歩き、そこでの具体的な課題の把握と解決策を詳細に作る姿勢が求められる。

机の上の議論ではダイバーシティは生まれない。ダイバーシティができない組織は、まだ追い込まれていない余裕のある組織かもしれない。しかし、それでは令和時代を乗り越えるのはかなり難しいと思う。

■「日本とアジア」から「日本のなかのアジア」へ

わが国の経済社会と企業がダイバーシティを進めるにあたって重要な視点は「日本のなかのアジア」にどう向き合うかということになろう。

昭和時代は「日本とアジア」という視点が基本であった。アジアでいち早く先進国となった日本は、アジアをけん引するリーダー的存在であったからだ。しかし平成時代には、韓国、台湾などから日本企業を上回る競争力を持った企業が出現し、中国経済の台頭は日本のプレゼンスを明らかに引き下げた。「アジアの中の日本」へとパラダイムを変えるべきだ。その対処法を、筆者は『新貿易立国論』(2018年文春新書)として記した。

そして令和時代は、東南アジア諸国を含めてアジア全体でデジタル化が進み、さらに下剋上的な競争が加速する。グローバル化は、モノ、マネー、情報だけでなく、人の動きにも波及する。日本の外国人観光客は2019年も昨年同様に3000万人を超えた。そのうち8割がアジアからの観光客である。このようななか安倍政権は、少子高齢化と人口減少で縮む市場を活性化するため、外国人観光客の誘引策(インバウンド政策)を相次いで発表している。その方向は間違っていないだろう。

すでにアジアの若者たちの行動は、スマートフォンでの情報を得ながらスピードアップしている。日本の魅力が高ければ、経済社会と企業を一緒に支えてくれるアジアの人たちは増える。2019年4月に政府は国内の労働力不足を補うために、外国人の就労規則を緩和した(改正出入国管理法の施行)。

その実質的な対象がアジアに向けられているのは明らかである。国際社会では、トランプ米国大統領の独特の政策、英国のEU離脱の背景に外国人労働者の増大があったという時代に、日本はあえて外国人との接触面を拡大した。政策立案者にはそれなりの覚悟があったに違いない。

■日本が必要なのは競争力を有する仲間

ただし、観光客の「量」、労働力の「量」だけに期待しているだけであれば、その効果は限定されたものになろう。特に国内労働力が足りないからというだけで、外国人を補充するような姿勢では、日本経済への本質的な貢献は期待できないだろう。日本が必要なのは競争力を有する仲間である。有効な政策を立案・実施するためには、政策担当者に国内外の現場を這いずり回ってもらうしかない。

もちろん政府の施策に頼りっきりではいけない。

むしろ、私たち一人一人が、日本の質の向上につなげるような工夫をし続けることが肝要だ。日本を訪れる外国人観光客の関心は、地方の特有な文化を楽しみたいという、より細かなものになっていることに注意したい。令和時代は、SNSを通じて世界の隅々まで、日本の地域の良さを伝えられる時代である。そうであれば、外国人を迎えるためのファシリティだけでなく、地域の良さを磨き、発信するという工夫が必要になる。

■信頼はともに努力するという経験から生まれる

こう考えれば、これまで悩まされていたダイバーシティのハードルは幾分軽減されるだろう。これまで、英語を学び、グローバル・スタンダードという「世界の常識」を身につけることが必須と考えられてきた。しかし、SNSなどのデジタル技術を使えば、自分の長所を、つまり「日本の常識」に世界を引きつけることもできる。これはグローバル化とは遠い位置にあった地方再生にも魅力的な視点だ。工夫次第では、地域再生に協力してくれる外国人を見つけることができるだろう。

もっとも地域の伝統的な長所に固執しつづけてはいけない。ともに働く外国人から謙虚に学び、さらに強みを磨くということが重要な視点になる。外国人ラガーたちが日本の技術水準を高めたことは疑いない。見逃してはならないのは、共通の目標だけでなく、そこには双方の信頼(価値観の共有)があったことだ。信頼は、目標だけではなく、むしろ、その過程でともに努力するという経験のなかから生まれる。

令和時代に、わが国が求められているのは、単にグローバル・スタンダードに向かうことだけではないだろう。日本の長所をグローバルレベルに磨き上げることにも目を向けるべきである。その際に、必要なのは、急場を乗り切るための、高額の「助っ人」外国人ではなく、持続的なイノベーションを生み続ける、価値観をともにしてくれる外国人ではないだろうか。そういうグローバル化時代が到来しているのだということを、ワールドカップの日本チームは実証してくれたように思う。

思い切って、いろいろ書いてしまった。それほど、2019年の日本チームの活躍は、私にとって知的興奮をかき立て、同時に不安・不透明な社会に活路を切り開くヒントを与えてくれた。スポーツはあるとき、時代を先取りするヒントを与えてくれる。2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、何を見せてくれるだろうか。多いに期待したい。

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大泉 啓一郎(おおいずみ・けいいちろう)
亜細亜大学アジア研究所教授
1988年京都大学農学研究科修士課程修了。さくら総合研究所、日本総合研究所を経て、現職。京都大学博士(地域研究)。著書に『老いてゆくアジア』(2007年中公新書、発展途上国研究奨励賞)、『消費するアジア』(2011年中公新書)、『新貿易立国論』(2018年文春新書、大平正芳記念特別賞)などがある。専門はアジア経済研究。

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(亜細亜大学アジア研究所教授 大泉 啓一郎)

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