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「私にも虐待リスクがあった」夜間保育園に通った3年で到達した結論

プレジデントオンライン / 2020年1月31日 11時15分

どろんこ保育園の外観 - 撮影=三宅 玲子

■保育の仕事は薄給で、社会的評価も低い

昨年10月から「幼保無償化」が始まった。だが、それは親たちが本当に求めていることだったのだろうか。むしろ求められているのは、親も子も安心して通える保育施設を十分に用意してほしい、ということではないだろうか。

認可保育園は数が足りないといわれる。資格を持つ保育士は119万人(2015年現在、厚生労働省調査)いるが、保育士の仕事に就いている人は43万人しかいない。

保育士の平均年収は358万円(平成30年賃金構造基本統計調査)。これは日本人の平均年収441万円(平成30年国税庁調査)より83万円低い。しかも保育の仕事は社会的評価も低い。10月に発表されたOECDの保育士意識調査では、8カ国のなかで最も保育士の自己肯定感の低い国が日本だった。

■新米の母親だったころ、こんな保育園に通えていたら

このほど『真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園』(文藝春秋)を上梓した。

三宅 玲子『真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園』(文藝春秋)

取材をした博多の「どろんこ保育園」は、昼と夜を合わせて180人を預かる昼夜合同の認可保育園だ。九州一の歓楽街・中洲のそばにあり、朝7時から夜中2時まで開いている。モンテッソーリ教育と自然農法の野菜を使った伝統的な献立の給食を実践している。

4年前、園舎の現代建築を取材のために訪れたはずが、その後3年も通うことになったのは、どろんこ保育園には子育てを支える社会のありようについて、普遍のメッセージがあると思ったからだ。平たく言えば、新米の母親だった頃、こんな保育園に通うことができていたらどんなによかっただろうと思った。

本稿ではどろんこ保育園の取材を振り返りながら「保育の仕事」について考えてみたい。

■保育園通いをしていた20年前、「母性神話」に苦しんだ

「おかあさんたちは実に一生懸命でした」という理事長の言葉が私に魔法をかけた。

帰りがけに保育園の生い立ちを尋ねたところ、昭和の時代に中洲のホステスを支える夜間託児所から出発したとの説明に続いて、中洲でホステスをしながら子どもを育てる母たちを、理事長はこんな言葉で芯から肯定したのだ。夜間託児所だった当時、70人ほどの保護者のほとんどがシングルの母親だったという。

撮影=三宅 玲子
どろんこ保育園は夜間でも灯りが消えない。 - 撮影=三宅 玲子

私の娘ふたりはすでに成人したが、彼女たちの手を引いて保育園通いをしていた20年ほど前、世の中は「母性神話」に浸りきっていた。私はそれにずいぶん苦しんだ。

まして、昼間の保育園でさえ幼稚園に比べて下に見られていた昭和の時代、夜、子どもを預けて働く母たちの葛藤はどれほどだったかと思った。そんな母親たちを認める保育園に憧れた。

ところが、取材を始めてみると、夜間託児所の頃にはホステスの子どもが70人も通っていたのに、ホステスの子どもは2人になっていた。これは想定外だった。

■親のために、週末は理事長が自宅に子どもを連れ帰る

中洲には小さな子どもを育てる母が400人とも500人ともいるといわれる。だが、その子どもたちの多くはベビーホテルで夜を過ごしていることがわかった。ベビーホテルは認可外保育施設のため、夜間保育園と違って補助金がなく、保育士を雇用せずとも罰則はない。

それでもベビーホテルを利用する親たちは夜間保育園という仕組みを知らないため、入園申請をしない。その結果、夜、親のいない子どもたちは「待機児童」にすらカウントされていない。そうした保育格差に愕然(がくぜん)とした。

それではどろんこ保育園は何をしていたのか。ただ手をこまねいていたわけではない。ひっきりなしに現れる気がかりな親子に、私たちの常識を超えた支援をしていた。

撮影=三宅 玲子
どろんこ保育園でのお昼寝の様子 - 撮影=三宅 玲子

たとえば、親子関係にストレスのかかっている家庭があると、親がゆっくりする時間を取れるように、週末は理事長が自宅に子どもを連れ帰っていた。それには伏線がある。自殺した母親を支えきれなかった後悔から20年前には自宅で里親も始めていたのである。6人の里子たちが暮らす家に園児が1人や2人紛れ込んでも大差はないということなのか。

また、ホステスとレストランのダブルワークで疲れ切った母親がネグレクト気味だと察すると、保育士たちが交代で自宅に迎えに行った。

制度の境目に立ったこうした支援は、社会的養護寸前のところで日々をしのぐ親にとって、子どもとの暮らしを守る防波堤となっていた。

■船戸結愛ちゃんの虐待死亡事件はなぜ起きたのか

執筆に苦戦していた頃、船戸結愛ちゃんの虐待死亡事件が起きた。2018年、ひな祭りの前日だった。結愛ちゃんの母親は若くして出産し、離婚後はシングルマザーとして歓楽街で働いていた時期もあったという。彼女がもしどろんこ保育園のような親を支える保育園とつながっていたなら、最悪の事態には至らなかったのではないかと気になった。

撮影=三宅 玲子
どろんこ保育園の玄関 - 撮影=三宅 玲子

私の問いに対し、児童虐待検証委員会の山縣文治関西大学教授は、「リスク要因」と「プロテクト要因」という言葉を使って児童虐待を未然に防ぐ可能性について説明してくれた。それは、ひとり親であるとか経済的に厳しいなどのリスクがあっても、信頼できる友人や支えてくれる他者が近くにいるといったプロテクト要因がリスクを上回っていれば、虐待を踏みとどまる確率が上がるというものだった。人生は立て直せるものだと、山縣教授が「レジリエンス」という単語を使って説明してくれたことは一筋の希望に思えた。

児童虐待の要因には発達や障害といった子ども自身の要因や、経済状況などの環境要因、そして、予期せぬ妊娠や子どもを受け入れられないなど親の要因があるという。

■どろんこ保育園のようなプロテクト要因を渇望していた

要因が当てはまらない親はほとんどいないだろう。リスク要因はどんな親にも潜んでいる。虐待を働いてしまう人と虐待に追い込まれずに済んでいる人の違いは、リスクを上回る支え(プロテクト要因)があるかどうかだという。

その説明に、なぜどろんこ保育園に引き寄せられたのかに私は気づいた。子どもと仕事に四苦八苦していたあの頃、私は自分が「母性神話」の影響で自分を責めてしまうのだと思っていた。もちろん、それも苦しいことではあった。だが、実はそれ以上に自分自身に理由があったことに、取材の最後で気づくことになる。私にも虐待のリスク要因があって、どろんこ保育園のようなプロテクト要因を渇望していたのである。

真夜中の親子は社会から見えない「暗がり」に棲むが、彼らは対岸の人たちではない。誰もが心に「暗がり」を抱え、温めてくれる場所を求めて日々をしのいでいる。被写体となってくれた親たちは、子どもとの人生を手探りする同胞だった。

■育休中の親たちが不安な思いで結果を待っている

3歳未満の子どもの4割近くが保育園に通う時代となった。同じ年齢の子どもを家で育てている母親は、保育園に預ける親より子育ての悩みが深いという。子育てが難しい現在、どんな親も必要としている子育ての防波堤を考えるヒントがどろんこ保育園には確かにあった。

『真夜中の陽だまり』を読んだという30歳前後の若い親たちから共鳴の感想が送られてきている。憧れとともに伝えたいと願ったものが届いているとすれば、心強く思う。

撮影=三宅 玲子
どろんこ保育園の中庭 - 撮影=三宅 玲子

親を支えることを運営理念に掲げている保育園はまだ少ないだろう。子どもとの人生が始まったばかりの親を支える視点が保育の現場に加われば、張り詰めている親は息がしやすくなり、子どもは安心できる。

また、親子をとりまく私たちが保育の仕事に関心を寄せ、専門性を理解し、感謝することは、保育の現場で働く人たちの「自己肯定感」をささやかでも支えることにつながるだろう。

保育園入園申し込みの結果が届く季節を迎えた。親たちは不安な思いで結果を待っている。親と保育士、社会と保育園が互いに認め合うことの大切さを改めて思う。

保育の仕事を私たちが理解し、認めることは、待機児童を減らす一歩である。

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三宅 玲子(みやけ・れいこ)
ノンフィクションライター
1967年熊本県生まれ。「人物と世の中」をテーマに取材。2009~2014年北京在住。ニュースにならない中国人のストーリーを集積するソーシャルプロジェクト「BilionBeats」運営。

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(ノンフィクションライター 三宅 玲子)

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