日本人77歳ノーベル賞学者「私が40年1つのことを研究するモチベーション」

プレジデントオンライン / 2020年3月21日 11時15分

(写真左)京都大学特別教授 本庶 佑氏 (右)ファーストリテイリング会長兼社長 柳井 正氏

免疫の研究とがん治療への貢献で、2018年のノーベル生理学・医学賞を受賞した、本庶佑・京都大学特別教授(77)。

地方の個人商店を、日本を代表するグローバル企業に一代で育て上げたファーストリテイリングの柳井正・会長兼社長(70)。

デジタル化、グローバル化によって社会が激変する中で、これからのビジネスパーソンはどう生きていけばよいのか。時代を切り開くふたりに聞いた。

■グローバル化、AIの進化で何が変わるか

【本庶】研究の場合、世界初でなければ価値はゼロなんです。「日本では初めて」というのは意味がない。それはただのコピーですから、まったく意味がありません。

【柳井】日本で一番になっても生き残れないのは、ビジネスの世界でも同じです。銀座通りを歩いたら、海外のブランドばっかりでしょう。今や、世界中から企業が来るんです。僕らも世界へ出て行きます。インターネットで世界中の情報が1つになったために、世界と競争して勝たなければいけないのが、今のビジネスです。毎日、オリンピックをやっているようなものですよ。

【本庶】規模や売り上げだけではなく、クオリティやオリジナリティ、ユニークさが認識されて、価値として世界一になることが大事でしょうね。

■みんなが世界一だと思う会社が世界一

【柳井】その通りです。みんなが世界一だと思う会社が世界一なんですよ。しかも、世の中の見方が変わってきて、将来にわたり社会にとって有益な会社でなければ認めてもらえなくなってきました。企業としての価値観や、行動の様(さま)が問われるんです。

それから、インターネットとコンピュータとAI(人工知能)のおかげで、誰でも瞬時にいろいろな情報を取り出せるようになりました。でも、まるでAIがすべてを解決するかのように言われているけど、そんなことはないでしょう。AIやコンピュータは計算機ですから、わかっていることはできるけど、わからないことはできない。

【本庶】柳井さんがそういう考えで、大変心強いです。

たしかに、テクノロジーの進歩によって、生命の複雑な現象を担う分子や細胞を解析できるようになりました。これによって生命科学が飛躍的な発展を遂げたのも事実です。

ですが、私も、AIでできることはまだまだ限られていると思います。

時事通信/AFLO=写真
2018年、スウェーデンで開かれたノーベル生理学・医学賞の授賞式にて。 - 時事通信/AFLO=写真

【柳井】人の生命の設計図であるゲノムを構成するDNA配列が全部解析されても、人間にはまだじゅうぶんに解明できない部分がたくさんありますよね。

【本庶】そうなんです。生命現象に関しては、まだわからないことが多いんです。人間の体をつくっている細胞は1013個あります。その一個一個が、今の最新の解析では全部違うんです。そしてその一個の細胞の中に、たんぱく質や代謝物などたくさんの種類の物質が入っている。だから、人間はとても複雑で、AIでそれを再現するのは不可能でしょう。

たとえば「病気を治す」と言いますが、大部分はなんとなく治っているんです。お医者さんは、ひどくならないように協力しているだけで、結局は人間の復元力で治る。だから、どうして治ったか説明しろと言われても、説明できない(笑)。

【柳井】だから僕は、テクノロジーは人間が飛躍するためのプラットフォームであって、脅威ではないと思います。

インターネットに情報が全部集まっていて、スマートフォンに質問したら答えが返ってくる。すごく便利ですよ。スマートフォンでもタブレットでも、大学の授業をインターネットで無料で見られる。そういうものを、もっと利用しないといけないんじゃないかなと思います。

それと、コンピュータは計算しても、それを実行するのは人間ですよね。実行しない限り、何にもならない。それで実行したら、ほとんどの場合、コンピュータの予想とは違う答えが出るんですよ。計画と一緒で、計画してもその通りになることはない。先生は、実験されていて、どうですか。

【本庶】そうですね。AIに単純作業とか、誰でもできることをさせれば、効率的に早くできるようになる。そこはもっとAIに任せたほうがいいと思います。だけど、これは研究でもビジネスでも同じだと思うけど、非常に深い洞察力とか、未知の領域への挑戦は、やはり人間がやらなくてはいけない。

【柳井】そう思います。志や意志を持った人でないと、できないことだと思います。

しかし、どんなに努力をしても方向性が間違っていれば、目的地には到達しません。僕は、方向性を考えていない人が少なくないと思うんですよ。それは、自分の目の前の景色しか見えていないから。横も後ろもあれば、過去もあれば未来もあることをいかに知って、その中で自分がどういう役割を果たして、どこへ行くのか。

そう言う僕だって、若いときに知っていれば、今頃もっとうまくいったんじゃないかと思いますよ。

僕の転機になったのは、35歳のときに出会った『プロフェッショナルマネジャー』です。この本の中で、ハロルド・ジェニーン氏は「本を読むときは、始めから終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとまったく逆だ。終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ」と言っています。

それまで僕も努力はしていたんですけど、なかなか成果が上がらなかったんです。よく考えたら、どこに行くのか、決めていなかったんですよ。だから、成果を上げるためにテクニックを磨くということではなくて、自分がどこに行きたいのかを決める。それで、そこに至るための方法を、自分の置かれている立場で、いろんな人の意見をよく聞きながら、考える。それをやれって書いてあったんです。

【本庶】研究もよく似たところがありますね。一生懸命実験したり、論文もたくさん書くんだけど、結局何がしたいのかよくわからない人がいる。常に誰かと競争をして、勝つことしか考えていなくて、自分としてこういうことを成したいとか、自分の中に明確なクエスチョンがないと、迷走しちゃうんですよ。

【柳井】結局、一人一人の人生は全部別個にある。その人の人生は、その人じゃないと生きられないんですよ。だから結局、自分は何をやりたいのかっていうのは、根源的な質問ですよね。すごく大事なことだと思います。

■師との出会い、世界との出会い

【柳井】先生が、免疫の研究に取り組まれたきっかけは何ですか。

【本庶】これは一生をかけてもいいと思うテーマに巡り合えたのは、31歳のときにアメリカのカーネギー研究所へ行ってからでした。

当時から免疫や抗体(体内に侵入した病原体と結合して体内から除去する分子)については知られていたんですが、研究所のドナルド・ブラウン教授が、抗体の多様性の問題を解くことが技術的に可能であると指摘された。到底できないと思っていたことが、「いや、チャレンジしたらできるかもしれない」と。そういう大きな視点を示してくれたのは、非常に大きかったですね。そこから免疫の研究にのめりこみました。

【柳井】大きなピクチャーを示してくれたわけですね。

【本庶】グランドビューというか、それはものすごく必要なんですよ。柳井さんにとっての師とは誰でしょう。

【柳井】やっぱり僕らの業界で、世界的な大企業になったところですね。一番最初は、英国の小売業大手「マークス&スペンサー」だったし、その次はアメリカの製造小売業大手「ザ・リミテッド」や「GAP」です。「ザ・リミテッド」は最短で1兆円企業になった。その当時、香港の工場で製造して、ジャンボジェット機でオハイオ州のコロンバスに製品を送っていたんですよ。それぐらい革新的なことを、1980年代初頭にやっていたんですよね。

時事通信/AFLO=写真
2019年、ユニクロのインド1号店をオープン。海外進出が加速する。 - 時事通信/AFLO=写真

今だったらZARAを運営するインディテックスとかH&M、それにスポーツメーカーのNIKEやアディダス。アマゾン・コムなんかもそうですよね。そういった、世界中の優れた企業が先生ですね。

【本庶】柳井さんは山口県の宇部市でお父さんの事業を継いで、ここまで発展させてきたわけですが、世界に目を向ける転機はどこにあったんですか。

【柳井】若い頃からアメリカの文化が好きだったので、年に何回か行っていたんですよ。商売のインスピレーションが湧いたのは、アメリカの大学の生協なんです。

【本庶】ほお、どこの大学ですか。

【柳井】UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)やハーバード大学ですね。何校か行ってみて気づいたのは、商業の匂いがしないことでした。セルフサービスで、学生にとって必要なものだけを売っているでしょう。「こういう商売のやり方がいいな」と思って、「雑誌を売るように服を売りたい」というのが、最初のユニクロの成り立ちです。

それと、香港でもインスピレーションがありました。当時は、欧米のメーカーの東南アジアにおける生産拠点でした。ある工場で、ロンドンストライプのシャツをGAPの1店舗が500枚オーダーしたと聞いて、そんなにたくさん売れるものなのかと驚きました。

そこから、大量に作って大量に売るという商売を日本でやってみたいと思ったんです。今の業態を始めて、宇部から東京へ出るまで30年かかりました。東京から海外に出て行くまでは、3年でした。東京の人は東京の価値に気づいていないけれど、やはりビジネスの世界では、東京は世界に通じているんですよ。

■異分野の人間と交流せよ

【柳井】僕が一番心配なのは、日本人があまり勉強をしなくなったことです。勉強しても紋切り型です。

【本庶】私は初等・中等教育に一番の問題があると思っているんです。小学校に入学すると、どの子も「はい、はい」って手を挙げるのに、卒業する頃には挙げません。型にはめてしまったせいで、周りを気にするんですよ。だから大学生になっても、ほとんど質問をしません。これは非常に大きな問題です。

私の研究室は、半分以上が外国からの留学生です。中国、韓国、インド、中東のイランやオマーン。極めて国際的で、チャレンジ精神があるからみんな優秀です。

オマーンというのは人口467万人くらいの国ですけど、一時期は2人も来ていました。私がノーベル賞をもらったときの報道で、その学生が一緒に写真に写っていたんです。それを見たオマーン政府はすごく喜んで、ストックホルムまでの旅費を出して、その学生を授賞式に参加させました(笑)。

【柳井】インドやベトナムや中国の若い人は、欧米の大学で本気で勉強していますね。その人たちが、これから世界のリーダーになっていくんじゃないですか。

【本庶】なぜ私の研究室に日本人が少ないかというと、彼らは大学院に入るとき、先生に一生面倒を見てもらおうと思っているわけ。就職の世話とかね。年を取った先生はいつ死ぬかわからないから、若い先生がいいんです(笑)。外国人は違います。あそこの研究室へ行ったらいい研究ができるし、そこで修業を積んだらさらにチャンスが広がると考える。

【柳井】我々も、以前は先進国の人材だけだったけど、今は世界中で人が採れる時代になりました。新興国の社員は、やはりハングリーで勉強しようという気持ちが強い。日本人の社員は、彼らと競争しないといけません。

■最近の日本の若い研究者は留学しません

【本庶】さらにいえば、最近の日本の若い研究者は留学しません。これも非常に大きな問題。若いうちにいろいろな文化や考え方の違い、生活の違いを体験すれば、研究者として成長すると同時に、人間としても成長するんです。

研究者も、人間力がないといけません。情報交換や共同研究をするときは、人と人です。「あいつとだったら組んでもいいな」と思われるためには、人間としての総合力がなければ。学校の試験の成績ではない人間力を蓄えるためにも、若いときの異文化体験は重要ですよ。

【柳井】そう思います。特に若い人は、価値観が異なる人と積極的に接しなければ、自分が何者なのか見えてこないと思いますね。

さまざまな分野で「際(きわ)」がなくなったのが、今の時代です。部署や会社や国境を超えて、自分とは違う人たちと結合しない限り、目的地に行けません。

【本庶】特に研究では、異分野の人間といかに交流するかが大切です。自分にはない情報やテクノロジーを持っている人やグループと協力することで、相互作用が生まれるからです。企業でも一緒でしょうけど、全然違う方向からの技術やアイデアと刺激し合うことで、新しい発想が生まれるでしょう。

【柳井】専門的なネットワークやチームワークがないと、今後は生き残れませんよね。

自分の部署とか会社とかの範囲で考える人が多くて、垣根を越えて他分野のこの技術は使えるんじゃないか、とかを考えない。自分の内輪だけでは何も解決しない世の中になっていることに気づかなくてはいけません。

【本庶】前に柳井さんとお会いしたとき、東レをパートナーにして繊維の素材の開発からやっておられるという話を聞いて、すごいなと思ったんです。我々も異分野の人と共同研究をするとき、手に負えない問題について、どこへ行ったら助けてくれるか、あるいは教えてもらえるか。自由にグローバルに動かないと、勝ち残れません。

【柳井】さまざまな分野で極めて優れた人が、世界に10人はいます。僕は彼らに直接会って、話を聞くようにしています。

■失敗をどう受け止めればいいか

【本庶】学問の研究における失敗には、2通りあります。たくさんの可能性がある中から、最も高い可能性を選んで実験をする。そして、ダメだということがわかる。これは失敗ではないんです。ひとつの可能性を消したわけですからね。

もうひとつの失敗は、イエスかノーか、結果がわからない失敗。これが完全な失敗で、意味がありません。「ダメだ」という結論がきちっと出る失敗は、一歩前進なんです。

【柳井】意味のある失敗と、意味のない失敗があるわけですね。

【本庶】もちろん私も、思い通りにいかなかったことは何度もあります。そこで重要なのは、なぜ失敗したか、準備と計画で抜けていたことがなかったか、徹底的な分析です。「あ、ここが抜けていたな」という部分が見つかれば、次はそこをきっちりやる。失敗したからすぐに別のことを試すのではなく、整理することが必要なんです。

【柳井】商売でも、準備と計画が大事です。ところが、深く考えて準備と計画を練っても、絶対その通りにはいきません。でも準備と計画の段階でいろいろな事態を考えるので、変化が起こっても「これはこうだから、こうすればいい」という勘が働いて、計画を作り変えることができます。そうやって何回も作り変えると、計画の精度が上がっていく。深く考えるという意味において、準備と計画が大事なんですよ。

【本庶】こうやればうまくいくと思ったけど、ダメだった。そこで次の手を考える。だから、失敗しても気落ちする必要はないんです。「ペケだったからポイ」とするのではなくて、なぜこうなるんだろうと考えなきゃダメです。

【柳井】結果に対して、それはどういう意味を持つのかを考える。思いがけない結果が出たとき、ひょっとしたら自分の考えていることは違うんじゃないか、と考えることが発見だと思います。

【本庶】わかります。僕も若い研究者に言うんですよ。「想定どおりの結果が出るうちは、たいした研究じゃない」と。「予想していた結果と全然違いました」というときは、大失敗か大発見なんです。ひょっとしたら我々が思いもつかない、何か大きな事実が隠れているかもしれません。

【柳井】しかし、学者の人生というのは大変ですよね。商売であれば、毎日の売り上げや利益が数字で出るし、従業員や経営者の成長が目に見えるでしょう。だから飽きないんですよ。売れなかったら自分の能力が足らなかったと思えるし、売れたら「けっこういい線いっているな」と思って(笑)、さらに次を考える。そういう繰り返しです。でも、研究は成果が出るまですごい時間がかかりますよね。

【本庶】私が免疫の研究を志したのが1972年です。「PD-1」という分子を発見したのが92年。PD-1をがんの治療に使う原理を見つけたのが2002年。製薬会社が薬にして、認可されたのが14年。72年を原点とすれば、40年かかったということです。もっとも生物学のような分野では、そのぐらいのタイムスケールは当たり前です。

【柳井】その間、どうやってモチベーションやテンションを保つんですか。

【本庶】まず、自分が本当に好きでないと研究は継続できません。うまくいく実験より、うまくいかないほうが多いわけですから。ビジネスと違って、お金になるわけじゃないので、楽しくないとダメです。それに、人生は好きなことをやらないと損ですよね。1度しかないんですから。挫折もあるでしょうけど、嫌々やった結果の挫折は非常に酷です。自分が好きなことなら、少々の失敗でもやってよかったと満足できるし、必ず再起の道はあります。

■命とは、幸せとは、人生とは何か

【本庶】何をもって幸福と考えるかは、昔から哲学の大命題。人間の歴史が始まって以来、永遠のテーマですよね。現役を退いたあとに生きる時間が長くなった分、命とは何か、幸せとは何かについて考える時間も長くなりました。

私の基本的な考え方は、人生とは自己満足だということ。「ああ、俺は楽しかったな」と思って棺桶の蓋を閉めてもらえれば、それでいい。そう思える人生を見つけることが、生きる意味でしょうね。

私の場合でいうと、自分が知りたいと思っている研究を40年続けていますが、謎は今も解けていません。玉ねぎの皮を剥くように、1枚剥けたらその中にまた新しい問題があった。だから、わざわざモチベーションを奮い立たせる必要はなくて、興味がある難題にひたすらチャレンジしている人生です。

【柳井】アップルのスティーブ・ジョブズが同じようなことを言っているんですけど、点が線になる。つまり、あとで気が付いたら必然になっている人生がいいんじゃないかな、と思いますね。努力しているその当時にはわからなくても、あとで振り返ってみたら、「あ、あのときにこの人に会ったから、こういう結果になったな」という。

それから、この商売で行きつくところまで行きたいですね。そういう生きがいや、この道を究めたいというやりがいがないと、真剣にならないし面白くないです。今まで我々の業界の大企業は、すべて欧米なんです。だからアジア発で世界初の、一番優れたブランドになりたいですね。

■山口県の宇部という田舎の出身

【本庶】お互い、山口県の宇部という田舎の出身ですから。

【柳井】田んぼの町でね。中心には、銀天街というアーケード商店街があるんですけど、今はシャッター通り。あんな場所から世界的なファッション企業が出るなんて、ありえないでしょう。そういう意味でも、世界から信用される企業になれることを、日本発として証明したいです。

【本庶】そういう意味では終わりはないんでしょうね。立ち止まってみて「まあ、ここでいいわ」と思っても、また次の展望が開けるものです。新しくがんの免疫治療が始まって、従来は絶望だった分野に一筋の光が射しました。20~30%の人に治る可能性が出てきました。感染症におけるペニシリンの発見のようなものです。ただ、免疫治療が効く人がいる一方で、効かない人もいるんです。そうすると私としても、あと10年ぐらいは研究を続けて(笑)、生きている間に実現できるかどうかわからないけれども、ほとんどの人に効くようにしたいですね。

何が幸福かということを考えたときに、誰でも避けたいのは、苦しみ悶えながら死ぬことでしょう。だから、どうしたら病気にならずにすむかが関心事になります。人間には、健康が最大の価値ですから。

【柳井】テレビのCMを見ていても、健康食品とかサプリメントとか、健康は非常に重要なテーマです。女性の場合はプラス美容ね(笑)。うちの家内なんか、バンバン買っていますよ。「また通信販売が送られてきたぞ」って。あのCMを見ていると、欲しくなるんでしょう。

【本庶】すごいですよね。今日だけはこれがついてくるとか、30分以内なら、とか。

【柳井】本当に個数限定だったら、あの宣伝の金額はペイしないでしょう。宣伝量と販売量は、イコールで上がるらしいです。

【本庶】アメリカの大統領選だって、テレビCMの量で決まるそうですから(笑)。

【柳井】ゴルフは、19年11月にご一緒したのが最後ですね。6月のときは、僕は最終のショートホールで、9叩いたんです。バンカーにつかまって。

【本庶】初めて回る方には、申し訳ないコースでした。トリッキーで。

【柳井】でもゴルフは面白いですね。人生を感じますよ。

【本庶】ほんとね。失敗をどう受け入れるか。

【柳井】受け入れられないです(笑)、いつも。

【本庶】うまくいったときは、これが実力だと錯覚しちゃうし。

【柳井】ええ。次もうまくいくと思うけど、そうはいかない。18ホール上がってみたら、ハンデどおり。

【本庶】うん(笑)。また一緒に行きましょう。

本庶 佑
略歴
1942 京都府京都市生まれ。
1960 山口県立宇部高等学校卒業。
1966 京都大学医学部医学科卒業。
1967 京都大学大学院医学研究科生理系専攻(博士課程)。
1971 カーネギー研究所に留学。その後、免疫の研究を始める。
1979 大阪大学医学部教授に就任。
1984 京都大学医学部教授に就任。
1992 「PD-1」分子を発見。
1995 PD-1は、免疫細胞ががん細胞を認識して活性化シグナルを出したときにブレーキをかける分子だと発見。
2000 病原菌などの抗原に関する記憶を免疫細胞に刻むのは「AID」分子だと発見する。
2002 PD-1をがんの治療に使う原理を発見する。
2003 小野薬品工業と特許を共同出願。
2006 小野薬品工業とメダレックス社(現ブリストル・マイヤーズスクイブ社)により、免疫細胞にブレーキをかけるPD-1を阻害する治療薬の治験が開始。
2014 免疫治療薬「オプジーボ」の発売開始。これまでがんの治療法は、手術、放射線、抗がん剤の3つだったが、免疫療法という第4の治療法を切り開いた。
2018 京都大学高等研究院副院長・特別教授に就任。ノーベル生理学・医学賞を受賞。
柳井 正
略歴
1949 山口県宇部市生まれ。父・柳井等(ひとし)氏がメンズショップ小郡(おごおり)商事を創業。
1967 山口県立宇部高等学校卒業。
1971 早稲田大学政治経済学部を卒業後、ジャスコ(現イオン)に入社。
1972 家業の小郡商事に入社。
1984 ユニクロ1号店を広島市に出店。社長に就任。
1991 商号を「ファーストリテイリング」に変更。
1994 広島証券取引所に上場。
1996 東京事務所を開設。
1997 東京証券取引所2部に株式を上場。
1998 ユニクロのフリースがブームに。都心型店舗、ユニクロ原宿店をオープン。
1999 東京証券取引所1部に指定替え。
2001 英国ロンドンに出店し、海外進出を開始。
2002 玉塚元一氏に社長を譲り、会長に就任。
2005 会長兼社長に就任。
2006 GUを設立。
2019 海外ユニクロ事業が初の売り上げ1兆円突破。GUの増益も貢献し、3年連続で過去最高の業績を達成。

■▼遂に売り上げは2兆円を突破!

■▼特定のがんだけでなく、すべてのがんに効く可能性がある

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本庶 佑(ほんじょ・たすく)
京都大学特別教授
1942年、京都府生まれ。60年山口県立宇部高等学校卒業。66年京都大学医学部医学科卒業。同大学教授、同医学部長などを経て、同大学名誉教授、京都大学高等研究院副院長・特別教授。2018年ノーベル生理学・医学賞を受賞。

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柳井 正(やない・ただし)
ファーストリテイリング会長兼社長
1949年、山口県生まれ。67年山口県立宇部高等学校卒業。71年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、ジャスコ(現イオン)へ入社。72年に実家の小郡商事(現ファーストリテイリング)に転じ、84年に社長就任。2005年から会長兼社長。

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(京都大学特別教授 本庶 佑、ファーストリテイリング会長兼社長 柳井 正 構成=石井謙一郎 撮影=若杉憲司)

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