「孫殺し」で逮捕された祖母が逆転無罪になった理由
プレジデントオンライン / 2020年2月19日 9時15分
■「揺さぶり虐待」事件で相次ぐ無罪判決
「主文、原判決を破棄する。被告人は無罪」
2020年2月6日、午後1時半、大阪高等裁判所201号法廷の傍聴席にどよめきが起こりました。
生後1カ月半の赤ちゃんを2歳半の兄が落としてしまうという不慮の事故から5年。「事故の過失責任は全面的に母親の私にあります。それで罪に問われるのなら甘んじて受けます。でも、虐待など、絶対にしていません……」
一貫してそう主張しながらも傷害罪に問われ、一審で有罪となっていた母親(38)に、この日、逆転無罪の判決が言い渡されたのです。
西田眞基裁判長による判決文は、「揺さぶり虐待」を主張した検察や検察側証人である小児科医の鑑定意見を批判し、以下のような強い論調で結ばれました。
「被害児の身体を揺さぶるなどの方法によりその頭部に衝撃を加える暴行が加えられた事実を認定することはできず、その暴行を被告人が加えたとの事実を認定することはできないのに、これらを認めて有罪の結論を示した原判決の事実認定は、論理則、経験則等に照らし不合理なものと言わざるを得ず、是認することができない」
判決直後の記者会見で、母親の主任弁護を務めた「SBS検証プロジェクト」共同代表の秋田真志弁護士は、「揺さぶられっ子症候群」の理論の見直しが放置されたまま、多くの保護者が刑事訴追されてきた現状について、こう指摘しました。
「行政機関、訴追機関、そして、これまでSBS(揺さぶられっ子症候群)理論に基づいて判断してきた裁判所も含め、多機関において検証しなおさなければならないと思います」
■わが子や孫への虐待を疑われる苦しみ
「揺さぶられっ子症候群」に絡んだ事件が、相次いで無罪となっています。ここ3カ月間を振り返っただけでも、大阪高裁で3件、東京地裁立川支部で1件が無罪となっています。
昨年10月に逆転無罪を勝ち取ったのは、69歳の祖母です。
次女の自宅で2時間ほど2人の孫の面倒を見ていたとき、昼寝をしていた生後2カ月の赤ちゃんの容体が突然急変し、2カ月後に亡くなってしまったという事案です。赤ちゃんの脳には出血が見られたことから、急変したときに一緒にいたというだけで、祖母が「揺さぶり虐待」を疑われ、逮捕されてしまったのです。
「孫は私の生きがいです、どうしてかわいい孫に虐待などする必要があるでしょう」
彼女は当初からそう主張していました。しかし、結局、聞き入れられず、傷害致死罪で起訴。一審の大阪地裁では懲役5年6カ月の実刑判決が言い渡されたのです。
私はこの事件を高裁から取材し、「揺さぶり虐待である」と強硬に主張する検察側の小児科医の尋問、それに対して「揺さぶりではこうした出血は起こらない、脳の病気の可能性がある」と反論する弁護側の脳神経外科医の証人尋問を傍聴しました。
動機も証拠もないのに、なぜこの祖母が「虐待」を疑われるのか……。にわかに信じられませんでしたが、結果的に大阪高裁(村山浩昭裁判長)は、脳神経外科医の証言を採用。揺さぶり虐待ではなかったことが認められたのです。
それにしても、起訴されればほぼ有罪となる刑事裁判において、無罪がこれほど連続するというのは、まさに異常ともいえる事態と言えるでしょう。いったい、「揺さぶられっ子症候群」に、今、何が起こっているのか、問題はどこにあるのでしょうか……。
■そもそも、「揺さぶられっ子症候群」とは何なのか?
「揺さぶられっ子症候群」、日本では2002年から『母子手帳』にも掲載されるようになりました。正式には「乳幼児揺さぶられ症候群」といい、英語では「Shaken Baby Syndrome」と表記されるため、その頭文字を取って、通称「SBS(エス・ビー・エス)」とも呼ばれています。「虐待性頭部外傷(Abusive Head Trauma)」を略して、「AHT(エー・エイチ・ティー)」と表記されることもあります。
SBSは1971年にイギリス人医師によって提唱されました。その後、1980~90年代には欧米で、「①硬膜下血腫、②網膜出血、③脳浮腫という3つの症状があれば、大人が強く揺さぶったと推定できる」という考えが急速に広まったのです。
日本では2000年ごろから虐待問題に取り組む一部の脳神経外科医や、小児科医や内科医らがSBSに注目しはじめます。そして、上記の3症状が見られた場合、捜査機関も保護者らを虐待の疑いで逮捕・起訴するようになりました。
一方、厚生労働省は2008年ごろ、小児科医や内科医に監修を依頼し、病院や児童相談所向けに、『子ども虐待対応・医学診断ガイド』というマニュアルを作成しています。
この中には、SBSやAHTと診断する基準として、<三主徴(硬膜下血腫・網膜出血・脳浮腫)が揃(そろ)っていて、3メートル以上の高位落下事故や交通事故の証拠がなければ、自白がなくて(*ママ)SBS/AHTである可能性が極めて高い>と明記されています。
つまり、このマニュアルによれば、つかまり立ちやお座りからの転倒、ベッドなど低い位置からの落下、また病気などでこうした症状が出ることはあり得ない、ということになります。
■「SBSは仮説であり、明確な医学的・科学的事実はない」
ところが、弁護士や法学者が立ち上げた「SBS検証プロジェクト」の調査によれば、海外では1990年代にSBS理論の科学的根拠を疑問視する声が上がりはじめ、2005年にはイギリスの控訴院が「3症状があったとしても、それらが直ちに揺さぶりを原因とするとは言えない」とする判決を出していたというのです。
また、2011年には、SBS提唱者のイギリス人医師自らが、「SBSは仮説であり、明確な医学的・科学的事実はない」と述べ、SBSに基づく逮捕や起訴に警告を発します。さらに、2014年、スウェーデンでは最高裁が「SBSの診断は不確実だ」として、父親に逆転無罪判決を言い渡しました。
にもかかわらず、日本では赤ちゃんの脳に出血を伴うような症状が見られると、マニュアルに従って「揺さぶり虐待」を疑い、医師は警察や児童相談所に通報するのが常となっていきました。そして、多くの親たちが傷害事件の被疑者として刑事訴追され、子どもたちは安全のため、児童相談所によって一時保護されてきたのです。
SBSに関する歴史的な背景や論争、また無実を訴える保護者たちの切実な肉声は『私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群』(柳原三佳著・講談社)にまとめた通りです。
もちろん、子どもを虐待から守るには、こうした措置も必要でしょう。しかし、赤ちゃんの転倒や落下といった不慮の事故、または、出産時のダメージ、予期せぬ脳の病気などの可能性は全くないといえるのでしょうか、本当にすべてが「虐待」なのでしょうか?
■検察側で「虐待」を主張する小児科医は同じ人物だった
裁判所がSBS理論を否定し始め、次々と無罪判決が下されている今、私が各事件の法廷で目の当たりにした、もうひとつの事実もお伝えしておきたいと思います。
実は、祖母や母親が大阪高裁で逆転無罪を勝ち取った2つの事件、また、2月7日に東京地裁立川支部で父親が無罪を勝ち取った事件は、いずれも検察側の証人が全て同じ小児科医でした。
SBS理論に基づいて「揺さぶり虐待」だと主張した溝口史剛医師は、前出の『子ども虐待対応・医学診断ガイド』の編集制作に関わり、幼児虐待に関する訳本を複数出版している人物です。私も直接お会いして、取材させていただいたことがあります。
「虐待に苦しむ子どもを救いたい」という溝口氏の熱い思いは伝わってきました。しかし、裁判を傍聴して感じたのは、検察官が、脳の専門家である脳神経外科医の意見ではなく、小児科医である溝口氏の意見だけに頼って、無実を訴える保護者たちの「揺さぶり行為」をさも目撃したかのように追及することに対する違和感でした。
事実、大阪高裁の判決文では、溝口氏の証言や鑑定について、「鑑別診断の正確性に疑問を禁じ得ない」「医学文献に整合しない疑いがある、または不誠実な引用がされている」と厳しく評価し、その信用性を明確に否定しています。
さらに、「SBS理論を単純に適用すると、極めて機械的、画一的な事実認定を招き、結論として、事実を誤認するおそれを生じさせかねないものである」とも明記されているのです。まさに、「SBS理論」のみに依拠した「虐待ありき」の診断を採用してきた検察や、それを疑うことなく過去に有罪判決を下してきた裁判所に対して、猛省を促す内容といえるのではないでしょうか。
検察や警察が虐待を立証するため、頻繁に相談を持ち掛けている医師は他にもいます。その人物も脳神経外科医ではありませんが、複数の裁判で今もSBS理論を肯定する証言を行っています。
■一方的に虐待を疑われ、親子がバラバラに
事故や病気の可能性があると主張しているにもかかわらず、一方的に虐待を疑われ、親子がバラバラに引き裂かれてしまう家族の過酷な現実……。私が取材した方の中には、「揺さぶり虐待」と疑われたことが原因のひとつとなって離婚に追い詰められたり、親戚関係が崩壊してしまったりしたというご夫婦もおられました。
一連の問題を重く捉えた日弁連は、2月14日、「SBS(揺さぶられっ子症候群)仮説をめぐるセミナー『虐待を防ぎ冤罪(えんざい)も防ぐために、いま知るべきこと』」と題したシンポジウムを開催しました。会場には160人を超える参加者が駆けつけ、関心の高さがうかがえました。
セミナーのタイトルにもあるように、虐待は絶対に許されません。しかし、科学的に疑問符の付いた理論で冤罪が作られることも許されません。秋田弁護士が無罪判決後の記者会見で述べていたように、今こそ、多機関においてゼロベースで検証しなおす時期に来ているのではないでしょうか。今も多くの親たちが、揺さぶり虐待を疑われ、子どもと引き離されているのです。
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ノンフィクション作家・ジャーナリスト
1963年、京都市生まれ。ジャーナリスト・ノンフィクション作家。交通事故、死因究明、司法問題等をテーマに執筆。主な作品に、『私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群』(講談社)、『自動車保険の落とし穴』(朝日新書)、『開成をつくった男 佐野鼎』(講談社)、『家族のもとへ、あなたを帰す 東日本大震災犠牲者約1万9000名 歯科医師たちの身元究明』(WAVE出版)、また、児童向けノンフィクション作品に、『泥だらけのカルテ』『柴犬マイちゃんへの手紙』(いずれも講談社)などがある。■公式WEBサイト
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(ノンフィクション作家・ジャーナリスト 柳原 三佳)
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