アテネ五輪で燃え尽きた北島康介が、北京を前に再び奮起できたきっかけ
プレジデントオンライン / 2020年4月5日 11時15分
■スランプという言葉は便利だが逃避になる
2008年北京五輪で2大会連続2冠を達成した平泳ぎの北島康介。彼はアテネ五輪からの4年間を振り返り、どん底と思ったのは06年だったと話した。
アテネ五輪後は、なかなか燃え上がってこない気持ちに、もどかしさを口にしていた北島。アテネまで突っ走ってきた彼は精根使い果たしていた。その影響あって免疫力も低下し、風邪をひくなど体力強化以前の疲弊も見えた。
それが如実に出たのは06年だった。日本選手権では200メートルで表彰台に上がれず、100メートルでも翌年3月の世界選手権の派遣標準記録を突破できなかった。さらに世界選手権代表選考も兼ねた8月のパンパシフィック選手権(パンパシ)へ向けた高地合宿に出発する直前の6月末には扁桃腺炎を患って入院。病院のベッドの上で、パンパシは欠場するしかないとも考えた。そこに出なければ、北京五輪前の最後の真剣勝負の場となる、07年3月の世界選手権には出場できない。焦りは大きかった。
■北島には、それを意識する余裕もなかった
退院後は日本で自分の体調をしっかり見極めながら、泳ぎをつくることから始めたが、その間にライバルのブレンダン・ハンセンは100メートル59秒13、200メートルは2分08秒74と自身が持つ世界記録を更新していた。だが北島には、それを意識する余裕もなかった。
チームに合流して迎えた8月17日からのパンパシ。その大会は大きな意味を持つものになった。最初の100メートルは平凡な記録ながら日本人トップの3位になって世界選手権代表を確定させたが、次の200メートルで見せつけられたのはハンセンの強さだった。予選は0秒24遅れるだけの2位通過。「2週間前に世界記録を出したハンセンには疲労がある。決勝は面白い勝負ができるかもしれない」と意気込んだ。だが100メートルまでは付いていけたが、ラスト50メートルでは圧倒的な力の差を見せつけられた。ハンセンが猛烈なラストスパートで2分08秒50の世界記録を出したのに対し、北島は2分10秒87。
「僕は150メートルでいっぱいいっぱいだったが、彼はそこまで余裕を持っていたということだから。あそこまで離されると『勝負できねえ!』みたいな……。自分が全然進んでいないみたいだった」こう話した北島だが、その表情は明るかった。隣のレーンで泳ぐ相手の強さを肌で感じたからこそ、北京で勝つためには何が必要かが明確にわかり、それに向かって挑戦したいという気持ちを掻き立てられた。それがあったからこそ北島は、再び前へと進み始めることができたのだ。
![太田雄貴●北京五輪で日本人初の五輪メダル(銀メダル)を獲得した。五輪前にスランプがあったが負けた試合の映像を見直して克服した。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/2/250/img_c25152fb417b0f852bece1653b3faa29268163.jpg)
自分の現状を冷静に見極め、勝つためには何が必要かと考えることで高まる意欲。北京五輪の男子フェンシングで銀メダルを獲得した太田雄貴も、そんな瞬間を経験している。
五輪代表権争いも中盤を過ぎた07年9月には世界ランキングを5位まで上げていた太田だが、その後の世界選手権で「負けるはずがない」と思っていた中国選手にベスト16で負けてから迷いが出てしまった。彼の持ち味はディフェンス主体の戦法だったが、オフェンスの必要性も考え始めた。年明けからはオフェンス主体でいくという決意までした。
それがうまくいく試合もあったが、五輪出場が決まった後の5月末からの遠征はボロボロになった。早々の敗退で世界ランキングは10位まで下がった。6月には心身ともに疲弊し、フェンシングをやっても手足がバラバラになっているような感覚さえあった。
■なんで以前のようなディフェンスができなかったんだ
そんなときに試みたのは、これまで嫌だと絶対にやることがなかった、自分の負けた試合の映像を見直すことだった。その中で気が付いたのは、08年は攻めにいって負けていること。さらに「なんで以前のようなディフェンスができなかったんだ」と考えると、結論はそれだけの体力がなくなっている、ということにいきついた。五輪出場権獲得レースが始まってからは海外遠征も多くなり、基礎体力の貯金を使い果たしていたのだ。
![井上康生●シドニー五輪で金メダリストに輝いたが、イチローの「それはちょっとしたズレ。僕にはスランプはない」という言葉を力強く感じていた。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/d/250/img_bd907d1e311138b4ca43dc5a4ddf1b0c238627.jpg)
そこで太田は五輪まで2カ月を切った状況にもかかわらず、3週間剣にも触らず、ひたすら走り込む練習に徹する賭けに出た。「僕の短い人生の中で、本当に死ぬ気で頑張った時間だった」と言う。その後の合宿では、それまで4~5分でヘトヘトになっていたファイティングの練習でも、試合では最長になる9分間を戦っても体力が余るまでになっていた。一時は0%どころかマイナスにまでなっていたメダル獲得の確率も、5%くらいに戻ったと感じたと笑う。それを太田は本番では、1戦ごとに20%、30%と上げていって銀メダルにたどり着いたのだ。
柔道の井上康生は不調のときでも、スランプという言葉を使いたくなかったという。競技者にとってスランプという言葉は自分の不安を納得させる言葉であり便利な言葉かもしれない。だがそう考えてしまえば逃避になる。不調の原因を冷静に見つめて分析し、その対処法を探して解決する。そういう能力はトップ選手なら、誰でも持っているはずだ。
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1953年生まれ。『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中。『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)、『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)ほか著書多数。
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(スポーツジャーナリスト 折山 淑美 写真=時事通信フォト、AFLO)
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