「産むな→産め→産むな→産め」宗教に振り回される不思議の国イラン
プレジデントオンライン / 2020年2月21日 9時15分
■アメリカを敵視するイランのちょっと意外な「顔」
2月11日、イランでは親米のパーレビ王制を打倒したイスラム革命(1979年)からちょうど41年を迎えた。首都テヘランには最高指導者のハメネイ師や、先月、隣国イラクで米軍に殺害されたイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官の写真を掲げた人たちが集まり、米国への敵意をあらわにした。
本年初頭の米国とイランの対立と報復合戦は、中東戦争の勃発必至かと世界に恐怖を与えた。ただでさえややこしい中東情勢を目先の利益のみでひっかきまわしているように見える米国トランプ政権にも驚くが、イランの政権や国民の対応は、狂信的であるように見えて、どこか冷静さを感じるところもある。「一体、イランというのはどういう国なのだろうか」という疑問を感じた人も多かったのではなかろうか。そこで、今回は、人口構造からイランという国の特徴を探ってみることにした。
■イランの人口ピラミッドは「富士山型」から「つぼ型」へ一気に変化
国の状況を知るためには、人口ピラミッドを描いてみるのが近道である(図表1参照)。参照のため日本の人口ピラミッドも付した。また、図表2には一般的な人口ピラミッドの推移の理念型を掲げておいた。
イランは日本に比べれば、高齢化が進んでいない若い国であるが、イランの人口ピラミッドは多産多死の「富士山型」から、少産少死の「つりがね型」をスキップして、一気に、先進国で一般的な少子化社会の「つぼ型」へと近づいている点が特徴である。
この点を時系列データで裏づけるため、図表3に、イランの出生率と平均寿命の長期推移を示した。出生率のデータは女性が一生の間に生む子ども数を示す合計特殊出生率の値で示している。
■1985~2000年に出生率が「6超」から「2」まで急減
1979年のイスラム革命後、一時期、出生率が上昇したのち、1985~2000年の15年間に出生率が「6」以上から「2」まで3分の1になるという驚異的な低下の時期を経ていることが分かる。一方、平均寿命は多くの戦死者を出したイラン・イラク戦争の時期を除くとこの間に50歳台から75歳前後へと大きく伸びている。すなわち、多産多死の国から少産少死の国へと一気に状況が変化したのである。
この結果、20代後半~30代前半(現在30代)が、前後の世代から隔絶したイラン版の「団塊の世代」となっている。「団塊ジュニア」の世代も生まれている。この10年で「団塊の世代」が血の気の多い20代から子供のいる30代にシフトした。対米対立に慎重になったのもこのためだろう。
■イスラム主義宗教国家の下で急速な出生率の低下
イランにおける出生率の低下は奇跡的ともいえる推移をたどっている。
イスラム革命直後にはホメイニ師の意向もあり、王政期の出産抑制策を見直し、出産奨励へと方針を転換した。そのため、婚姻年齢の引き下げ(男は12歳、女性は9歳)や大家族優遇が実施されて、出生率が押し上げられ、人口は急増に向かった。
ところが、人口過剰の弊害への懸念が急に高まったため、家族計画はイスラム法に反しないというホメイニ師のファトワ(教令)が1988年に出され、避妊具無償化、家族手当・子ども手当廃止、出産休暇・育児休業手当削減といった出産抑制策が次々と実施された。
こうして、出生率は上昇から下落へと旋回し、その後、下落の程度が上昇幅を大きく上回ったため、イランの出生率は一気に先進国並みの水準にまで下落したのである。
つまり、イランの少子化は、日本や欧米先進国のように徐々に、かつ自発的に選択されていったものというより、中国と同様に政策的な誘導の側面が強かったのである。
■最近は再度、出生奨励の方向へ舵を切っている
宗教はそもそも多産多死の時代に生まれたものなので基本的に出産奨励の思想を内包している。ホメイニ師も例外ではなかった。なぜイランで、宗教指導者まで含めて一気にこの考え方を180度転換できたのかは「大いなる謎」である。
これに対する私なりの謎解きは、イランはスンニ派ではなく、シーア派のイスラム教国だからというものである。次節でその訳について述べよう。
最近は、しかし、ハメネイ師が人口の高齢化と低出生率に対し「恐怖で震えている」と言ったことなどを受け、再度、出生奨励の方向へ舵を切り直している。避妊法の1つの精管切除術の無料化は中止し、それどころが違法にされた。
その結果、「2」を下回っていた出生率は最近上昇傾向となり、2015年以降は「2」を回復している。
■エジプト、トルコ、イランの人口ピラミッド比較
中東の人口大国はイラン、トルコ、エジプトであり、世界銀行によれば2018年中東3カ国の総人口は、それぞれ8180万人、8232万人、9842万人である。この3国に次ぐ規模のイラク、サウジアラビアが3000万人台なのと比べると差が大きい。そこで、イスラム圏の中でのイランの特殊性を理解するために、イランの人口ピラミッドをエジプト、トルコと比較してみよう(図表4参照)。
一目瞭然だと思うが、3カ国の人口ピラミッドのパターンは大きく異なっている。エジプトは「富士山型」に近く、トルコは「つりがね型」の典型のかたちである。そしてイランは前述の通り「富士山型」から「つぼ型」へと一気に移行したパターンである。
イスラム圏ではエジプト型が一般的であり、トルコや特にイランのパターンは少数派である。
こうした違いをもたらしたのは出生率の動きと見て、まず間違いがない。図表5で3カ国の出生率の推移を比較した。
■シーア派イスラム教のイランだから出生率が大きく変化
イスラム革命(1979年)より以前は、イラン>エジプト>トルコの順であった。
イスラム圏の中でトルコは1923年のトルコ革命以降、指導者ケマル・アタチュルクが「西欧化」を推進し、公の場から宗教的なものを一切排除、女性のベールやスカーフを公の場で着用することを禁止、一夫多妻の禁止なども行った。トルコの出生率の水準が一番低かったのもそれと軌を一にしている。
エジプトでは、政教分離という点でトルコ型の近代化政策を追求し、出生率も全般的に徐々に低下傾向をたどってきている。革命後のイランの出生率は、エジプト、トルコを一気に追い抜いて下がった点が印象的である。
イランで出生率のこうした大きな変化が可能だったのは、スンニ派イスラム教であるエジプトやトルコとは違って、シーア派イスラム教を奉じていたためと考えられる。
オスマン帝国以来のイスラム教主流派はスンニ派であるが、スンニ派ではイスラム教徒の日常生活を取り仕切るイスラム法の根拠となる「コーラン」などの聖典については、それらを個人が自由に解釈することは許されず、すべて従来の権威者の解釈を踏襲すべきだとされている。
このため、昔のままのイスラム法ではやっていけないと信じる者は、西欧主義に転じる他はなく、政教分離の道を選ばざるを得なくなる。トルコやエジプトで政権を握った者たちがたどった道である。しかし、民衆はなおイスラム法に沿った生活をしているので社会はそうやすやすと近代化していかないのである。
■イランの出生率増減の背景にある「ファトワ(教令)」
シーア派について、イスラム学の権威である井筒俊彦は、『イスラーム文化』(岩波文庫)で次のように言っている。
「シーア派にとって『コーラン』は隠された意味の深みがある『暗号の書物』だ。シーア派にとっては、スンニ派のようにコーランを表面的に解釈して法制化し、政治的に利用するのは、むしろ、『本来純粋に内面的であるはずのイスラームを世俗化すること以外の何ものでもない』と考える」
霊性を備えた最高権威者をイマームと呼ぶが、シーア派は「十二イマーム派」という。ムハンマドの血統に連なる最後の12代目イマームは西暦9世紀末になくなり、「お隠れ」状態にあるが、「隠れたイマームから不断に発出してくる霊感の音波を敏感にとらえる霊性的アンテナを備えた人」が隠れたイマームの密かな指導の下に、国家社会の主権を握り、コーランの暗号を解きながら、「イスラム法を自分の聖典解釈によって柔軟に現実の事態に適用して」いくべきだというのがシーア派の考え方なのである。
■「産むな→産め→産むな→産め」コロコロ変わる宗教指導者の言説
前出・井筒によれば、イラン人は存在感覚において著しく幻想的であり、感覚的で現実主義的なアラブ人とは対照的だという。
「しかもその同じイラン人が、いったん外面的世界、つまり現実の世界に戻ってきて、純外面的にものを考えるとなりますと、今度はたちまち極端にドライな論理的な人間に早変わりしてしまう」
ホメイニ師からハメネイ師に受け継がれた国家最高権威者の発するファトワ(教令)によって、出産奨励から家族計画へと急旋回できた背景には、こうしたシーア派ならではのイスラム主義が存在していたのだと理解できよう。ある意味、常識的な感覚のスンニ派イスラム国ではとてもマネできない芸当だったのである。
イランでは政府が家族計画を強力に推進した訳であるが、国民はそれを強制されたのではなく、むしろ、国民の意識変化がそれを後押ししたと見られる。
2010年期の世界価値観調査では「女性が充実した生活を送るためには子供が必要か」という問いを設けていた。回答結果を見ると、イランでは44.9%しか「必要」と答えず、エジプトの87.8%、トルコの73.3%と比べて特段に低く、日本の44.2%にむしろ近かった。
■イランで選択的人工妊娠中絶が認められ、美容整形手術が盛んなのか
伝統社会の考え方から大きく飛躍したイランの特異な倫理観は、こうした子ども観だけでなく、中絶や整形手術に対する見方にも認められる。
日本では、出生前診断による病気や障害のある胎児の「選択的人工妊娠中絶」は違法である。しかし、実際は、例えば先天性風疹症候群に罹患(りかん)している胎児に対しては「身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害する」という母体保護法が認めるケースに該当すると司法が認めていることにより「選択的人工妊娠中絶」が行われている。
ところがイランでは、1979年の革命以降、母親の生命を救う場合以外の人工妊娠中絶をイスラム法の見地から違法であるとし刑罰の対象としていたが、1997年に最高指導者ハメネイ師が「その子を育てることが困難であるなら」許されるとのファトワ(教令)を発行したことにより、出生前診断によって遺伝性血液疾患や血友病との診断を受けた胎児の出生を「予防」するための人工妊娠中絶が実施されることになった。
さらに、2005年には、イスラム法の原則の一つとされる「苦痛と困難からの防護」という概念が母親に対して適用され、「治療的人工妊娠中絶法」が成立した。
■高い鼻を削る整形手術は「劣等感を取り去る、心の病の治療」
つまり、日本では違法状態のまま、司法の「こじつけ」で黙認されていることが、イランでは、イスラム法学者の解釈によって「晴れて」合法になっているのである。
イランは、また、整形手術のさかんな国として知られる(日本とは逆に、高い鼻を削り、豊満な胸を小さくするケースが多い)。これは、イスラム法学者の見解で、自殺と同様、整形手術は自らの体を傷つける行為に当たるから原則禁止だが、例外的に「劣等感を取り去る、心の病の治療」なら認められるとされたのが大きい。
つまり、宗教的な権威に裏づけられた社会秩序は必ずしも保守的な体制に帰着するとばかりは言えず、イランのように、むしろかえって「家族計画」「出生前診断」「整形手術」といった伝統社会では想定もできなかった新時代の社会的な要請に柔軟に対応することもありうるのである。
■中東の未来を切り開くのはトルコか、それともイランか?
近代化を出生率から判断すると、中東の近代化には、脱宗教・世俗化という「西欧化の道」と、教義解釈の自由という「シーア派の道」の2つがあるように思われる。
国父アタチュルク以来、世俗化を国是とし、近代化を推し進めていたトルコが、反グローバリゼーションの流れの中で、ナショナリズムとイスラム回帰への動きが強まる中、出生率低下も思ったほど進展しない一方で、シーア派の道をたどるイランがトルコを少子化対策の進展で上回った点に将来への暗示を見て取ることもできよう。
ポール・モーランドは昨年刊行され日本でも評判となった『人口で語る世界史』(文藝春秋)の中で、「現在の中東と人口構成が同じだったころのヨーロッパは、暴力的で戦争で荒廃した大陸だった。中東の人口動向がヨーロッパと同様になれば、現在のヨーロッパのように平和になるという希望が持てる」と言っている。こうした未来を切り開くのは、欧米先進国からの期待とは逆に、トルコではなくイランであるようにも見えるのである。
これは私だけの意見ではない。2006年にはすでに「米国は世界平和にとってイランより危険」と言い放っていたフランスの人口学者エマニュエル・トッドは、希望的観測として、イランには「シーア派の伝統に根ざした非宗教性が出現する」かもしれないと言っているのである(『文明の接近』藤原書店、p.169)。
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統計探偵/統計データ分析家
1951年神奈川県生まれ。東京大学農学部農業経済学科、同大学院出身。財団法人国民経済研究協会常務理事研究部長を経て、アルファ社会科学株式会社主席研究員。「社会実情データ図録」サイト主宰。シンクタンクで多くの分野の調査研究に従事。現在は、インターネット・サイトを運営しながら、地域調査等に従事。著作は、『統計データはおもしろい!』(技術評論社 2010年)、『なぜ、男子は突然、草食化したのか――統計データが解き明かす日本の変化』(日経新聞出版社 2019年)など。
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(統計探偵/統計データ分析家 本川 裕)
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