「ヒトラーの国ドイツ」を生んだビスマルクを賢人と評価する理由
プレジデントオンライン / 2020年2月27日 11時15分
※本稿は、伊藤貫著『歴史に残る外交三賢人』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■古代ギリシャ以来、国際政治はアナーキー状態だ
本稿は筆者が尊敬する外交家の中で、リアリズム外交(バランス・オブ・パワー外交)の実践に多大な貢献をしたビスマルクの思考と行動を素描するものである。
ビスマルクは歴史上初めて、常に数十(もしくは数百)に分裂していたドイツ民族を統一した大政治家である。しかし彼は、単にドイツ統一という偉業を成し遂げただけの人ではなかった。彼は建国後のドイツを「欧州大陸の最強帝国」に育て上げて、19世紀後半の欧州外交を牛耳ったのである。
なぜ、リアリズム外交を理解するのに、ビスマルクを知らなければならないのか? 最初に、リアリズム外交の基礎的なコンセプトを説明しておきたい。この外交の重要なポイントは、以下のものである。
(1)国際政治の本質は、古代ギリシャ・ローマ時代から現在まで、常にアナーキー――真の強制執行力を持つ「世界政府」「世界立法院」「世界裁判所」「世界警察軍」が一度も存在しなかった無政府的な状態――であった。
例えば最近の米中露イスラエルのような核武装した軍事強国が、他国や他民族に対して国際法違反の侵略戦争や戦争犯罪を実行しても、国連総会・国連安保理や世界の諸政府は、その侵略戦争や戦争犯罪の犠牲者(例:イラク、シリア、レバノン、パレスチナ自治区、ウクライナ、チベット自治区)を保護する能力を持っていない。2500年前も現在も、強力な軍事国が侵略戦争を始めると、誰もその侵略と戦争犯罪を止められない状態である。
このように無政府的で不安定な国際政治状況を少しでも安定させるため、世界諸国はバランス・オブ・パワー(勢力均衡)の維持に努める必要がある。西洋では17世紀中頃から(19世紀初頭のナポレオン戦争を例外として)第一次世界大戦まで、諸大国の外交家は意図的にバランス・オブ・パワーの維持に努めた。そのため欧州諸国は、大戦争の勃発を防ぐことができた。
■外交に「普遍的正義」や「好き嫌い」はいらない
(2)過去3000年間の国際政治において、世界中の国に共通する文明規範や価値判断や道徳基準は、一度も存在しなかった。アフリカのマサイ族、中央アジアのアフガン人、アラスカのイヌイット、極東の日本人等の価値判断基準は、まったく別のものである。
どの民族、どの文明の価値判断が正しいのか、ということを判断できるのは「神」や「仏」のみであり、自民族中心的な思考のバイアスから逃れられない人間には、不可能な行為である。
したがって諸国は、自国(自民族)の思想的・宗教的・文明的な「優越性」や「普遍性」等を口実として、他国に対して内政干渉したり軍事介入したりすべきではない。そのような行為は、国際政治におけるバランス・オブ・パワーの維持を困難にするだけである。
国際政治に、American Universalism(「アメリカ人の価値判断は、世界中で普遍的なモデルとなるべきだ」と考えるアメリカ中心主義)やグローバリズム、マルクス主義、イスラム原理主義、「國體(こくたい)の大義」「八紘一宇」「中華文明の優越性」等の独善的な理念を持ち込むべきではない。リアリズム外交に聖戦的・十字軍的な「普遍的正義」や「好き嫌い」の情緒は不要である。
■国際政治をするのは「国民国家」それ自体
(3)諸国の統治者は、国際法、国際組織、国際的な紛争処理機関、軍事同盟関係、集団的安全保障システム等の信頼性と有効性は、限られたものであることを常に意識して行動すべきである。国際政治の行動主体はnation‐state(国民国家)なのであり、国際機関や同盟関係ではない(つまり、日本の外交と国防の主体は日本政府なのであり、アメリカ大統領のクリントンやオバマやトランプではない。もっともらしい外交理論を並べたてる国連安保理やワシントンDCの政治家の行動が、日本というnation‐stateによる主体的な行動の代用品になるわけではない)。
自助努力(自主防衛の努力)を怠る国家(=戦後の日本のような国)は、いずれ国際政治の急変事態において脱落国や隷属国となる運命に遭遇する。
以上の三点が、リアリズム外交(バランス・オブ・パワー外交)の重要なコンセプトである。
筆者が本稿において採り上げるビスマルクは、1871年にドイツ統一を達成し、ドイツ帝国初代宰相となった。軍事力によるドイツ統一(「鉄血政策」)を成し遂げ、その後ヨーロッパ外交の主導権を握り、ヨーロッパの平和維持に手腕を発揮したビスマルクは生涯、上記1~3のリアリズム外交を実践した人物であった。
■「鉄血宰相」は「慎重で柔軟で反戦的」に変身した
「ドイツ建国の父」ビスマルクは、不思議な人物であった。矛盾の塊であった。彼の複雑な思考と矛盾した性格は、多くの人に誤解・曲解されてきた。そのため過去150年間、彼に対する毀誉褒貶(きよほうへん)は激しかった。ドイツ嫌いの傾向がある欧米のリベラル派やユダヤ系言論人にとって、ビスマルクは「不寛容で権威主義的なドイツ独特の国家主義を作った張本人」であり、「ヒトラーのような独裁者を生み出したドイツの不安定なポリティカル・カルチャーを作った男」であった。
その一方で、保守派の言論人や国際政治学者にはビスマルクを絶賛する人が多かった。戦略家のジョージ・ケナン、ヘンリー・キッシンジャー、ケネス・ウォルツ(国際政治学ネオ・リアリズム学派の創立者)等は、ビスマルクを「リアリズム外交の天才」と絶賛している。
1860年代のビスマルクは、大胆・冷酷・狡猾な外交政策により近隣のデンマーク・オーストリア・フランスを次から次へと軍国プロイセン(プロシア)と戦争せざるを得ない立場に追い込んでいった非情で好戦的な外交家であった。しかしこれらの三戦争に勝利してドイツ統一に成功したビスマルクは、あっという間に「慎重で柔軟で反戦的(避戦的)な現状維持派」に転身したのである。
過去五世紀の国際政治史において、これほどまでに鮮やかに大変身した外交家は他にいない。プロイセン宰相期(1862~70年)のビスマルク外交と、ドイツ帝国宰相期(1871~90年)のビスマルク外交を比べると、まったく別の人物が外交・軍事政策をやっているかのような印象を受ける。それほどまでに際立った変身であった。
■無節操なオポチュニストか、冷酷非情なマキャベリストか
欧米諸国において未だにビスマルクに対する毀誉褒貶が激しいのも、そのせいである。多くのリベラル派にとって、ビスマルクは「無節操なオポチュニスト」であり、「冷酷非情なマキャベリスト」である。しかし保守派(特に国際政治学のリアリスト派)にとって、彼は「軍事力を使うべき時と使うべきでない時を明瞭に峻別する能力があった、稀まれに見る理性的なリアリスト」なのである。
過去五世紀間の国際政治をバランス・オブ・パワー(勢力均衡)外交の視点から見るリアリスト派と、政治的なイデオロギーの立場(国際政治を、自由主義と権威主義の闘い、民主主義と軍国主義の闘い、社会主義と資本主義の闘い、といった「主義」によって判断する立場)から見るリベラル派とでは、ビスマルク外交に対する評価が正反対になってしまう。
■バイロンやシェイクスピアを愛好するインテリ
『歴史に残る外交三賢人』ではこの複雑な外交家ビスマルクを、七つに分けて解説した。それらは、①ビスマルクと明治日本、②厄介な「ドイツ問題」を創り出したビスマルク、③ビスマルクの生い立ちと性格、④無軌道で放埓な青年期、⑤冷徹鋭利な外交官に変身、⑥果敢な武断主義者としてドイツを統一、⑦慎重で避戦的な勢力均衡主義者として西欧外交に君臨、の七項目である。
「傲岸な鉄血宰相」ビスマルクは、実は教養レベルの高いインテリであった。彼はバイロンやシェイクスピアを好み、ウィットに富んだ会話の最中にバイロンの詩やシェイクスピア劇の台詞を原語で(流暢な英語で)巧みに引用して、周囲の人たちを楽しませた談話の名人であった。そして、そのビスマルクの人生自体がByronic でShakespeareanな「激情と苦悶とパラドックスに満ちた壮大な歴史ドラマ」だったのである。
19世紀後半期のヨーロッパに突然、ビスマルクという国際政治の巨人が出現したため、その後の欧州史は根本的に変化してしまった。1860年代から1890年までのビスマルク外交を理解しなければ、20世紀前半期のヨーロッパ外交の悲劇(二度の世界大戦)も理解できない。その意味においてビスマルク外交を理解することは、過去一世紀半の間の国際政治を理解するために不可欠な事項なのである。
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国際政治アナリスト
1953年東京都生まれ。東京大学経済学部卒。アメリカのコーネル大学で国際政治学と外交史を学ぶ。その後、ワシントンのビジネス・コンサルティング会社に、国際政治・経済アナリストとして勤務。『フォーリン・ポリシー』『シカゴ・トリビューン』『ロサンゼルス・タイムズ』『正論』『Voice』『週刊東洋経済』等に、外交評論と金融分析を執筆。CNN、CBS、BBC等の政治番組で、外交・国際関係・金融問題を解説。ワシントンに30年間在住。著書に『自滅するアメリカ帝国』(文春新書)、『中国の核戦力に日本は屈服する』(小学館101新書)などがある。
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(国際政治アナリスト 伊藤 貫)
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