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伝説のコンサル「郵便ポストが赤いのも社長の責任」の真意

プレジデントオンライン / 2020年2月28日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/teptong

マスメディアに登場することは一切なかった、知る人ぞ知る伝説のコンサルタントがいた。5000社を超える企業を指導し、経営者を叱り飛ばす姿から「社長の教祖」「炎のコンサルタント」との異名を持った一倉定氏だ。一倉氏に叱られた社長たちのその後とは——。

※本稿は、作間信司『一倉定の社長学』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■工場見学は「玄関を見ただけ」で終了

一倉定先生は、会社の「環境整備」について非常に重要視されていた。『一倉定の社長学全集』でも、講義の中でも、「環境整備は社員に意識改革を起こす」とまで紹介されていたが、最初は多くの社長がそこまでの重要性を実感していない。

K社長は先生の経営哲学を長年勉強し、やっと工場を見ていただこうと遠路、先生を招いた。ところが、車で本社工場に着いて玄関のドアを開けようとした瞬間、「なんだ! このガラスの汚れは! これでは工場を見るまでもない」と言って、先生は本当に東京へ戻ってしまった。

先生が個別指導で地方に1日がかりで行くのには相応の費用がかかるのだが、10分で帰ると言われては正直たまらない。しかし、K社長はこの出来事によって、「目が覚めた!」と言われている。自分が勝手に考えていた「ピカピカ基準」と「先生のピカピカの徹底基準」がこんなにも違っていたと述懐されているほどだ。

K社長は環境整備の取り組みを徹底した。その成果で会社は今では地元の超人気店となり、連日満席が続いている。店舗数もゆっくりではあるが着実に伸ばしているそうだ。

■「穴熊社長は現場へ行け」

名古屋のH社長は、大阪の一倉セミナーに出席し、「穴熊社長はだからダメなんだ!」と散々にお灸を据えられた。H社長もただ怒られるだけでは腹がたったが、事実だから仕方がない。渋々、主要得意先を回り出したが、最初は随分と嫌味を言われたそうである。

しかしながら店頭に行ってみると、自社の商品がお店の隅っこに置かれていたり、古いPOPがそのままついていたり、在庫商品が汚れていたりと、現状を見るにつけ売上不振の原因がすぐにわかった。大急ぎで対策に着手し、トップダウンで全営業に号令を発した。

■社長の大変身で「あわや離婚危機」

すると、当然ながらじわじわと売上年計が上向きになり始め、社長自身がお客様回りの効果に目覚め、出張出張の毎日に変わってしまった。そんなこととは知らない社長の奥様は大変である。

今まで毎日のように家で晩ご飯を食べていた主人が、外泊続きとなってしまった。「これはひょっとして……」と良からぬ想像をし始め、一時期夫婦仲が険悪になってきたのである。

H社長は毎月のセミナーにも出席されておられたから、「今日は合理化協会のセミナー」と言って家を出るわけなので、奥様からすれば「日本経営合理化協会も一緒になって悪いことをしているに違いない」と私宛てに電話までかかってきた。

きちんと説明し、奥様も一緒にセミナーに参加していただいて疑惑は氷塊したが、穴熊社長の変身ぶりは見事であった。今となっては笑い話のようである。

社長からすれば、自分がお客様のところへ行くと、相手のお客様も上席、もしくは役員、社長が出てきてくれるようになる。話は自ずと高度な話や真に困っている問題、今開発中の案件など担当営業ではなかなか聞けない話題になり、自社の取り組むテーマもハッキリとしてくるのである。

■「郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも社長の責任」

「郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも社長の責任」というフレーズは、本当に多くの社長が心に刻んでいる。一倉語録の代表的な1つである。

創業者の黒田社長は、売上10億円弱のときにはじめて一倉ゼミに参加されたそうである。比較的順調に成長してきたが、10億円を前に一進一退が続き、これまで自信を持って経営してきた会社はなんとか黒字ではあるが、打開策を求めての受講だったと当時を思い出しながら話してくれた。

ビルメンテナンスで独立し、持ち前の営業力で得意先を開拓するトップ営業スタイルだったこともあり、さらなる成長に向けて進むには、幹部社員の脆弱(ぜいじゃく)さに不満を持っていたのだと、次のように話された。

「何であいつらは、俺の言うことがわからないんだ!」「幹部を変えてやろう、成長させてやろうと毎日怒鳴っていたが、成長させるための何かヒントはないか」とゼミに参加したというのである。そうしたところ、一倉ゼミの講座の中で、「郵便ポスト~」の言葉を聞いて、最初は「俺はしっかりやっている」「あいつらが……」という気持ちばかりでなかなか素直には聞けなかったようだ。

■「人にやれやれ言うこと」が最大の無責任

しかし、先生は全ては社長の責任と言うし、正直納得がいかなかったから初日の夕方の質問時間に並んで、座った瞬間、凄い勢いで「冗談じゃない! 社員に責任を押し付けて! バカヤロー、帰れ!」と言われたのである。さすがに黒田社長も「コノヤロー!」と思い、「もう帰ろうか」と一瞬考えたが、高い授業料がもったいないので2日目も受講していた。

すると、先生は何もなかったようにニコニコしているし、「何なんだ」とも思っていたときに、いつまでも昨夜のことにこだわっている自分に気がついた。「自分は変わらずに、人ばかり変えようとしている自分を少し客観的に見られるようになった」と気づいたのである。

講座の中で、オーナーでもない、株主でもない、ましてや社長並みの高い給料も払っていないのに、社員に「やれ権限委譲だ!」「自分で考えろ!」は社員にすれば、「冗談じゃない!」という話があった。社長がやるべきことを放棄しておいて、「人にやれやれ言うことが最大の無責任だ!」との講義に目が覚め、「まさに自分のことだと。腑に落ちた」と話してくれた。

■まずは社長自身が変わることが大切

権限委譲という甘い言葉に多くの人は誤解し、それが器の大きい社長のあり方とでも思っているのであろう。上手くいけば自分の手腕、そして失敗したときは責任を部下本人に取らせる。こんなことで会社が順調に伸びるはずはない。

黒田社長もそれ以来、「幹部にどうこう言う前に、自分が変わることだと心に誓い、社長の責任、自覚と覚悟、主体性を、自分の人生、経営の中心に据えて生きてきたつもりだよ」と、いつものように物静かに笑いながら話された。

自社の幹部教育にも「いかに、自分が変われるか?」を社長自らが説かれ、時間をかけ立派な幹部を輩出している。それが証拠にこれまで何人もの社長を育てられ、新規の事業を本業の周りに配し、200億円に迫る企業グループを率いている。

■“不良社長”たちの怒られ自慢大会

一倉ゼミや経営計画の合宿セミナーで仲良くなった社長が集まると、自然と先生にどう怒られたか、どっちが酷く叱られたかの自慢大会が始まるのである。

同じような体験を経てきているし、いい会社をつくりたい決意は固いので親しくなるのに時間はかからない。

先生自身も「とにかく異業種の社長仲間を全国に作りなさい」と勉強だけでなくゴルフも宴席も奨励していたから、傍目から見れば豪快に遊びまわっている不良社長集団に映ったかもしれない。

しかしながら内実は、先輩社長が後輩の悩みを聞いたり、自社で取り組んだ戦略が上手くいったこと、逆に失敗した事例など包み隠さず情報交換していた。異業種の集まりであるから互いの決算書を見せ合い、包み隠すことも駆け引きもなく経営の活きた知恵を自らの事業に応用し、業績を伸ばしていたのである。

皆、オーナー社長であるから、事業経営の事だけではなく、親子問題、事業承継、夫婦問題など書籍ではなかなか踏み込めない経営者独特のテーマも活発に議論されていた。

だから家族ぐるみの付き合いが始まり、生涯の友を得たといわれた社長も本当に沢山おられた。

同じ価値観を持ち、24時間365日、遊んでいる時でさえ頭のどこかで会社のコトお客様のコトを考えつづけている真剣な姿勢から、私も事業経営の奥深さと崇高さを学ばせていただいた。

■「名誉職」に夢中になった社長たちの末路

しかしながら会社が大きかろうと小規模だろうと一国一城の主、それも相当に個性の強い社長が集うわけであるからいろいろな事件が起きていたのも事実である。

社長が数年間一生懸命事業に打ち込むと、当たり前だが業績は伸び金回りも良くなってくる。県庁所在地の地方都市であれば有名企業の仲間入りも普通のことであり、業界団体の代表や商工会議所、金融機関の理事など仕事か名誉職かわからない業務も次々に舞い込んでくる。

作間信司『一倉定の社長学』(プレジデント社)
作間信司『一倉定の社長学』(プレジデント社)

会社は順調、国会議員でさえ票欲しさに近づいてくるし、下にも置かない待遇を何度も受けているうちに偉くなった自分にさえ気づかなくなる。最後の決め手は勲章となる。

一倉先生は名誉職を厳しく戒めていた。徳育教育の普及等も社長であるうちは禁じていたほどである。

「そんなことをする時間があるんだったら得意先回りをしろ!」「自社の環境整備もできていないのに何がよその教育だ!」そして最後に「どうしてもやりたいなら後継者に社長を譲ってからやれ!」と。

社長が留守がちなのをいいことに、側近が会社の金に手をつけたり、手形を乱発され会社が人手に渡った事件も起こっている。これも一倉先生の教えの中で、絶対に社長がしてはいけない「銀行印を預ける」という行為を、専務を信頼しているからという理由だけで行った社長の怠慢以外なにものでもない。

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作間 信司(さくま・しんじ)
日本経営合理化協会専務理事
1959年生まれ。山口県出身。1981年、明治大学経営学部卒業後、大手インテリア会社にて販売戦略など実務経験を積んだ後、1983年、日本経営合理化協会入協。事業の企画・立案を担当するかたわら、会長牟田學の薫陶を受け、全国の中堅・中小企業の経営相談に携わる。協会主催の社長塾「地球の会」「事業発展計画書作成合宿セミナー」などの講師を歴任し、現在「佐藤塾~長期計画~」副塾長、「JMCA幹部塾」塾長を務める。

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(日本経営合理化協会専務理事 作間 信司)

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