金持ちの高齢者ばかりを優遇する「安倍年金改革」の中身
プレジデントオンライン / 2020年2月28日 9時15分
■「改善ではなく改革を行う」とぶち上げたが…
新型肺炎が世界中で猛威を振るう中で、安倍晋三首相が「最大のチャレンジ」とぶち上げた「全世代型社会保障改革」をめぐる議論が霞(かす)んでいる。だが、専門家はこうした見方を否定する。「最初から結論は決まっていた。議論は霞んだわけではなく最初から盛り上がっていなかった」と。本当にそうなのか、昨年行われた年金の「財政検証」を丁寧に読み解くと、その答えが見えてくる。
社会保障に全世代型という発想を持ち込んだのは、2012年に設置された「社会保障制度改革国民会議」である。安倍首相就任を受けた翌年8月に発表された報告書には「高齢者世代を給付の対象とする社会保障から、切れ目なく全世代を対象とする社会保障への転換を目指すべきである」との文言が盛り込まれた。
安倍内閣はスタート当初から全世代型の社会保障への転換を求められていたのである。この流れが消費増税に合わせた幼児教育・保育の無償化に繋(つな)がる。あわせて高等教育の一部無償化や、所得の低い高齢者に対して月額5000円を給付する制度もスタートした。
昨年8月に設置された「全世代型社会保障検討会議」は、こうした流れを加速する使命を帯びて登場した。この会議の初会合で安倍首相は、「社会保障制度の改善ではなく改革を行う」とぶち上げたのである。
■わずか3カ月で結論が出た「最大のチャレンジ」の中身
ではなぜ昨年、この会議が設置されたか。ほかでもない、5年ごとに義務づけられている年金の「財政検証」を行う年だからである。年金の財政検証に併せて医療、介護を含む全世代型改革をアピールする。これが検討会議の狙いだった。
不幸なことにその会議が、降って湧いた新型肺炎問題でかき消されてしまったことは不運としか言いようがない。だが、よくみると年金改革の方向性は検討会議のはるか以前に決まっていた。財政検証が「結論ありき」の結論を作っていたのである。
昨年9月20日に設置されたあと検討会議は、3カ月後の12月19日には早くも中間報告を取りまとめている。「最大のチャレンジ」である改革の大枠は、たった3カ月で固まったのである。
この裏で、年金改革の進むべき方向性を示したのが財政検証である。検討会議は財政検証に盛り込まれた方策をなぞっただけである。ここに専門家が指摘する「結論ありき」の論拠がある。
■最大のチャレンジの中身は財政検証の焼き直し
安倍首相は1月20日、通常国会の開幕にあたって施政方針演説を行った。その中で社会保障改革について次のように述べている。
「この春から、大企業では、同一労働同一賃金がスタートします。正規と非正規の壁がなくなる中で、パートの皆さんへの厚生年金の適用をさらに広げてまいります」
「(厚生年金の対象者を)従業員50人を超える中小企業まで段階的に拡大します」
「高齢者のうち、8割の方が、65歳を超えても働きたいと願っておられます。働く意欲のある皆さんに、70歳までの就業機会を確保します」
健康寿命の延伸とともに健康で能力があり、働く意欲を持っている健康な高齢者が増えている。そうした人たちに働く機会を提供する。
同時に、現役世代や中小企業で働くアルバイトやパートなど、これまで厚生年金に加入していなかった就職氷河期世代をはじめ、無年金の人たちにも厚生年金への加入の道を開く。幼児を抱える現役世代を支援しながら、無年金層や低所得者層に厚生年金への加入を広めていく。まさに「全世代型」社会保障への転換である。
一見これは安倍首相の独自政策のように見える。だが、こうした考え方は昨年8月に発表された財政検証にすべて盛り込まれている。「最大のチャレンジ」は、財政検証の焼き直しにすぎないのである。
■最悪ケースでは2052年度に年金積立金がゼロに
ここで改めて財政検証に立ち返ってみたい。財政検証で政府は何をやっているのか。一言でいえば将来の経済状態を仮定し、物価や賃金の上昇率、運用利回りなど各種のパラメーター(変数)を入れ替えながら、所得代替率(※1)の将来的な推移を推計しているのである。
財政検証の結果をまとめたものが図表1である。この図表だけで検証結果を読み取るのは専門家でもない限り簡単ではない。詳しく知りたい方は厚労省のホームページにアクセスし、「今後の社会保障改革について」などの資料に目を通したほうがいい。
(※1)公的年金の給付水準を示す指標。現役男子の平均手取り収入額に対する年金額の比率
図表1のケースⅢをみると2019年度に61.7%だった所得代替率は、マクロ経済スライド(※2)によって調整され、2047年度に50.8%まで低下する。そのあとは、マクロ経済スライドが停止し50.8%の水準を維持する。これがこのケースの結論である。
パラメーターとしては経済成長率を比較的高い水準(1.2%)に設定、全要素生産性(※3)が0.9%、物価上昇率が1.2%、賃金上昇率が1.1%などの前提条件を置いている。このケースで日本経済が推移すれば年金財政は安泰であることを示している。
反対にケースⅥのように経済成長率を低い水準(0.8%)に設定、全要素生産性が0.3%、物価上昇率が0.5%、賃金上昇率が0.4%などの前提条件の下では、2043年度に所得代替率が50%に達する。放っておけば2052年度に国民年金の積立金がゼロになる。
パラメーターを変え6通り(ケース1〜ケースⅥ)の試算を行った。これが2019年財政検証の概要である。
(※2)物価や賃金など人口などの変化に応じて年金を一部カットする仕組み。
(※3)生産活動に対する生産要素の寄与度を表す指標
■50%を下回る場合は「回避措置」を講ずる
ところで、財政検証の根拠はなんだろうか。法律的な根拠は「国民年金法」にある。この法律のよって政府は「5年ごとに」財政検証を行うことが義務付けられている。そして、「国民年金の一部を改正する法律」(2004年改正)の附則に、「(次の財政検証までに)所得代替率が50%を下回ると見込まれる場合は、(これを回避するための)措置を講ずるものとする」とある。
簡単に言えば2024年までに、所得代替率が50%を割る可能性があるときは、各種の制度改革を行い、50%を維持するようにしなさいということだ。
だが、2019年検証は前回(2014年)にくらべ数値が改善している。5年後の2024年の所得代替率も60.0%〜60.9%と見込まれ、50%を大幅に上回っている。
本来なら全世代型検討会議を設置して各種措置を講ずる必要はないのだが、「日々改善に努めるのが政府の役割」(厚労省年金局)との観点から財政検証が実施された。そして、そこに見直すべき項目がオプションという形で盛り込まれたのである。
具体的には図表2にあるオプションAとオプションBの2つがある。Aは厚生年金の適用拡大で、①125万人ベース、②325万人ベース、③1050万人の3通りの選択肢をピックアップ
■結論は2018年の暮れにほぼ固まっていた
オプションBは、①基礎年金の拠出期間延長、②在職老齢年金の見直し、③厚生年金の加入年齢の上限引き上げ、④就労延長と受給開始時期の選択的延長、⑤は①から④の選択肢をすべて実施した場合である。
オプションBの試算結果を示したものが図表3である。図表の一番右側、最下段の⑤にあるように、これを財政検証のケースⅠに当てはめると所得代替率は最高で114%に改善する。このケースが実現すれば年金受給者は現役世代の平均所得を14%上回る給付金を受け取ることになる。まさにバラ色の未来図である。
安倍首相の施政方針演説は、この試算がベースになっている。検討会議の結論を待つまでもないのである。昨年暮れにまとまった同会議の中間報告には年金改革として、①受給開始時期の選択的拡大、②厚生年金の適用範囲の拡大、③在職老齢年金制度の見直し、④70歳までの就労機会の確保といった施策が入っている。なんのことはない財政検証の「オプション試算」がほぼすべて盛り込まれたのである。
検討会議は財政検証のオプションを丸ごと容認した。では、財政検証に上記オプションを忍び込ませたのは誰か。答えは簡単に見つかった。
財政検証を行うにあたって厚労省は2018年に社会保障審議会年金部会を開催、財政検証を行うにあたっての「基本的枠組み」を決めている。その中に、①厚生年金の適用拡大、②現行の賃金要件や企業規模要件の見直し、③保険料の拠出期間の延長、④受給開始年齢の選択的引き上げ、⑤厚生年金の加入上限の引き上げ等について、財政検証を行うよう求めているのである。
社会保障の専門家で構成された年金部会は、ここで年金改革の方向性を示したのである。年金部会の決めた方針にしたがって厚労省は財政検証を行い、これを受けて検討会議がコンフィデンシャルに政策として追認した。結論は2018年の暮れにほぼ固まっていたのである。
■どうみても高所得者に対する優遇感は否めない
手続きはどうであれ、これで年金不安が解消すれば問題はない。問題は中身だ。例えば適用拡大によって、1050万人が新たに厚生年金に加入するケースを想定してみよう。
厚労省の試算によると適用拡大にともない被保険者は、①国民年金から厚生年金に乗り換える人が400万人、②専業主婦から厚生年金に移る人が350万人、③無年金から厚生年金に新規加入する人が300万人にのぼると想定している。
このうち、国民年金から厚生年金に移る人は、賃金の多寡にもよるが月々の保険料は低下するとみられ、適用拡大のメリットを受けられる。だが、②と③のケースはでは、新たに月々の保険料を7000円から8000円程度負担することになる。特に③の場合は将来的に年金を受け取ることが可能になるとはいえ、消費増税同様に目先的には逆進性の伴う新たな負担を負わされるのである。
半面、在職老齢年金を見直すことによって60歳から64歳までの高齢者は、賃金が同じであっても年金の支給額は増える。制度改正のメリットは大きいうえに、この層の高齢者は企業年金に加入している人が多い。どうみても高所得者に対する優遇感は否めない。
■全世代型改革で苦しむのは低所得者や無年金層
適用拡大によって企業の負担も増える。厚労省の試算によると、加入条件である従業員規模を50人超とした場合の企業負担は1590億円にのぼる。以下、100人超で1130億円、適用要件を撤廃した場合は3160億円それぞれ企業の負担が拡大する。
適用拡大の対象となる企業は大半が中小・零細企業である。労使折半となっている保険料の企業負担も決して軽くはない。だが、安倍政権は中小企業への配慮も怠らない。「中小企業・小規模事業者の生産性向上への支援を図るため、ITツールの導入支援等を複数年にわたって継続的に実施する仕組みを構築する」(中間報告)と手厚い支援を約束している。
老齢世代の比較的恵まれている在職者、これまで厚生年金の保険料負担がなかった中小企業には細やかな配慮が行き届いている。それにひきかえ、無年金者を筆頭に低所得者への配慮は、遠い将来のわずかな年金の受給権だけである。心細い限りだ。これだと全世代型改革の下で割りを食うのは低所得者や無年金層ということになる。
少子高齢化が進展する中で社会保障に問われているのは、旧来の発想の延長線上にある改善ではなく、新しい時代に対応した新しい発想の導入である。例えば、公的年金だけではなく、私的年金を含めたトータルな改革である。人口が減少する現役世代の公的年金負担を減らし、その分は私的年金の無税枠を増やしてやる。これをやると既裁定者の受給額に穴があく可能性がある。その分は国が負担する。
この他にも新しいアイデアはいくらでもあるだろう。「結論ありき」の表面的な改善ではなく、年金に通じた専門家の新しい発想や現役世代の希望を取り込むなど、時代にあった改革に取り組むことだ。
検討会議の発足にあたって安倍首相は、「改善ではなく改革を行う」と大見得を切った。だが、やっていることは改革派の意見には耳を貸さず、改善派の提唱する路線の上をひた走っている。改善だけで日本の社会保障は持つのか、若い世代をはじめ現役世代の多くはそこに大きな不安を感じている。
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ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。74年慶大卒、時事通信社入社。東証、日銀、大蔵省など担当。98年経済部次長、解説委員などを経て、09年6月取締役、13年7月からフリージャーナリスト。ブログ「ニュースで未来を読む」運営。著書に共著『誰でもわかる日本版401k』(時事通信)、今年1月には塩田良平のペンネームで初の小説『リングトーン』(新評論、著)を出版。
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(ジャーナリスト 松崎 秀樹)
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