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プロフィギュアスケーターの「目標の精度を上げていく」メモの魔術とは

プレジデントオンライン / 2020年3月28日 11時15分

プロフィギュアスケーター 本田武史氏

■メンタルが落ちると集中力が続かない

1998年の長野、2002年のソルトレークシティと2大会連続で出場した冬季オリンピックではメダルに届かなかったものの、男子フィギュア界の第一人者として輝かしい成績を残した本田武史さん。モチベーションのコントロールには苦労したという。

「16歳でオリンピック出場が決まったとき、夢が叶ったのでスケートはやめようと思ったんです。そのとき、母親に『やめたいならそれでもいいが、やって後悔したほうがいいんじゃないの?』と言われたことが、僕の人生の大きな分岐点になりましたね」

そのときから、練習をし、試合で結果を出すことを「生活の一部」とできるように意識するようになったという。そこで大切にしていたのが「オンとオフの切り替え」だ。

「調子がよくないときは、無理に練習しないんです。気持ちをリセットさせるために、あえて休んで違うことをしていました。自分を無理やり追い込めば追い込むほど、いっぱいいっぱいになり嫌になってしまうので、一旦諦めてしまうんですよ。そうすれば、次の日は新しい気持ちで練習に臨めます。カナダで練習していたときは、練習仲間を誘ってビリヤードをしに出かけたり、ゴルフやサッカーをして気分転換していましたね」

無理に練習をすると疲労が溜まりやすくなり、怪我をしやすくなる。メンタルが落ち着いていないと、集中力が続かず怪我につながりやすい。無理をしてもいいことはないのだという。

■やっても無駄になる練習なら、やらないほうがいい

「やっても無駄になる練習なら、やらないほうがいいですからね。それに、調子がよくないときはいくら練習しても、なぜ跳べないのかわからないんです。頭を切り替えて次の日にうまく跳べたら、昨日はどこがダメだったのかわかるものなんです。4回転を目指していくうえで、その切り替えはすごく大事でしたね」

1998年の長野オリンピックについで出場した2002年のソルトレークシティオリンピックでは、4位入賞を果たす。
1998年の長野オリンピックについで出場した2002年のソルトレークシティオリンピックでは、4位入賞を果たす。(AFLO=写真)

本田さんは日本人として最初に4回転ジャンプを成功させているが、その裏には彼なりの目標の立て方があった。

「一番大きな目標はオリンピックで結果を出すことです。そのためにやるべきことを逆算して、その日、1カ月後、半年後、1年後と明確にし、紙に書いて貼っていました。当時はまだ4回転を跳ぶ人はさほどいなかったので、『まだ誰も飛んだことがないジャンプを跳ぶ』からスタートして、少しずつ精度を上げていく。4回転が1種類跳べるようになったら、次の4回転、その次の4回転……というふうに、1つずつ超えていくんです。RPGのようなゲーム感覚で、楽しむようにしていました」

一日の振り返りで気をつけているのは、悪いところではなく、いいところを探すこと。「今日のジャンプのほうが調子がよかった」など前向きに捉え、少しずつ目標に近づいているんだという実感を得ることが大事なのだという。

指導する際も、調子が落ちている選手に対しては「今は我慢して、次の試合のときにちゃんと上がっていればいいじゃないか」と明るく声をかけるようにしているそうだ。

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本田武史(ほんだ・たけし)
プロフィギュアスケーター
史上最年少の14歳で全日本選手権初優勝。1998年長野オリンピックへも史上最年少の16歳で出場を果たす。2002年ソルトレークシティオリンピックでは4位入賞。引退後はメディア出演に加え、コーチとしても活躍。

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(志村 江)

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