新型コロナ騒動で「最悪シナリオ」に近づく英国経済の末路
プレジデントオンライン / 2020年2月29日 11時15分
■ジョンソン政権に狙い撃ちされる出稼ぎ労働者
英国のボリス・ジョンソン政権が移民排斥に向けた動きを強めている。英政府は2月19日、ポイント制にもとづく新たな就労ビザ(査証)制度を公表、2021年1月1日から実施すると発表した。詳細には言及しないが、この新制度の目的は、高いハードルを設けることを通じて英国で就労する外国人労働者の数を制限することにある。
事実上、狙い撃ちとなっているのが、自ら袂を分けた欧州連合(EU)からの出稼ぎ労働者たちだ。これまで主にポーランドやルーマニアといった中東欧諸国からは、高い賃金を求めて多くの人々が英国へ出稼ぎに赴いていた。彼らはいわゆる低賃金労働者として活躍し、英国民の生活になくてはならない存在であった。
しかし移民労働者の存在は、同時に英国民にとって畏怖の対象にもなった。少なくない英国民が、移民労働者は英国民から就労の機会を奪う存在であると考えるようになった。こうした移民に対するネガティブな感情が、英国民をEU離脱に突き動かす一因になったという見方は、一定の説得力を持っている。
英政府は、英国で就労しているEU出身者の約7割が新制度で必要となるポイントに満たないとみている。すでに永住権を持つEU出身者には影響がないものの、ポイントが不足する出稼ぎ労働者は本国に強制的に帰還させられることになる。同時に、将来的にEUから移住したり出稼ぎに来たりする人々の数が制限される。
■移民排斥で懸念される生産性パズルの深刻化
EU離脱派が重視したことは、経済的な利益よりも政治的な利益の回復にほかならない。晴れてEUから離脱した今、EUからの移民を狙い撃ちすることで、移民政策の自主権を回復したことを大々的にアピールしたい。このタイミングでポイント型ビザ案を公表したジョンソン政権の狙いは、そこにあったのかもしれない。
そうした政治的な利益の回復への評価はともかくとして、経済的な面で懸念されることは、この事実上の移民排斥を通じて英国が抱える生産性パズルの問題が深刻化し、英国の通貨ポンドに構造的な下落圧力がかかることだ。そして持続的なポンド安は、輸入依存度が高い英経済を着実に蝕(むしば)むと警戒されるのである。
英国の労働生産性は、2008年に生じた世界金融危機をきっかけとして、その伸びが日本を含めた主要先進国の中でも最も低くなってしまった。つまり景気は拡大しているものの、経済を成長させるうえでの効率性の向上が足踏みしているという状況に、現在の英国は苛まれているわけである。この問題を生産性パズルという。
なぜ英国で生産性パズルの問題が深刻化したのか。有力な仮説の1つに、金融業に対する世界的な規制強化の流れが挙げられる。金融業をお家芸としてきた英経済にとって、世界金融危機後に強まった規制強化の動きはまさに逆風であった。なお同様に金融業が強い米国の場合は、IT産業などほかのけん引役があったためこの問題が軽かった。
■「コロナ騒動」が英国の内向き化に拍車をかける恐れ
稼ぎ頭であった金融業が低迷する一方で、付加価値をあまり生まない産業、具体的には建設労働や小売販売などといった日々の生活に不可欠な職業に従事していたのが、中東欧を中心とするEUからの出稼ぎ労働者であった。要するに英国の労働者がやりたくない仕事を、彼らよりも低い賃金水準で担っていたのが、出稼ぎ労働者であったわけだ。
しかし出稼ぎ労働者を排除すれば、そうした生活に不可欠な職業に従事する人々がいなくなってしまう。国内で雇用を確保するためには賃金を引き上げる必要があるわけだが、それはコストアップであり悪性インフレ、つまりは労働生産性の低下につながる。その行きつく先は通貨安、つまりポンド相場の下落ということになる。
通例、生産性が伸びないにもかかわらずインフレが加速するような国の通貨は下落するものだ。輸入依存度が高く輸出の景気けん引力が弱い英経済にとって、ポンド安のデメリットは大きい。ポンド安で購買力が低下し、輸入品の値段が上昇する。そのためインフレがさらに加速し、それが消費の、ひいては経済成長の重荷となる。
またタイミングが悪いことに、年明けからは新型コロナウイルス騒動で、アジア系の人々に対する差別が広がり、暴行事件も多発しているようだ。「コロナ騒動」にともなう混乱がヒトモノカネの自由な行き来で経済を成長させてきた英国を一段と内向き化させ、移民の排斥に向けた動きを加速させる可能性がある。
■財政拡張もポンド安につながる恐れ
インフレを収束させるためには財政と金融の両面で引き締め策を行うことが必要となるが、その結果、景気は一時的にせよ悪化することになる。それができない限り、インフレ高と通貨安から脱することはできない。とはいえ、EU離脱のアピールに躍起となるジョンソン政権に、そうした有権者に不評な引き締め策を断行する勇気などないだろう。
それどころかジョンソン政権は、EU離脱を正当化するために財政拡張に努めようとしている。3月11日に発表予定の2020年度予算は、単年度の財政赤字をGDPの3%以内とするEUの財政ルールにとらわれる必要がない。EU離脱を正当化したいジョンソン政権は公共事業の増額を盛り込んだ大型予算を発表する見込みだ。
英国のように経常収支の赤字が定着している国が財政赤字を膨らませることは、本質的には通貨安の要因になるはずである。為替は水物であるため、財政出動で景気が短期的に浮揚することへの期待から、ポンド相場が上昇する可能性もある。とはいえ、そうした流れは長くは続かず、一過性である可能性が非常に高い。
ジョンソン首相や離脱推進派は、EU離脱という政治的な成果をあくまで重視している。そのためには、経済的な痛みを負うことなど仕方がないと考えているのだろう。とはいえ英国の経済の事情を考えると、最も優先されるべき通貨の安定をジョンソン政権は放棄しているわけである。その痛みに英国はどれだけ耐えられるだろうか。
■本末転倒が予想されるポンドの為替レート
移民を排斥した結果、生産性が一段と伸び悩み、それがポンド安を促すとしたら、結局のところ離脱推進派の生活は豊かになるどころか、なおさら悪化することになる。こうした本末転倒な事態に、英国はこれから直面することになる。すでに産業界は強い懸念を示しているが、多くの英国民にはまだその実感はないようだ。
経常収支が赤字である英経済にとって、本来なら通貨の安定こそが、安定的な成長の前提条件となる。英国の場合、そもそもの特徴として、ほかの主要国と比べて製造業が弱い。加えて、EU離脱を嫌った多国籍企業が生産拠点を大陸に移管する動きを強めている。したがってポンド安で輸出が刺激されても、景気浮揚効果は限定的だ。
それに、確かに英国はEUの通貨ユーロに参加していなかったが、ポンドの為替レートはEU経済との兼ね合いで決まっていた性格も強い。EU離脱の是非を問う国民投票で離脱派が勝利し、ポンドが暴落したことはその端的な表れだ。英経済が高成長軌道に乗ればポンド高が進むだろうが、そうした展望はまず描き難い。
EU離脱で英国の通貨ポンドの為替レートはどのように変わっていくのだろうか、推移をウオッチしていきたい。
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三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員
1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。
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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員 土田 陽介)
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