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依存症の専門医が「人類最凶の敵はスマホゲーム」と警告する理由

プレジデントオンライン / 2020年3月10日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/miljko

あなたは何に「依存」しているだろうか。アルコール依存症の専門家である久里浜医療センターの中山秀紀精神科医長は「依存物は人類最強(凶)の敵の一つ。そのなかでも現在最強なのがスマートフォンだ。特にオンラインゲームは極めて依存しやすい仕組みなのに規制がない」と指摘する――。

※本稿は、中山秀紀『スマホ依存から脳を守る』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■「最凶の依存物」は規制までに20年かかった

人と依存物の歴史には共通点があります。

まず、人が依存物を「発見」します。当初はその使い方がよくわからなかったりしますが、やがて依存物の「効用の発見」をします。依存物は即時的な「快楽」をもたらすので、「これは素晴らしいものだ!」といって人々の間に広く知れ渡り、使われるようになります。その間にしばしば依存性のある物質が抽出されるようになるなどの、「性能強化」がなされます。

多くの人々に広まり「蔓延」すると、次第に依存物の害による「社会問題が拡大」します。公共秩序の乱れや生産性の低下につながるので、政治的、宗教的、道徳的な「規制」が入ります。

しかし「規制」ができるまでに、かなり時間を要する場合もあります。覚せい剤の場合には終戦後、日本において一般に「蔓延」してから、規制する法律ができるまで数年程度でした。一方でその依存度や離脱(禁断)症状の強さから、最強(凶)の依存物とされるヘロインの場合は、1898年にドイツのバイエル社によって鎮痛・鎮咳剤として発売(1874年に初めて合成)されますが、ドイツでは1921年のアヘン協約の批准まで20年以上も、薬局で自由に手に入れられたとされています。

■未だに人間が克服できていない「敵」である

規制」によって、依存物の入手コストは必然的に上がります。非正規の手段による製造・流通コストが上乗せされるためです。社会的、道徳的な抑止力とこうしたコスト変動が一定の抑止効果をあげることが多いのですが、残念ながら完全なものではありません。そして規制や罰則自体が依存物の使用に貢献してしまう側面もあるのは先述の通りです。結局撲滅には至らず、油断するとすぐに依存物・依存症による問題が「再拡大」します。

さて、人類には克服できていない病気や事故が存在します。その中でも依存物は石コロのように動かないので侮られがちです。しかし古代から現在まで死闘を繰り広げても克服できていない、人類最強(凶)の敵の一つだとみなして間違いありません。そして近年スマホなどを介したインターネットコンテンツ、オンラインゲームが依存物の列に加わり、さらに人々を脅かしつつあるのです。

■初期のゲームは依存症とは無関係だった

スマホ、インターネット依存症で最も依存的使用の報告が多い、ゲームの歴史的経過を見ていきましょう。

「ゲーム」というとボードゲームや屋外でのスポーツなど様々なものを包括しますが、ここでは電子ゲームのことについて述べます。

歴史上でゲームマシンの最古の例として挙げられるのが、スペインの発明家レオナルド・トーレス・ケベードが1912年に完成させた、チェスの最終局面をプレイできる電気式の「エル・アヘドレシスタ」(スペイン語で、チェスプレイヤーの意)です。これは、計算機を利用して作られた最初のゲームです。電気式のアームで白のルークとキングを扱い、対戦する人間が黒のキングを盤面のどこに置いても、電気センサーでその位置を感知して詰ませられる装置であったとされています。

この事例はゲームの「発見」に相当するでしょう。

その後、欧米を中心とした計算機やコンピューターの発展に伴いゲームは次第に「性能強化」を重ねますが、当時のゲームは研究者などごく一部の人のみが使用でき、またその性能の低さから、依存症とはほとんど無関係であったと考えられます。ただしきっと「面白い」「楽しい」と思ったに違いありません。当時のゲーム使用者の気持ちはわかりませんが、このことは「効用の発見」に相当するかもしれません。

米国のノーラン・ブッシュネルは一人遊び用の宇宙シューティングゲームを開発し、その試作機を1971年に完成させます。これをナッチング・アソシエーツ社に売り込み、同社から「Computer Space」と名付けられた史上初の業務用ビデオゲーム機が製造されます(ただしこのゲームはあまり売れなかったようです)。

■社会現象になった「ファミリーコンピュータ」

1972年には初の家庭用テレビゲーム機である「ODYSSEY」が発売となり、これは8万5000台の売り上げを残しています。これ以後、様々な業務用・家庭用ビデオゲーム機が大量に製造・発売されていくことになります。いわゆる、「蔓延」の期間です。なおブッシュネルは、1972年に有名なアタリ社を創設し、ピンボールゲームの「ポン」など様々なビデオゲーム開発を進めていきます。

日本においては、1973年に前述の「ポン」と類似した「エレポン」や「ポントロン」などのビデオゲームが発売されています。

1978年にはタイトーから「スペースインベーダー」が発売され、国民的なブームを巻き起こしています(「蔓延」)。3年前の1975年にはエポック社から、日本初の家庭用テレビゲーム機である「テレビテニス」が発売されています。その後、様々な業務用・家庭用ビデオゲーム機が製造・販売されていきますが、米国でも、1977年にカートリッジ交換式のテレビゲーム機「Atari 2600」が登場します。

日本でも同じ形式のテレビゲーム機がいくつか発売されますが、1983年に任天堂から発売された「ファミリーコンピュータ」は、84年末までに300万台を超える普及台数を達成して社会現象にもなりました(「蔓延」)。読者のみなさんの中には、青少年時代に「スペースインベーダー」や「ファミリーコンピュータ」のお世話になっていた方も、かなり多いのではないでしょうか。こうしてコンピューター技術の発展と共に、ゲーム機やソフトなどの性能強化が着々と行われていったのです。

そのうちの決定的な「性能強化」、それが、ゲームとインターネット技術の合体でした。

■ゲームとインターネットが合体した

ここで少々、インターネットの歴史について触れます。

インターネットの起源は、1969年に米国にできた都市(長距離)間のコンピューター同士を接続した「ARPANET(Advanced Research Projects Agency NETwork)」とされています。

1970年代より日本でも、大学の研究室内やオフィス内などのコンピューター同士を接続したローカルエリア・ネットワークが研究されるようになります。日本での長距離ネットワークのさきがけとしては、1984年の大学間のコンピューター同士をネットワークでつないだ「JUNET(Japan University NETwork)」が有名です。

ゲームの世界もインターネットと結びつくことによって、飛躍的な進化を遂げました。オンラインゲームの誕生です。

米国のイド・ソフトウェア社は1992年にパソコン向けのゲーム「Wolfenstein 3D」を発売、このゲームは自分が銃を握る手ごと画面に描画され、自分自身もキーボード操作で移動するという一人称シューティングゲーム(First Person Shooter/FPS)でした。イド社は翌1993年に「DOOM」というFPSをリリースしますが、このゲームはパソコンをネットワーク接続することで四人までのプレイヤーが協力・対戦でき、オンラインゲームの萌芽とされています。そして1997年に、「ディアブロ」や「ウルティマオンライン」という、インターネットによる大規模多人数同時参加型ロールプレイングゲーム(Massively Multiplayer Online Role‐Playing Game/MMORPG)が登場します。

■オフラインゲームは、時間に縛りがあった

オフラインとオンラインゲームの違いは、何でしょうか。

それまでの(インターネットにつながっていない)オフラインゲームではソフトウェアに搭載できる情報量に限界があるため、たとえば家庭用のロールプレイングゲームなどでは、100時間程度でクリアできるものが多かったと思われます(もちろん、ゲームの種類やプレイする個人によって差があります)。スポーツゲームやシューティングゲームなどは複数でのプレイも可能でしたが、主に友人などと一緒に楽しむものでした。

そしてゲームセンターや喫茶店などに設置されているアーケードゲーム機をプレイするにはそのつどお金がかかり、営業時間という縛りもありました。私の住んでいた地域(札幌)では、中学生以下のゲームセンターへの出入りが禁止されていたことを憶えています(ゲームセンターへの出入りがばれると、学校の先生に説教されていました)。つまり、ゲームセンターにはこっそり行くものであり、たとえ行ったとしても大人たちやそこにたむろしている不良たちの目を気にしながらというような環境で、安心してプレイに没入できるようなものではなかったでしょう。

■オンラインゲームは「飽きる」ことができない

オンラインゲームには、終わりがありません。オフラインゲームには有限性があり、飽きることができました。飽きるというのは、依存症の発症を妨げる重要な因子です。それに対しオンラインゲームは、いつでも利用可能で常時更新されるエンタテインメントであり、飽きることができないように設計されているのです。

オンラインゲームでは、いつでも世界中の人とつながれます。インターネット上で一緒にプレイを楽しみながら、ゲーム会社からしばしば追加される新しいコンテンツを共有できる。こうしてオフラインゲームと比較して圧倒的に飽きない、飽きのこない環境で遊び続けることができます。この無限性が依存症につながり得るのです。

ましてやコンピューター自体やオンライン機能によるゲームの性能向上は、より多くの「快楽」(より楽しい)をもたらします。オンラインゲームが開発されたことによって、ゲームの依存性が格段に増したのは疑う余地がありません。

■本当は「一日中テレビを見ている子供」はいなかった

依存性が格段に増したのはゲームだけではありません。

インターネットのない時代からメディア(情報媒体)はたくさんありました。テレビやラジオ、新聞、雑誌、本、手紙、電話、ビデオ、映画、交換日記など多種多様なものです。

しかし、これらのメディアは制約が多いものでした。

たとえば、家で“一日中テレビばかり見ている子ども”は以前から社会問題でした。

ですが、子どもの興味のある番組は、一日のうちせいぜい数時間程度しかなかったでしょう。そもそも昭和の時代では、テレビは一家に一台の家庭が多く、子どもたちが見たい番組をいくらでも好きなように見られる環境にはありませんでした。つまり、“一日中”は文字通りの意味ではなく、あくまでも表現的な意味合いだったのです。

手紙も同様です。毎日、手紙を書く。一日中、手紙を書く。このような表現も、実際には手紙が相手に届くまでにはある程度の時間がかかり、返信されるまでにもそれなりの時間が必要です。要するに、一日中ひっきりなしにやりとりすることは不可能でした。

■いつでもどこでも快楽を得られる「スマホ」という存在

これらの点が、インターネットは異なります。

中山秀紀『スマホ依存から脳を守る』(朝日新書)
中山秀紀『スマホ依存から脳を守る』(朝日新書)

既存のメディアから進化したインターネットは、大量の情報を瞬時に相互に送ることができるため、時間の様相を変えてしまいました。既存メディアの欠点のほとんどを補っているといわれるほど、「双方向」しかも「個別」に「同時に」機能します。それゆえ、やりだしたらきりがない「依存的性質」を備えるメディアになりました。「使用中止」の判断はあくまでも自分の手、自制心にゆだねられているメディアなのです。

こうした依存的使用に関する報告が最も多いのはゲームのようですが、SNSや動画、メッセージアプリ(LINEなど)、掲示板、情報サイトなどの依存的使用もあります。そして買い物依存症やギャンブル依存症も、インターネットが介在することによって(オンラインショッピングやギャンブル要素のあるアイテム課金など)、その様態を急速に変えています。

しかもそれらすべてを「携帯可能」にし、いつでもどこでも「手軽」に、「快楽」を「飽きにくい」性質のあるインターネットコンテンツで利用可能にしたのが、現在最強の依存物の一つであるスマホなのです。

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中山 秀紀(なかやま・ひでき)
久里浜医療センター精神科医長
1973年、北海道生まれ。医学博士。専門領域は、臨床精神医学、アルコール依存症。2000年、岩手医科大学医学部卒業。04年、同大学院卒業。岩手医科大学神経精神科助教、盛岡市立病院精神科医長を経て、10年より久里浜医療センター勤務。同年、「第45回日本アルコール・アディクション医学会優秀演題賞」受賞。19年、「第115回日本精神神経学会学術総会優秀発表賞」受賞。11年より、インターネット依存症治療部門に携わる

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(久里浜医療センター精神科医長 中山 秀紀)

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