部屋を片付けられない女性たちが抱える「心の闇」
プレジデントオンライン / 2020年3月12日 11時15分
※本稿は、榊原洋一『子どもの発達障害 誤診の危機』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
■発達障害の「常識」が変わりつつある
発達障害は、圧倒的に男性に多い障害である、というのがこれまでの常識でした。男性に多いという点は、現在でもその通りですが、圧倒的にという形容詞ははずさなくてはいけないことがわかってきています。
男性が圧倒的に多いという常識に大きな変化があったのが、発達障害の中でも注意欠陥多動性障害(ADHD)です。1994年に出版されたDSM-Ⅳ(『精神障害の診断と統計マニュアル 第4版』)では、注意欠陥多動性障害の有病率の男女比は、研究者によってばらつきがあるものの、2対1~9対1と圧倒的に男児に多いことが示されています。
ところが、DSM-Ⅳから18年後に改訂されたDSM-5(『精神障害の診断と統計マニュアル 第5版』)では、その比率は2対1まで低下し、さらに成人では1.6対1とますます男女比が少なくなっているのです。さらに研究者によっては、成人では有病率の男女差はない、とまで言い切る人もあるくらいです。
女性の注意欠陥多動性障害についての社会的認知が進んだのは、アメリカで大ベストセラーになり、
■なぜ女性の「ADHD」は気づかれにくいのか
もちろんそれ以前から女児(女性)にも注意欠陥多動性障害はあることはわかっていました。ただ女児では、多動や衝動性などの症状が目立たなく、頻度も男児よりずっと少ないと思われていました。
さらに当時は、注意欠陥多動性障害は子どもの障害であり、思春期を過ぎると症状が軽快ないしは治癒すると思われていたのです。ですから、注意欠陥多動性障害によって「片づけられない女たち」がいることは社会的に広まったものの、数少ない女児でさらに大人になっても症状が続いている特異な例と考えられたのではないでしょうか。
ところが現在明らかになったことは、女性の注意欠陥多動性障害は男性に比べて「格段に少ない」のではなく、子どもでは男子の約半分の有病率であり、大人になると男性成人の約3分の2の有病率(男女比で1.6対1)と、決して希なものではないことがわかったのです。
決して希ではない女性の注意欠陥多動性障害には、男性にはない、大きな特徴があります。
まず、注意欠陥多動性障害の症状に気づかれず、適切な対応や治療が行われることが少ないことです。
気づかれにくい理由はいくつかあります。一つは、男性と異なり、多動や衝動性の症状が少なく、不注意症状が優位であるということです。
■「ぼーっとしている」だけだから周囲も気づかない
注意欠陥多動性障害の男児の多くは、席についていられない、走り回る、お喋りなどの多動行動が多く、親や教師から気づかれやすいのです。ところが注意欠陥多動性障害の女性(児)は、多動行動が少ないために、周囲は気がつきません。
アメリカの注意欠陥多動性障害の教科書には、この障害の子どもの特徴をわかりやすく言うと、男児は「考える前に行動してしまう」、女児は「ぼーっとしている(dreamy)」と書かれています。女児の場合は、教室などで動き回りお喋りな男児と異なり、静かに「目立たずぼーっとしている」ことが多いのです。
もう一つの理由は、親や教師のみならず、専門家(医師、心理士)の間に、注意欠陥多動性障害は、圧倒的に男児に多い障害であるという認識がいわば「常識」として定着していることです。
静かにしている注意欠陥多動性障害の女児にはなかなか気づかないのです。子どもの注意欠陥多動性障害の行動特徴に気づき、医師などの専門家に相談して診断がつくきっかけは、親自身が気がつくこともありますが、その多くは保育士や教師による気づきです。女児の注意欠陥多動性障害は、多動と衝動性の強い男児の障害であるという「常識」を持つ保育士や教師の目からこぼれ落ちてしまうのです。
■女の子には「3つの縛り」がある
さらには、女性が男性よりも総じて自己管理能力あるいは対処スキル(coping skills)が高いことです。身だしなみや持ち物について、女性は生来男性よりも気を配る習慣がついています。女児は男児よりも、自分の見かけ(ルックス)によって自己肯定感を高める傾向が強いことが、心理学的研究によって明らかにされています。これは、女児が本来持っている行動特質というより、生まれた時から女児に対して存在する社会的期待によるものでしょう。
女性の高い自己管理能力に由来する、不得手なことを人に知られずに克服しようという気持ちによって、不注意などの特徴が周囲から気づかれにくいのです。
アメリカの研究者は、こうした特徴のために注意欠陥多動性障害の女性は、「気づかれず、診断されることが少なく、その結果治療されることが少ない(under recognized, under-diagnosed, and under-treated)」と断じています。
アメリカのステファン・ヒンショーによれば、女児は子ども時代から「3つの縛り(triple bind)」の中で生きてゆくように求められていると言います。
3つの縛りとは、①女の子らしく「可愛(かわい)く」「他人に優しく」「礼儀正しく」すること。②同時に、(男の子のように)「他者に負けず」「やる気を持ち」「人を楽しませ」「運動能力も優れている」こと。③そして、さらに①や②の行動を「さりげなく」こなすこと、です。
■社会の圧力によって二次障害につながっていく
有名なテレビコマーシャルに「腕白(わんぱく)でもいい、たくましく育ってほしい」というのがありましたが、画面に登場するのは男の子であり、男児に向かって述べられた言葉です。このコマーシャルにあるように、男児であれば多少は乱暴で身だしなみが乱れていても許容する社会的雰囲気の中で、注意欠陥多動性障害の男の子の行動は大目に見てもらえる可能性があります。しかし女児の場合は、3つの縛りのように、その行動により厳しい社会的な目があるのです。
こうした社会的風潮の中で、注意欠陥多動性障害の女児は、男児にはない大きなストレスを感じながら生きてゆかなければならないのです。のちにそれが女性の注意欠陥多動性障害に特徴的な二次障害につながってゆきます。
男女共同参画の時代と言われて久しい現在でも、世界経済フォーラムが2018年に発表した世界の男女格差報告で、日本は世界153カ国中121位という地位に甘んじています。妊娠、出産という女性特有のライフイベントだけでなく、子育てにおいても女性に依存するところが大きいのが現実です。
前項で述べた女性に対する社会的期待の上に、さらに妊娠、出産という細かなケアが必要なイベントを乗り越えなければなりません。出産後はさらに、自分自身と子どものケアを同時並行的に行っていかなければなりません。同時並行で複数の作業をする場合には、実行機能の一つである作業記憶をフルに働かせなくてはなりません。しかし、注意欠陥多動性障害を有する人は、作業記憶の機能が不十分なのです。
■注意欠陥多動性障害で苦しむ40代女性の例
注意欠陥多動性障害の大人の女性の体験談を次に示します。この障害のある大人の女性の人生の困難さがわかると思います。
M・Yさん 40代
M・Yさんは、私が大人の注意欠陥多動性障害として治療している夫の勧めで、私の外来に来られました。不注意や衝動性などの症状があり、注意欠陥多動性障害の診断基準を満たしていましたが、現在の悩みは長年のうつが治らないことでした。心療内科で双極性障害(躁うつ病)と診断され、多数の抗うつ薬を処方されているが、治らないと悩んでおられました。
子ども時代を振り返ると次のようなことで悩んでいたそうです。
・宿題や母親の手伝いを先延ばししてしまう。
・歩く時に周囲に気を取られて、人や物によくぶつかる。
・ものを丁寧に扱えず、食器を割ったりドアをばたんと閉めてしまう。
・とにかく物をよくなくす。
こうした行動特徴があったために、母親から厳しく叱られることが多かったそうです。
学校生活では、
・授業に集中できず、ノートや机に落書きをしていた。
・授業中に挙手して発言するのが苦手。
・教科書などを学校に持ってくるのをよく忘れた。
・自己肯定感が低く、よくいじめられ、腹痛や下痢などの自律神経失調症になった。
・運動は得意で、男子とともに雲梯の上を速く歩いたり、階段の何段上から飛び下りられるか男子と競ったりした。
■社会に出てからうつ状態になり退職
大人になってから職場では、
・事務的な書類作成が苦手で、いつも事務職員の方に横に付いていてもらわなければできなかった。
などの困難があり、16年目にうつ状態になり退職しました。
家庭では、
・必要以上に買い物をしてしまい、物が収まらない。本や衣服で散財してしまう。
・聞きながらメモをとることができないため、電話対応ができない。
・規則正しい生活ができず、活動のスイッチがなかなか入らない。
・物をよくなくす。
このように、大人の注意欠陥多動性障害による困難症状がすべて揃(そろ)っているような状態でした。うつや双極性障害は、注意欠陥多動性障害の二次障害である可能性もあったために、すぐに薬(コンサータ)による治療を開始しました。
1カ月後私の外来を再受診したM・Yさんから、うれしい報告がありました。薬(コンサータ)を飲んでから、自分の注意欠陥多動性障害としての特性がわかるようになり、自己肯定感が向上しただけでなく、自分の特性に合わせた計画をたてて日常生活を送れるようになった、というのです。さらに、うつの症状が軽快し、3種類服用していたうつの薬を減らすことができたというのです。
■「症状の浮き沈み」があることも女性特有だ
その後M・Yさんは、旦那さんと一緒に私の外来で治療を続けていますが、本書を執筆している現在、うつの薬はすべてやめることができています。つまり、M・Yさんのうつは、注意欠陥多動性障害の二次障害であったと考えられるのです。
ご紹介した体験の背景には、注意欠陥多動性障害の二次障害が女性でも男性と同じく顕著であるという事実があります。少女期に注意欠陥多動性障害と診断されて成人した女性の様々な実行機能や、二次障害を詳しく調べている研究者もいます。
子ども時代に注意欠陥多動性障害と診断された若い成人女性は、子ども時代から引き続き衝動コントロールや集中力などの実行機能が低いこと、またリスクの高い判断をする傾向が強いことが明らかになっています。自殺企図やリストカットなどの自傷行為の頻度も、定型発達女性に比べて有意に高くなっています。
さらに最近(2018年)ベッサン・ロバーツらは、注意欠陥多動性障害の衝動コントロール不全による症状が、女性の生理サイクルに従って変動することを明らかにしました。
血液中の女性ホルモン(エストロゲン)と黄体ホルモン(プロゲステロン)の変動に同期して、注意欠陥多動性障害を有する女性の衝動性が、排卵後と月経のあとに高くなることがわかったのです。
こうした性ホルモンの変動は、月経前緊張症候群と呼ばれるイライラ感の亢進(こうしん)やうつ症状を主徴とする精神疾患として知られています。このように注意欠陥多動性障害の女性には、男性にはない症状の浮き沈みという困難もあるのです。
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お茶の水女子大学子ども発達教育研究センター名誉教授
チャイルドリサーチネット所長。1951年、東京生まれ。東京大学医学部卒業。小児科学、発達神経学、国際医療協力、育児学が専門。発達障害研究の第一人者。『最新図解 ADHDの子どもたちをサポートする本』(ナツメ社)など著書多数。
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(お茶の水女子大学子ども発達教育研究センター名誉教授 榊原 洋一)
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