キヤノンの米国開拓記「こうして私はカメラシェアのトップに押し上げた」
プレジデントオンライン / 2020年3月24日 9時15分
■米国カメラ市場最下位からの挑戦
キヤノンの社長に就任したのが1995年。2006年から4年間は経団連会長の仕事に専念しましたが、その間はもちろん、現在も経営の最前線でカジ取りをしています。これだけ長く経営の第一線にいられるのも、若い頃にさまざまな経験を積ませてもらったおかげです。とりわけ20代、30代のビジネス体験は、仕事の基礎を築くうえで大いに役立っています。
私は1961年にキヤノンに就職しました。しばらくカメラ工場の組立業務を経験したあと、経理課に配属されて為替の取引を担当。それから営業部門へ異動になり、国内のカメラ販売を担当しました。
人生の転機となる米国駐在を命じられたのは、30歳のとき。まだ海外旅行も珍しい時代です。私は海外どころか飛行機に乗るのも初めてで、それまでの人生とはまったく違う世界に飛び込む心持ちでした。キヤノンUSAは、私を含む日本人が7人、現地採用のスタッフが6人という小さな所帯。英語ができないと仕事にならないので、平日の昼は仕事、夜と休日は語学学校という生活を送る日々でした。
■キヤノンは最下位という市場環境
当時の米国市場は、コダック社の安価なカメラが圧倒的なシェアを占めていました。高価なカメラを買うのは、一握りのプロやカメラ愛好家だけ。当時はコダックも含めたメーカーが群雄割拠していましたが、キヤノンは最下位という市場環境でした。
私は現地で経理を担当していましたが、時間があったので自ら手を挙げ、カナダへたびたび出張して電卓を売ってまわりました。一方で、経理の知識を深めようと、米国の一流企業の株をいくつか買い、財務諸表を研究しました。米国流の経営はどんなものかと学んでいったのです。
日本国内ではトップ争いを繰り広げていた時期に、米国市場での知名度は相変わらず最下位クラス。販路であるカメラ専門店は、競合他社たちに押さえられていました。
転換点となったのは、76年発売の「AE-1」です。当時でいう“マイコン”を搭載した画期的なカメラでした。コンピュータがシャッタースピードとレンズの絞りを決めてくれるので、撮影者はピントを合わせるだけ。誰でもセミプロ並みの写真が撮れるうえ、値段は中級クラスだったのです。
私はこの「AE-1」で一気に米国のトップに立とうと考えました。専門店の販路が使えなかったので、消費者に直接アピールしようとカメラではじめてテレビCMを打ったのです。スポーツとの組み合わせがいいと、大人気だったテニスプレーヤーのジョン・ニューカムを起用。当時業界では「ミタライはクレイジーだ」と言われたものです。それまで一眼レフカメラは、テレビでCMを打つような大衆向け製品ではなかったのです。
しかしこれが大当たりし、一般消費者が「AE-1」を求めてカメラ販売店に押し寄せた。それまで一眼レフの市場は年間60万台だったのが、「AE-1」だけで累計100万台以上が売れました。米国市場でトップに立ち、私は79年にキヤノンUSAの社長になることができました。84年のロサンゼルス五輪で、キヤノンがカメラのオフィシャルスポンサーの権利を獲得したことや、それに伴い「New F-1」が公式カメラになったことも大きな出来事でした。大企業の仲間入りとなる売上高10億ドルに到達したのもこの年です。
13人でスタートしたキヤノンUSAは、私が駐在していた23年間で6400人の大所帯にまで成長しました。組織が拡大する過程で、会社に対する価値観の壁に何度もぶつかりました。
■せっかく育てたのにふざけるな
あるときキヤノンUSAで、米国人のとても優秀な社員がいて「そろそろマネジャーにしよう」と考えていたとき、転職すると言われたことがあります。私のところへきて「御手洗さん、ありがとう。あなたが鍛えてくれたおかげで、いい会社に引き抜かれました」と言うのです。せっかく育てたのにふざけるなと怒りをおぼえていました。
しかし、社長をやって10年経った頃にようやく、心から「コングラチュレーション!」と握手できるようになった。彼らは、杓子定規にありがとうと言っているのではなく、心の底から会社、キヤノンに感謝しているんだとわかったのです。人材の流動性が高くても、自分を育ててくれた会社には感謝する。彼らが、会社を辞めてもキヤノンを愛していることに変わりはないと気付くことができたのです。
私は米国市場の経験が長いので、経営手法も米国流だと勘違いされることも多いのですが、日本と米国では社会や企業の成り立ちがまるで違います。そういうビジネス観を育むことができたのも、30歳で米国市場へ勇気を持って飛び込んだおかげ。いまの若い世代にもそうやって幅広い経験を積んでもらいたいですね。
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キヤノン代表取締役会長CEO
1935年、大分県生まれ。中央大学法学部卒業後、キヤノンへ入社。79年キヤノンUSA社長、95年キヤノン社長。2006年経団連会長、キヤノン会長に。従業員数は約20万人。グループの売り上げは、海外市場が約8割を占める。
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(キヤノン代表取締役会長CEO 御手洗 冨士夫 構成=伊田欣司 撮影=的野弘路)
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