富士そば会長「ボロ儲け不動産業から1杯45円かけそばに転身した理由」
プレジデントオンライン / 2020年4月25日 11時15分
■「名代富士そば」誕生の秘密
おかげさまで富士そばは海外18店舗、国内133店舗になりました。約50年をかけてゆっくり店舗を増やしてきましたが、途中にはターニングポイントがいくつもありました。そこで判断を間違えていたら、いまのような規模にはなっていなかったと思っています。
最初の決断は、立ち食いそばの店を始めたことです。私は1960年代半ば、3人の共同経営者と不動産業を営んでいました。そのころ不動産業は絶好調でしてね。大きな山を買って羊羹のように切って売るだけで、お金がどんどん入ってきました。月の売り上げは30億円。毎日1億円の現金が入ってくるので、銀行が私たち専用の窓口をつくってくれたほどです。
でも心の中では、「こんな商売は麻薬だ。ありえない」と思っていました。10代のころは八百屋や油屋で丁稚などをしていて、稼ぐことの大変さは身に染みてわかっていたのです。ボロ儲けできる商売は、絶対に長続きしません。いずれダメになるのだから、そのときに備えて堅実な商売をやっておかないといけない。そう考えて、仲間に立ち食いそば屋を提案したのです。
そのころ東京には立ち食いそば屋がありませんでした。新潟か福島を旅行したときに駅のホームで見かけたのですが、あの業態は、みんな忙しく動き回っている東京のほうが合うはず。仲間をそう説得して、1人70万円ずつ預かりました。当時の私たちの月給は500万円でしたから、70万円もそこまで高くはなかった。1号店は渋谷。お菓子屋さんをやっていた4.5坪の場所でした。目論見は当たって、すぐに1日1000人の人がやってきました。軌道に乗って、新宿、池袋、西荻窪にも立て続けに店を出しました。
■確実に日銭が入ってくるのは心強かった
繁盛したといっても、当時かけそばの単価は1杯45円です。1つ売って200万円の利益が出た不動産業と比べると、まったく儲かりません。でも、確実に日銭が入ってくるのは心強かった。その後、紆余曲折あって仲間とは袂を分かち、独立してこれまでやってきました。ここまで長く続けられたのは地に足がついた商売をやってきたからだと心から思っています。
次の大きな転機は、お茶の水店の出店でしょうか。いい物件があると聞いて見に行ったら、たしかに場所はいい。ただ、有名な建築家が改装した物件で2000万円するという。相場よりずっと高くて、かなり悩みました。しかし、最終的には出店を決めました。いい物件なら客は入るし、「富士そばは、いい物件なら金を出す」と評判になれば不動産屋さんから情報を持ってきてくれるようになると睨みました。
実際、お茶の水店を出した後は物件の情報が集まり始めました。いまも毎朝30~40件は物件紹介のファクスが届きます。そして、そこから本当にいい物件だけを選んで出店する。その戦略を方向づけたのが、お茶の水店だったわけです。
ちなみに私が考える“いい物件”の条件は、道路の地面が見えないくらい人が歩いていること。よし、いけると思える物件は少ないですよ。知り合いの不動産屋や金融機関からは「もっとバッと出せばいいのに」と言われます。でも、規模を拡大しようと急いで出店することはしてきませんでした。
厳選しているいまでも失敗はあります。お客が入らなくて撤退すると、違約金は払わなくちゃいけないし、従業員を遊ばせることになる。1つ失敗したら、それを取り戻すのに相当な時間がかかります。そう考えると、失敗を覚悟して慌てて出すより、遅くても絞りに絞って出したほうがいいのです。
勝ちパターンが確立されてからは、経営上の迷いはほとんどなかったように思います。唯一揺れたのは、私自身の人生の問題です。
■作詞家になることを夢見ていました
じつは私は子どものころから演歌が好きで、いつか作詞家になることを夢見ていました。大人になって会社を経営するようになってからも、暇を見つけては作詞をしていました。趣味ではないですね。だって、本気でプロになろうとしていましたから。通信教育で10年やって、教室にも7年間通いました。作詞は机に向かっているだけではできないので、波止場や列車のある情景を見るために各地に旅行もしました。
2003年ごろ、富士そばは60店舗に達していました。ここまでくれば、もう食うには困りません。もともときちんと食べていくために始めた商売でしたから、もう経営から退いて作詞家一本で生きていこう。そう考えて準備もしていました。
そんな私を一喝してくれたのは、漫画家の東海林さだおさんです。東海林さんは西荻窪店の近くにお住まいで、店のメニューを片っ端から食べるという富士そばのファンでした。その縁からある雑誌で対談させてもらったのですが、私が作詞家になりたいと伝えたら、「君を信頼して働いている人はどうなるんだ」と叱られました。ハッとしましたね。たしかに私は自分のやりたいことしか考えていなかった。それは無責任だと反省して、作詞家の道はきっぱり諦めました。
いま私の名刺には、東海林さんが描いてくださった富士そばのイラストが印刷されています。これを見るたび、あのとき経営をやめてなくてよかったとつくづく思いますね。
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名代富士そば ダイタングループ会長
1935年、愛知県生まれ、愛媛県育ち。明治大学卒。工場向け弁当の製造、不動産、バーの経営などを経て、66年に渋谷で日本初となる24時間営業の立ち食いそば屋を開業。72年に同社を設立し、独立。経営をするかたわら作詞家「丹まさと」としても活動。
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(名代富士そば ダイタングループ会長 丹 道夫 構成=村上 敬 撮影=小野田陽一)
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