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安倍首相が「新型コロナに打ち勝った」と宣言したとき、バンザイするのは誰だ

プレジデントオンライン / 2020年3月10日 15時15分

新型コロナウイルスの感染拡大を受け、与野党党首会談に臨む安倍晋三首相(中央)=2020年3月4日、国会内 - 写真=時事通信フォト

■外にいるほとんどの人がマスクをしている

私はマスクをしたことがない。

ただでさえ息苦しい世の中なのに、あんなものをすれば窒息しそうになる。

晴れた朝、冷気を含んだ風を胸いっぱいに吸い込んで、「春は名のみの~」と早春賦を口ずさみながら歩く。

こんな素敵な季節にマスクなど野暮である。

だが、街を行く人、電車に乗っている人のほとんどはマスクで顔を覆っている。中には、黒いマスクに黒メガネ、野球帽を被り、昔のコソ泥のような格好の人もいる。

マスクなしの高齢者である私が、軽い咳をするだけで、目だけ出した乗客たちの視線が身体に突き刺さる。

咳をしただけで、車掌に通報され、電車から降ろされた人もいたという。ぜんそくの持病を持っている人など、電車はもちろん、タクシーやバスに乗るのにも神経を使わなくてはいけない。

マスクでは新型コロナウイルスの感染を100%予防できないと、WHO(世界保健機関)だっていっているではないか。そんなこと常識以前だと私がいうと、周りの人間は顔をしかめ、マスクの紐をしっかり絞めて、離れていく。

■コロナ騒ぎが残すものは「マスク依存症」だけ

社会心理学者の吉川茂阪南大学教授が朝日新聞(2月22日付)の「耕論」でこういっている。

「私は新型コロナウイルスの脅威が去っても、多くの人たちがマスクをつけ続けるのではないかと思っています。一度顔を隠すことに慣れると、今度は見せることがかえって恥ずかしくなってしまう。一部の人にとっては、マスクをつけている方がコミュニケーションをとりやすいこともあり、依存してしまうのです」

このコロナ騒ぎが残すものは、「マスク依存症」だけかもしれない。

日本人はパニックになりやすい民族だが、忘れるのも驚くほど早い。私は「健忘症型民族」、記憶力を失いつつある民族だと思っている。

そうでなければ、今回のコロナ感染対策でも、安倍晋三首相が独裁者のごとく振る舞うのを、黙って見ているわけはない。

安倍首相は2月27日、医療の専門家の意見も聞かず、自民党の重鎮たちにも相談せず、突然、新型コロナウイルス感染拡大を防止するためだと、全国の小中高、特別支援学校の休校を発表した。

中国や韓国からの入国を大幅に制限する措置も、熱心な嫌中・嫌韓論の“おともだち”の意見だけを聞き入れ独断専行してしまった。

その上、人権を大幅に制限できる「新型インフルエンザ等対策特別措置法」を改正するともいい出し、10日に閣議決定したのである。

■強硬姿勢の背景には何があるのか

国民を納得させ、安心させる十分な説明もせず、矢継ぎ早に拙速策を繰り出す安倍首相に、国民はかえって不安を募らせ、マスクやトイレットペーパーを買い漁る行動に拍車をかけてしまった。

共働き夫婦やシングルマザーのことなど考えもせず、「私のいうことに黙って従え」という強権的ないい方に、国民の多くは反対、反発するだろうと思ったが、中国人もびっくりするぐらいの従順さで、付き従ったのである。

新聞も、一面を使ってこのような発作的な泥縄施策を真っ向から批判するところは、私の知る限りなかった。ワイドショーなどは、批判するどころか「まだ日本人には危機感が足りない」と、従わない奴は“非国民”といわんばかりである。

宰相にとって、こんな扱いやすい国民はいないだろう。戦後最大の危機、国難だといえば、嫌々ながらもいいなりになる。反対する者がいれば、ネトウヨや愛国主義者たちがよってたかって、叩き潰してくれるのだから。

これまでの安倍首相は、口先だけだが、「国民の皆様に寄り添う政治」などといい繕ってきたが、今回は、いら立ちを隠そうともせず、「ごちゃごちゃいわずに、オレのいうことに従え」と、ヒットラーもかくやといわんばかりの強硬姿勢に出た背景には何があるのだろう。

■“せめて五輪は開催しなければ”という焦り

私が推測するに、安倍は焦っているのだ。在任期間ばかりが長くなったが、自分のレガシーを何一つ残せず、悲願だった憲法改正も日暮れて道遠しである。

レームダック状態になっている安倍に残されているのは、中国・習近平主席の訪日と東京オリンピック・パラリンピックだけだった。だが、中国で発生した新型コロナウイルス感染があっという間に世界中に広がり、全人代さえ延期した習近平に、訪日する余裕などなかった。

残るは東京五輪だけである。これだけは何が何でも開催する。そのためには早急に国内の感染を抑え込まなければいけない。

その焦りが安倍の判断を大きく狂わせていると思う。

朝日新聞(3月7日付朝刊)は社説で、「新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正案が成立すれば、人権の制限を伴う措置が可能となる緊急事態宣言を首相ができるようになる。しかし、合理的な根拠と透明性に著しく欠ける意思決定を重ねる首相に、その判断を委ねるのは危うい」と書いた。

このような人間に、8年以上もの長きにわたって政権を委ねてきたのは、この国の民の記憶力の脆弱さのためだったと、私は考える。

思い出してみるがいい。阪神淡路大震災も東日本大震災さえも、被災地以外の人々の中で風化しつつあるのはなぜか。

あれだけの原発事故があったのに、政府が主導する再稼働に反対する声が大きくならないのはなぜか。

■発言が食い違うと、人事院が「言い間違えた」と撤回

森友学園・加計学園問題、財務省による文書改ざん、桜を見る会の私物化、カジノ誘致に絡む収賄容疑で現職議員が逮捕され、安倍首相の口利きで1億5000万円も選挙資金を注ぎ込んだ参院議員の公職選挙法違反疑惑、側近・和泉洋人首相補佐官の「老いらく不倫」など、安倍首相とその周囲の人間たちの不祥事を挙げればきりがない。

極めつけは、「安倍の番犬」といわれる黒川弘務東京高検検事長を検事総長に据えるために、検察庁法を無視して定年延長させたことである。かつて「検察には国家公務員法は適用されない」と人事院は答弁していたのに、独断で覆したのである。

三権分立をなし崩しにするこの暴挙に、批判が巻き起こった。だが、呆れたことに、安倍首相は衆院本会議で、この問題について、「今般、国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」と、勝手に法解釈を変更したと明言したのである。

その答弁の前に、人事院の担当局長は「同じ解釈が続いている」と答えていたのに、安倍の答弁後に、「つい言い間違えた」と前言を撤回してしまったのだ。

こんなことばかりやっている政権を信頼しろというほうが無理だ。

さらに、安倍の名を使って獣医学部を新設した加計学園が、韓国からの受験生たちの面接試験の点数を全員0点にして、不合格にしていた、国籍差別が行われていたと、週刊文春(3/12号)が報じた。

昨年11月16日に行われた獣医学部獣医学科の推薦入試のことだと、加計学園幹部職員が告発している。文春は合否結果の書いてある内部文書も入手しているそうだ。

■都合の悪いことは「外遊」か「解散」で忘れてもらう

萩生田光一文部科学相は「学園側に事実関係を確認している」というが、加計学園側は、「入学選抜試験は一貫して適正に実施している」と、応じる考えはないようだ。

新設までの経緯を見る限り、今回の加計学園のいい分は信用できない。また安倍の威光を笠に着て、有耶無耶にしようというハラではないのか。安倍のポチである萩生田に、事実解明を期待するほうが無理というものだろう。

国民を舐め切った安倍政権が倒れずに続いているのは、われわれが安倍官邸の巧妙な戦略にハメられているからだ。

官邸のやり方は、「やってるふり」と、政権を揺るがすスキャンダルが出たときは、時間を稼いで「忘れさせる」、この2つである。

忘れさせるためには、外遊と称して海外に逃げてしまう、突然、解散して選挙に打って出るという2つのやり方が用いられる。

典型的なのは、2017年の第48回衆議院総選挙だ。アベノミクスの行き詰まりと、モリ・カケ問題で追い詰められていた安倍首相は、臨時国会を開けという野党の要求を無視し、3カ月も逃げ回った。挙句に、国会開会の冒頭でいきなり、「北朝鮮の危機が迫っている」などという屁理屈を無理やりつけ、解散してしまったのである。

■新型コロナを「神風邪」と考えていたが…

この時は、安倍にツキもあった。小池都知事が「希望の党」をつくり国政へ出ると宣言して、野党が結集するかに見えた。そうなれば、安倍政権に飽いた有権者は雪崩を打って希望へ向かうと予想されたが、小池が一部の民進党議員を排除すると発言して、一気に、新党への期待はしぼんでしまった。

今回の新型コロナウイルス感染も、最初、安倍は「神風邪」だと考えていたと、一部の週刊誌が報じていた。これで次々に不都合な事実が出て来る「桜を見る会」疑惑追及は、いったん休止になり、コロナ騒動が終わる頃には忘れてくれる、そう考えていたようだ。

だが、感染は日本にも広がり、このままいけば東京オリンピックも中止か延期になる。慌てた安倍首相は、思い付きに過ぎない施策を次々に繰り出し、自民党の中からも、「殿ご乱心」という声が出ている。

東京五輪をやってもやらなくても、安倍政権は終焉に向かう。だが、また安倍のそっくりさんが出て来る。そうさせないためには、国民の側が、このお粗末な政権がやってきたことを忘れずに記憶して、次の世代に引き継ぐことである。

■「われわれは警笛を聞き取れる人になろう」

手元にニューズウイーク日本版(3/10号)がある。村上春樹に続いて中国でカフカ賞を受賞し、毎年ノーベル文学賞候補に挙げられる中国人作家・閻連科(イエン・リエンコー)が2月20日に、彼が教えている大学の学生に語った講義録が掲載されている。

これが素晴らしい。今の日本人こそ読むべき一文であると思う。

中国で新型コロナウイルス感染拡大を警告し、自らも感染して亡くなった李文亮眼科医のことを、「李のような『警笛を吹く人』にはなれないのなら、われわれは笛の音を聞き取れる人になろう」と話す。

閻は、子供のころから、同じ過ちを繰り返すと、両親から「おまえに記憶力はあるのか?」と問われたという。

「記憶力は記憶の土壌であり、記憶はこの土壌に生長し、広がってゆきます。記憶力と記憶を持つことは、われわれ人類と動物、植物の根本的な違いです」

閻は、それは食べることや服を着ること、息を吸うことよりも重要だという。

「なぜならわれわれが記憶力や記憶を失うとき、料理をすることも、畑を耕す道具も技術も失っているはずだからです」

■「本当のことをいえば処分を受け、やがて忘れられていく」

閻は、今こんなことをいうのは、新型肺炎が世界中の災難として、まだ本当にコントロールされてはおらず、感染の危機もまだ過ぎ去っていないからだという。

湖北や武漢を含めて全国で、家族がバラバラになり、家族全員が死に絶えてしまったと嘆く悲痛な声がまだ耳から離れない。

新型肺炎でどれだけの人が死んだのかもわかっているわけではない。だが、そのような調査、確認はトップダウンで行われており、統計のデータが好転している、新型肺炎に勝ったという凱歌にかき消され、時間の経過とともに永遠の謎になってしまうと危惧する。

「われわれが後世の人々に残すのは、証拠のない記憶の閻魔帳なのです」

都合の悪い文書を改ざんしたり破棄したりして、証拠隠滅をはかるこの国の為政者のことを記憶して、忘れないことこそ重要なのだ。

「本当のことを言えば処分を受け、事実は隠蔽され、記録は改ざんされ、やがて人々の記憶から忘れられていく」。安倍政権のことをいっているように、私には思える。

■「この記憶を後世に伝えられる人になろう」

「われわれが身を置く歴史と現実の中で、個人でも家庭でも、社会、時代、国家でも悲しい災難はなぜ次から次へと続くのでしょうか。なぜ歴史、時代の落とし穴と悲しい災難は、いつもわれわれ幾千万もの庶民の死と命が引き受け、穴埋めをしなければならないのでしょうか。

われわれには知ることのない、問いただすこともない、問いただすことを許されないから尋ねない要素は実に多い。ですが、人として――幾千万もの庶民あるいは虫けらとして――われわれには記憶力がなさ過ぎるのです」

「記憶のないものは、本質において、かつて生命を断ち切られた丸太や板であり、未来は何の形になるのか、どんなものになるのかは、のこぎりとおの次第なのです」。安倍政権に翻弄されているわれわれも、命のない丸太になりかかっている、否、成り果てているのか。

「われわれが個人の記憶力と記憶を持っていたからといって、世界と現実を変えることなどできないかもしれませんが、少なくとも統一された、組み立てられた真実に向き合うとき、心の中でひそひそとささやくことはできます。『そんなはずはない!』と」

李のような人になれないのなら、「大声では話せないのなら、耳元でささやく人になろう。ささやく人になれないのなら、記憶力のある、記憶のある沈黙者になろう」。新型肺炎の起こり、蔓延、近くもたらされるであろう「戦争の勝利」の大合唱の中で、「少し離れたところに黙って立ち、心の中に墓標を持つ人になろう。消し難い烙印を覚えている人になろう。いつかこの記憶を、個人の記憶として後世の人々に伝えられる人になろう」

■日本人こそこの悲劇を受けとめ、考えるべきだ

閻から、「中国国内では発表できないものだが、日本語に翻訳して多くの人に読んでほしい」と送られてきた訳者の泉京鹿は、中国では当局によってブロックされていているが、ものすごい勢いで転載され、少なからぬ中国人が読んで共感していると書いている。また、

「閻連科が学生たちに語らずにはいられない中国の歴史的悲劇は、日本人にとって、『体制の違う隣国のこと』なのだろうか。われわれ日本人こそ、いま起こっていること、これから起こることを、しっかりと見つめ、記憶し、後世の人々に伝えなければならないのではないか」

と、閻の言葉を日本人こそ受けとめ、考えるべきだといっている。

新型コロナウイルスに感染する人の数はまだまだ増えるはずだ。マスメディアはこのウイルスの脅威を過大に報じ、政権は早期に収拾しようと国民の生活を蔑ろにし、国民は正確な情報を知らされずパニックに陥る。

しかし、少しでも感染の広がりが鈍れば、政権は「国難に打ち勝った」と鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らし、国民は何も知らされずに踊りの輪に参加させられる。

そうして、今回のコロナ騒動もあっという間に忘却してしまうのだろう。同じように安倍政権が隠蔽してきた数々の不祥事も記憶のかなたに消えてしまう。

安倍がいなくなっても、第2、第3の安倍が再び現れるが、記憶をなくした国民は、そのことにも気が付かない。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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