「母乳の質」という言葉が出てきたら、そのサイトの質を疑うべき
プレジデントオンライン / 2020年4月2日 11時15分
※本稿は、朝日新聞の医療サイト「アピタル」の連載をまとめ、加筆した、森戸やすみ『小児科医ママが今伝えたいこと! 子育てはだいたいで大丈夫』(内外出版社)の一部を再編集したものです。
■「母乳信仰」が広まっている…
「授乳祈願のための神社」というのが全国各地にあります。安産祈願と一緒になっているところも多いようです。女性の乳房をかたどった絵馬がずらっと並ぶ光景は壮観ですが、そこには「母乳が出るようになりますように」と切なる願いが書き込まれていることも少なくありません。
特に昔は母乳に代わるミルクがありませんでしたから、お母さんたちの「おっぱいを出さなきゃ」というプレッシャーといったら、それはもう相当なものだったでしょう。
では、優れたミルク(粉ミルク、液体ミルク)がある現代ではプレッシャーがなくなったかといえば、残念ながらそんなことはありません。母乳で育てるしかなかった時代を経て、粉ミルクがよいとされた時代を通り過ぎ、現代では「ミルクよりも母乳育児のほうが絶対によい」という認識が一般的になったからです。一部では、母乳でないと病気になりやすいなどと脅す、いわゆる“母乳信仰”が広まっています。
「どんどん粉ミルクを飲ませましょう!」という時代があったことを話すと驚かれるかもしれません。日本初の粉ミルクは大正6(1917)年に発売されました。それまでは、母乳が出にくい、または母乳を与えられない場合、他人から“もらい乳”をしたり、コンデンスミルクや牛乳を薄めたもの、重湯や米のとぎ汁といったものを与えたりするしかありませんでした。粉ミルクは発売以来、母乳が出にくい、あるいは母乳を与えられないお母さんたちにとって強い味方となりました。
■1970年代は「粉ミルク」が先進的だった
1970年代、第二次ベビーブームが起きたときに、粉ミルクの消費量はピークを迎えました。もちろん、赤ちゃんの数が多かったというのもありますが、当時は「粉ミルクを赤ちゃんに与えるのは、母乳育児よりも先進的かつ合理的で、栄養面からも好ましい」と考える人が多かったのです。
今では「母乳のほうがいい」という価値観が主流です。たしかに母乳には、免疫グロブリン、サイトカイン、成長因子といったさまざまな成分が含まれているため、免疫機能が未熟な赤ちゃんに飲ませることで感染症にかかる確率を低くし、乳幼児突然死症候群(SIDS/シッズ)などの病気も予防できる可能性があります。母乳は赤ちゃんの消化吸収能力や腎機能に最も適していることもわかっています。また、母乳育児は、母親側にもメリットがあり、子宮の回復や体重減少を助け、月経の再開を遅らせます。
一方で、ミルクに関しては「ミルクで育つとブヨブヨに太る」「腎臓に負担をかける」など事実と異なることが広められています。母乳のメリットが盛んに伝えられ、ミルクのデメリットが大げさに伝えられがちなのが、令和時代の現状です。
■「母乳じゃなきゃダメ」と思い込むのは危険
でも、考えてみてください。第二次ベビーブームのときに生まれ、粉ミルクを最も飲んでいた世代は現在40代後半になっています。問題なく育っていますよね。衛生面で問題のない水が手に入る日本で、現在の知識と技術で可能な限り子どもによい栄養を配合している粉ミルクや液体ミルクを使うことを、悪く言う必要はどこにもありません。
この極端な状態で追い詰められるのは、ほかならぬお母さんたちです。多くの母親は産後すぐから頻回授乳することで、4日目頃から徐々に母乳の分泌量が増加し、2~3週間後までに安定してくるといわれていますが、スムーズに出る人ばかりではありません。お母さん自身の体質、体調や心理状態、授乳指導のされ方によっては赤ちゃんが育つに十分な量の母乳を出せないこともあります。
そんなお母さんが「母乳じゃないとダメ」と思い込んだとします。世間でいわれているありとあらゆる方法を試してみて、それでも出ない……、こうなると産後うつや育児ノイローゼ、疲労による体調不良が心配になります。また、母乳が足りない場合、ミルクをあげなければ赤ちゃんが栄養不足や脱水や低血糖になる危険性もありますから、注意が必要です。あまり頑なに「母乳でないとダメ」だと思い込むのは危ないですね。
■「母乳の質」という言葉は疑ったほうがいい
母乳やミルクの周りは、お母さんたちを惑わす情報が特に多いように見えます。なぜかというと、ひとつには日本に母乳の専門家が少ないという事情があります。専門家がいないわけではないのですが、マイナーな存在でしょう。
産婦人科医はお産が無事に済んで母子を健康に送り出すまでが仕事で、小児科医は赤ちゃんを診てもお母さんを診察することはありません。助産師には医学的根拠ではなく、個人的な経験や意見に基づいて母乳についてアドバイスしている人が多くいます。だから、正しい情報が伝わりにくいのです。
もうひとつ、ネットメディアが根拠のない情報を広めているのも問題です。特に育児中のお母さんが主な読者層である子育てサイトでは、根拠のない記事が量産されています。そうしたところはたくさんの記事を載せていますが、「母乳の質」という言葉が出てきたら、サイト全体の質を疑っていいくらいだと私は思っています。そのほか以下のような見出しをよく見ると思いますが、すべて根拠はありません。
「ママが食べたものが母乳の味にも直結! おいしい母乳のつくり方」
「母乳の質が悪いと乳児湿疹がひどくなり、そのままだとアトピー性皮膚炎になる」
「餅や油もの、ケーキを食べると乳腺炎になる」
「母乳量を増やすハーブティーの選び方」
■授乳中の食生活を変えても、母乳の栄養素は変わらない
母乳がおいしくなかったら、質が悪かったら、赤ちゃんによくないのではないかと心配になりますね。けれども、こうした記事では味や質を語るわりに、母乳の成分分析をしているものを見たことがありません。一度でもしてみたら、お母さんが食べるものと母乳の成分は直接関係しないことがよくわかるはずです。
私たちが口から食べたものは、まず消化されて小さくなります。そのうちの糖とアミノ酸は消化管から血管を通って肝臓で取り入れられるように分解され、肝静脈を通って心臓に流れます。脂肪は再合成されてリンパ管から胸管を通り静脈に入って心臓へ、そして全身をめぐります。
一方、母乳は、血液を材料に乳腺体で作られます。つまり、消化された栄養を運ぶ管と母乳を作る場所は、直接つながっていないのです。
厳格なベジタリアンの女性が長期にわたって動物性タンパク質を摂らなかった場合、母乳中のタンパク質やビタミンB12などが低下することはわかっていますが、授乳期間の数カ月の食生活を変えても母乳の栄養素は変わりません。
乳児湿疹は、赤ちゃん自身のホルモンが原因でできるものなので、母乳は関係ありません。お母さんが食事を変えても、乳児湿疹は増えたり減ったりしません。
■「乳腺炎は食事のせい」という誤解
そして、乳腺炎は、お母さんの食事のせいで起こるわけではないのです。母乳中の脂肪は、乳房内の細い乳管の直径よりも小さいため、詰まることは考えられません。
実際は、①赤ちゃんの飲む量よりも母乳の分泌量が多かったり、授乳のリズムが乱れたりすることで、乳房に大量の母乳がとどまること、②下着や抱っこ紐などによる締め付け、③不適切な授乳姿勢、④お母さんの疲れや肩こりなどが、乳腺炎のリスクになります。
特に初めての子育ての場合、何もかもが不安になってしまうお母さんは多いと思います。そんなところに「○○をしないと、こんな悪いことが」「○○を食べてはいけない」などと根拠なく危機感をあおるのは、とても罪深いことだと思います。
そうしてあおってくる側は、インパクトを与えようとして言葉も過激になりがちですよね。赤ちゃんが飲み残して乳房に溜まった乳汁を「腐れ乳」と呼んでいるものを見たことがあります。乳房に溜まったからといって腐ったりはしません。ひどい侮辱です。
家族や身近な人がこうした記事を読んで、お母さんの食生活を制限することもあるようです。母乳の出方は人それぞれですし、なかなか飲みたがらない赤ちゃんもいます。なのに、間違った情報をもとに「母乳がまずいから飲まないんだ」とお母さんのせいにしているうちは本当の原因にたどり着けないし、解決策も見つからないでしょう。誰かを悪者にするのは簡単。でも、それで救われる人はいるでしょうか?
■「完母」にもリスクがある
また「母乳が出なかったらどうしよう」「母乳が足りないのでは」と悩むお母さんの弱みにつけこむ商売があることも見過ごせません。現に「母乳の量を増やすハーブティー」などというものが販売されていますが、「母乳を増やす」「乳腺炎を治す」と謳っているものは、医薬品医療機器等法(薬機法、旧薬事法:医薬品でないのに効果効能を謳うのを規制する法律)に違反している恐れがあります。
おいしいから、香りで気分転換になるからという理由で、嗜好品として楽しむ程度にしておきましょう。残念ながら、今のところ母乳を増やすという根拠のある食品やサプリメントは存在しません。
最後に、「うちは完母で」と決めていても、保育園に預けることになったなど、環境の変化によって実現できないこともあるでしょう。育児に絶対の正解はありません。「こうじゃなきゃいけない」という思い込みを捨てましょう。まして、そうした価値観を他人に押し付けられたら、そもそもあってはならないことですから無視しましょう。
授乳について、より詳しく知りたい方は、産婦人科医の宋美玄(そんみひょん)さんと私がふたりで書いた『産婦人科医ママと小児科医ママのらくちん授乳BOOK』(内外出版社)を読んでみてくださいね。
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小児科専門医
1971年、東京生まれ。一般小児科、NICU(新生児特定集中治療室)などを経て、現在は東京都内で開業準備中。医療者と非医療者の架け橋となる記事や本を書いていきたいと思っている。『新装版 小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK』『小児科医ママとパパのやさしい予防接種BOOK』など著書多数。
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(小児科専門医 森戸 やすみ)
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