激変した歴史の新常識!鎌倉幕府は結局、1192年?、1185年?、どっちなの!
プレジデントオンライン / 2020年4月26日 11時15分
最近の日本史の教科書を開くと、教わってきたことと随分違うことに気づく。知らぬ間に何があったのか。歴史家の河合敦氏に詳しく聞いた――。
■【縄文時代】科学の発展で、年代に変化
早速ですが、皆さんは縄文時代が何年前から始まったと教わりましたか? 40代以上の方は1万年前と習った方が多いと思いますが、様々な研究の結果、現在の教科書では1万3000年前とされています。
しかし、さらなる科学技術の発展が、歴史を塗り替える可能性があります。炭素14年代測定法を用いて青森県にある大平山元I遺跡の縄文土器を測定したところ、1万6500年前という驚きの数字が出ました。この測定法の結果が正しいとすると、縄文文化は、今の教科書より3500年も早い、日本が中国大陸と陸続きだったときから始まっていたことになります。
炭素14年代測定法とは、どのようなものなのでしょうか。生物は体の中に放射性炭素を含んでいます。ところが死ぬと、それが一定の割合で減っていきます。半減期は5730年です。つまり、どれだけ放射性炭素が減ったかを測ることで、経過年数が計算できるのです。
さらに縄文文化は狩猟採取、弥生文化は水稲農耕を基礎とすることになっていますが、近年の研究により、縄文時代晩期には確実に稲作(水稲耕作)が始まっていたというのが定説になっています。
さらに縄文時代前期の朝寝鼻貝塚(岡山県)からは稲が朽ちても残る結晶のようなプラントオパールが出土しており、すでに縄文前期における稲栽培の可能性を指摘する学者もいます。
■【弥生時代】邪馬台国所在地論争に、終止符か
女王卑弥呼に率いられた邪馬台国がどこにあるかは、古代日本をめぐる一大ロマンでした。
その所在地については、京都大学の学者たちは畿内説を主張し、東京大学の学者たちは九州説をとなえて、論争にまで発展しました。しかし最近では、畿内説のほうが有力視されています。
奈良県桜井市にある纒向(まきむく)遺跡の発掘調査が進むにつれ、卑弥呼時代の大型建物の遺構や遺物が次々と発見されているからです。纒向遺跡は、箸墓(はしはか)古墳など初期(3世紀半ば以降)の巨大な前方後円墳がいくつも集中していることから、ヤマト政権(初の全国政権)の発祥の地といわれていた場所です。
ですから、この地におそらく大きな集落あるいは都市のようなものがあり、それが邪馬台国で、そのまま発展してヤマト政権になったのではないかと考えられています。
もちろん、九州説も完全に否定されたわけではなく、纒向遺跡を上回るような遺跡が発見されれば、形勢が逆転する可能性は十分残ってはいます。
また、邪馬台国は1つの国ではなく、同国を中心とする30の小国の連合体でした。卑弥呼は鬼道(きどう)をよく用いたとされており、その呪術的権威を背景に政治を行ったとみられています。なので、最近の教科書では卑弥呼が治めたのは「邪馬台国連合」と表記されるようになっています。
■【飛鳥時代】聖徳太子は本当にいたのか
新しい史料や歴史研究の進展によって、偉人としての評価が大きく変わっている人物もいます。
その代表が聖徳太子です。聖徳太子は10人の言葉を同時に聞き分けるほど聡明で、叔母の推古天皇の摂政として政治をとり、天皇への忠誠と人々の和を説いて国内をまとめ、巨大国家・隋との対等外交を成功させた、古代日本のヒーローと教えられました。ところが、近年は、政治の中心人物ではないということになっているのです。
1999年、中部大学名誉教授の大山誠一氏が『〈聖徳太子〉の誕生』(吉川弘文館)の中で、推古朝に厩戸(うまやと)という名の皇子はいたが、彼は政治の中心になるような人ではなかった。聖徳太子は、後の権力者である藤原不比等などが編纂した『日本書紀』によって、創作された聖人である、などと明快に断じたのです。
『日本書紀』は『古事記』と並んで現存する最古の歴史書であり、聖徳太子の事績を最初に詳しく描いた根本史料です。ですから、あまりに“盛りすぎ”な場面を除いては、信用せざるをえなかったのです。
ところが最近では、いろいろな研究手法が発達するなどしたことで、新たな評価がなされるようになったのです。
この時期の研究でいえば、大量の木簡の出土です。当時は紙が貴重だったので、代わりに薄い短冊状の木片に文章を書くことが一般的でした。そして不要になると捨てましたが、近年では、大量に投棄された木簡がたびたび出土し、研究が進んでいるのです。中には『日本書紀』と矛盾する記述があり、国史の誇張や間違いがわかってきたのです。
また、聖徳太子の肖像画も、聖徳太子を描いたものということでずっと伝わってきましたが、これも研究してみると、聖徳太子が亡くなった100年近く後に描かれた可能性が高いことがわかりました。実は肖像画の人物が持っている笏(しゃく)という板のようなものが、聖徳太子の時代ではまだ一般化されていませんでした。
そんなわけで現在の高校日本史の教科書では、聖徳太子は推古天皇の協力者として描かれ、脇役のような扱いを受けています。ところが不思議なことに、人物学習を中心とする小学校の教科書では、いまだに政治の中心的人物として紹介されます。つまり小学校で聖徳太子を英雄と習った子どもたちは、高校では脇役と学ぶのです。
■【奈良時代】日本最古の貨幣は和同開珎か富本銭か
発掘によって歴史が塗り替わる典型的な例が「日本最古の貨幣は何か」という問題です。長い間、最古の貨幣は和同開珎であるとされてきました。ちなみに開珎の読み方を「かいほう」と習った方もいるでしょうが、近年は「かいちん」が正しい読み方だとされます。60歳前後がその分かれ目です。
現在、日本最古の貨幣は「富本銭(ふほんせん)」とされています。99年に飛鳥池工房遺跡から、30点以上の富本銭が発掘され、その後も大量に発掘されたことで、これが天武天皇の時代に鋳造の始まった最古の貨幣であると結論づけられました。
しかし、それよりも前に貨幣を鋳造していたとする説もあります。それが「無文銀銭(むもんぎんせん)」です。ただ、三十数枚しか現存しておらず、果たして貨幣として機能していたかどうかについては、疑問視する学者も少なくありません。
■【鎌倉時代】イイクニからイイハコになった?
最近のセンター試験では歴史の年号問題がまったく出ないといったら、読者の皆さんはどう思われるでしょうか。「えーっ、俺の苦労はなんだったの」と感じる方も多いかもしれません。現在の歴史教育は、なぜそういう出来事が起こったのか、その背景や理由を重視するからです。
その象徴的な例が1192年「いいくに」つくろう鎌倉幕府と記憶された方も多いでしょう。しかし、幕府の成立年としては1185年のほうが適切であるというのが有力です。ちなみにテレビでこれを「いいはこ」つくろう鎌倉幕府と語呂合わせで言ったのは、おそらく私が最初だと思います。
ただ、これにより成立の年が1192年から1185年に変わったと理解され、その話題だけが一人歩きして伝わってしまいました。
実際には、高校の教科書には1192年も残っているのです。
ちなみに1185年を幕府成立の根拠とするのは、源頼朝が敵対する平氏を滅ぼし、さらに朝廷から自分の家来を諸国の守護、地頭などに任命する権利を獲得したことが1つの根拠になっています。
1192年は、単に源頼朝が征夷大将軍に任じられたという年です。ちなみに将軍のいる居館や陣営を幕府と呼びます。
教科書は、1185年が実質的な成立、1192年が形式的な成立と考えているのかもしれません。
ちなみに研究者の間で成立年に定説はありません。さらにいえば、何年に幕府ができたかにこだわってはいないのです。おおむねこの時期に成立したとすることでよしと考えているのです。
また、鎌倉時代の大事件としては、2度にわたる蒙古襲来が挙げられます。1274年の文永の役、1281年の弘安の役です。
戦いの様子を生き生きと描いたものが「蒙古襲来絵詞(えことば)」で、竹崎季長の騎馬武者姿と3人のモンゴル兵が描かれている場面は有名です。
ただ、このモンゴル兵は江戸時代に描きたされた可能性がとても高いと指摘する学者がいます。ポイントは1人のモンゴル兵を貫く縦の線です。これは、江戸時代に原紙を台紙に貼って修復した痕跡です。けっこう貼り方がいい加減で上下が数センチほどずれているそうです。ところが線をまたいでいるモンゴル兵の体がまったくずれていないため、修復の後に描き込まれたと主張しているのです。ただし、何のために描きたしたのか、正確な理由はわかっていません。
これと同様に2度の役のうち、弘安の役については、台風によってモンゴル軍が大損害を被り、そのために撤退したことがわかっています。これが後の「神風信仰」を生んでいくことになります。一方、1度目の文永の役も、昔は暴風雨で損害を受け撤退したといわれてきましたが、研究の進展で逆に明確な理由がわからなくなりました。このため、今の教科書では、威力偵察に来てすぐ戻った、軍内部の分裂で去った、暴風雨で去ったなど、文永の役でモンゴル軍が撤退した理由については、バラバラなのが現状です。
■【江戸時代】犬将軍・綱吉、今は名将扱い
評価が下がっている聖徳太子とは対照的に、その評価が急上昇しているのが、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉です。
綱吉といえば人間よりも犬猫を大切にする「生類憐みの令」を出し、庶民を苦しめた暗愚な将軍のイメージが刷り込まれているのではないでしょうか。
しかし、近年では戦国時代の遺風が残る殺伐とした社会を、儒教道徳や仏教の慈愛の精神を普及させることで変えていこうとしていたと評価されています。生類憐みの令もそうした政策の一環だったという見方が有力です。綱吉は武断政治から文治政治への転換を目指したのです。綱吉は聖堂学問所という大きな学校を造らせ、幕臣にそこで学ぶように通達しただけでなく、なんと自らも幕臣や大名たちに講義を始めました。その回数は生涯400回以上に及んだといわれています。
もう1つ我々の頭に、江戸時代の仕組みとして刷り込まれているものに「士農工商」という厳格な身分制度があります。士は支配階級である武士、農は農民(百姓)、工は職人、商は商人です。農民は武士の生活を支える年貢を納めねばならないため、重税を課す代わりに身分を2番目に高くし、プライドを持たせたという説明を聞いた方も多いでしょう。
しかし正確には、江戸時代の身分には、主に支配者の武士と被支配者の百姓・町人という2つがあるだけで、村に住むのが百姓、町(主に城下町)に住むのが町人(職人と商人)というように、居住区や職業を表すにすぎませんでした。しかも驚くべきことに、身分間の移動もできたのです。
例えば、勝海舟の曾祖父は越後の農民で、金を貯めて武士の身分を買いました。藩によっては、武士の料金表をつくり、金をもらって武士に取り立てるところもありました。
実は士農工商という概念は古代中国のもので、4つの身分というより「あらゆる人々」意味しました。にもかかわらず、江戸時代に儒学者が強引に日本の社会に当てはめ、それが誤った形で明治以降に伝わっていったのです。
■【幕末】坂本龍馬とトンデモ誤報
最後に、その評価が何とか維持された例を紹介しましょう。その1人が幕末に活躍した坂本龍馬です。
私は個人的にも龍馬フリークなのですが、2017年11月にテレビで驚くようなニュースが報道されました。龍馬が歴史の教科書から消えるかもしれないというのです。大学と高校の教員でつくる「高大連携歴史教育研究会」が、歴史用語の精選案を発表したのですが、削除対象としている人名の中に吉田松陰、武田信玄、上杉謙信と並んで坂本龍馬があったのです。
坂本龍馬といえば薩長同盟、大政奉還などの実現に向けて、裏方として近代国家の誕生に大きな役割を果たしたといえるし、そうした縁の下の力持ちの重要性を高校生に教えることは必要だと思っています。
さらにこのニュースを取り上げたあるテレビ報道には驚きました。「坂本龍馬は昔、教科書に載っていなかった」と報道していたからです。
しかしこれは明らかな誤りです。1943年の国定教科書(『初等科国史 下』)には「朝廷では、内外の形勢に照らして、慶応元年、通商条約を勅許あらせられ、薩・長の間も土佐の坂本龍馬らの努力によって、もと通り仲良くなりました」と記されています。
昔の教科書には載っていなかったという誤った報道によって、「龍馬が消えても仕方がない」という気持ちを視聴者が起こさないでほしいと願いました。私のような龍馬ファンは多く、この精選案に反発が殺到し、研究会は2018年3月に用語の選定基準を見直し坂本龍馬を残す方針としました。
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歴史家
1965年、東京都生まれ。早稲田大学大学院卒業。高校教師として27年間、教壇に立つ。著書に『もうすぐ変わる日本史の教科書』『逆転した日本史』など。
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(歴史家 河合 敦 構成=原 英次郎 写真=AFLO)
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