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歌舞伎町のギラギラとした看板は減っても、夜遊びはこれからも残り続ける

プレジデントオンライン / 2020年5月9日 11時15分

PIXTA=写真(旧コマ劇場の映る写真は生駒氏提供)

■歌舞伎町は、まさに「眠らない街」だった

2000年代初頭の歌舞伎町は24時間いつでも楽しいことがある、まさに「眠らない街」でした。

当時は店舗型風俗店、いわゆる箱ヘルが街の主流で、ジャングルのように店内が蔦で覆われた店や、飛行機をかたどったコスプレの店など、今では考えられない店が繁盛していました。こうした乱痴気騒ぎ的なノリが受け入れられるということは、遊びに来る人たちに余裕があり、街もそれを受け入れられたということ。人にも街にも元気があった証しです。

ですが、03年から始まった石原慎太郎都知事(当時)による歌舞伎町の浄化作戦によって、客引きによる店への呼び込みが一切禁止となり、無許可営業をしていた風俗店も姿を消しました。街は変化を余儀なくされ、風俗店は電話で女性をホテルへ呼ぶ、いわゆるデリヘルが主流になりました。

そして10年代に突入すると、歌舞伎町という街は不景気を映し始めました。「ロボットレストラン」のような外国人観光客向けのショーパブが流行し、店舗型風俗店などは今では数えるほどしかありません。

■街はさびしくなりました。でも僕は「昔はよかった」とは言わないよ

その後は、エステやMな男性向けの風俗店のように、向こうが世話を焼いてくれる受け身の店が流行しました。やはり、遊びの際もコストパフォーマンス重視で、昔のように乱痴気騒ぎや洒脱を面白がる余裕は、人々の中からなくなっているのでしょう。

ですが世の中は移ろいゆくものであり、私は「昔はよかった」と言うつもりはありません。ギラギラした看板は減りましたが、夜遊び自体はこれからも残り続ける。街を散策する人が減ったのも、インターネットで事前に店を調べて、目当ての店へと一直線へ歩いているからかもしれません。

これからも歌舞伎町は、非常に多様な世代と人種の欲望を映し、またそれを取り込みながら発展していくと、私は感じています。

夜の街と歩んだ男が語る「歌舞伎町史」

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生駒 明(いこま・あきら)
風俗誌「俺の旅」編集長
隔月刊誌の休刊後、2020年書店売りのムックで「俺の旅」が復活。Web、SNSでも発信を行う。

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(風俗誌「俺の旅」編集長 生駒 明)

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