報われない恋愛を描き続けた作家が愛される理由
プレジデントオンライン / 2020年4月17日 11時15分
■張愛玲『中国が愛を知ったころ』を読む
湖に浮かぶ小舟に乗りこんだ男女4人。流れに任せたまま漂う彼らは、月の下で詩を読み、杭州の山と湖水に囲まれて憩う。ふるさとにまだ恋も知らぬうちに婚約した妻をおいてきた男性2人は、いまどきの知識人女性2人と毎晩のようにプラトニックな交友を続ける。ただし、この美しい関係は時間を経てゴムが伸びきってしまうほどに引き伸ばされた揚げ句、いつしか中国の伝統的家族社会の中にのみ込まれていく。その恋愛の末路を描く名品──『中国が愛を知ったころ』(岩波書店、2017)。
先日、20世紀の激動の時代を生きた張愛玲という、いまでも中国に熱狂的なファンがいる作家の短編集を手に取った。きっかけは、台湾の小説、林奕含著『房思琪(ファン・スーチー)の初恋の楽園』(白水社、2019年)を読んだこと。台湾の有名学習塾の教師がその立場を利用して強引に性的関係を結んだ少女が、長い間愛と自尊心に苦しみ、自我を崩壊させるところまでを描く小説だ。
精神を患っていた著者の林奕含が、出版後まもなく自殺したことから、これは彼女自身の物語だったのではないかと、大騒動になった。林奕含は張愛玲文学の熱烈な愛読者であったという。苦しすぎる彼女の生き方を形成した母体としての文学を知りたくて、日本語で読める張愛玲の作品を読んでみたのだった。
■近代中国の若者たちの精神形成に与えた影響
張愛玲は1920年上海生まれ。李鴻章のひ孫であり、文化的な家庭に育った。香港で学んでいる最中に太平洋戦争がはじまり、日本占領下を生きた。汪精衛(汪兆銘)政権にも参画した対日協力派であった胡蘭成と結婚するが、夫の気持ちは次々と別の愛人に移り、結局その愛は破綻することになる。
だからなのか、彼女が描いた恋愛は、女性の見返りのない愛をテーマにしたものが多いという。3年前に邦訳されたこの短編集は、「沈香屑 第一炉香」、表題の「中国が愛を知ったころ」「同級生」が収められ、当時の上海、香港の風情やインテリ青年、女学生の生活がいまそこにあるかのように馥郁(ふくいく)として浮かび上がってくる。
100年前に生まれた中国の才媛はなぜ、報われない愛を執拗に書き続けたのか。近代に目覚めた中国の若者たちは、文学に、恋愛に自我のよりどころを求めた。西洋文学だけでなく『紅楼夢』のような上流階級の生活と恋愛絵巻も、彼らの精神形成に大きな影響を与えた。生まれや家の縛りから解き放たれ、知識や才能がある者に無限の可能性が開かれているように感じたことだろう。
伝統的社会でかたく縛られてきた女性は、とりわけ恋愛を通じて自我を花開かせた。けれども、彼女たちをのみ込んだのはやはり因習であり、またもっと悪いことには人間の身勝手さだった。張愛玲が現代においても愛される本当の理由は、そこに解がないのに愛し続けてしまう女たちの情念ゆえなのかもしれない。
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国際政治学者
1980年、神奈川県生まれ。神奈川県立湘南高校、東京大学農学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。著書に『21世紀の戦争と平和』(新潮社)、『日本の分断』(文春新書)など。
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(国際政治学者 三浦 瑠麗)
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