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映画『囚われた国家』が描く、抵抗をあきらめた監視社会

プレジデントオンライン / 2020年4月24日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/EvgeniyShkolenko

■『猿の惑星:創世記』を大ヒットさせた監督によるサスペンス

2027年のシカゴを舞台に、地球外生命体に従属した地球社会を描く映画『囚われた国家』。エイリアンの攻撃でパワーグリッドが麻痺し、ライフラインが停止。彼らは人びとを襲い、各国政府はすべてエイリアンに降伏する。それから9年の月日が流れ、政府はエイリアンに唯々諾々と従い、地球の資源を採掘しては彼らに搾取されている。人びとはチップを首に埋め込まれ、行動を捕捉され、会話を盗聴される。携帯のデータや監視画像など、人びとのプライベートな動画ややりとりまでもがデータベースに登録される。

イングランド出身のルパート・ワイアット氏は『猿の惑星:創世記』を世界的に大ヒットさせた監督だ。脚本も自ら手掛けることが多く、本作でも監督・脚本・製作を務めている。今回の作品では、全体に色調が抑えられ、サスペンスとしての緊張感を湛えている。

多くの人物が登場するので、一見ストーリーは追いにくいが、最後に彼らのつながりや思いが明らかになる仕立てになっている。

面白いのは、ディストピア映画にありがちな古典的な監視社会やビッグブラザーの脅威を描いていながら、その抑圧がエイリアンという「外部構造」に対してあきらめた人びとによるものであることを示している点だ。本作が描く未来において、労働者の価値は極めて低く見積もられている。むしろ、政府は住民を食わせながら暴動が発生しないように管理し、忙しくさせておかねばならない。そこには経済や文化の創意工夫も切磋琢磨も存在せず、ただシステムに従って生きる人びとがいる。まさに、現在の資本主義社会で先進国の労働者が自らの築いてきた地歩を失いつつあることに対する危機感を反映した映画であると言うことができるだろう。

■「善く生きる」意志を捨てないことの大切さ

テクノロジーによる快適な生活を夢見るのではなく、人間の価値が低下する未来を予測する。彼らが、なぜそこまで資本主義とテクノロジーの未来を悲観してしまうかといえば、それはやはり中国の存在が大きいだろう。中国は急速に豊かになりつつ、監視社会の度合いを強めている。人びとは少しずつ快適になる生活の目先の欲求に目を奪われて、政府に抗おうともしない。

そんな中国人のイメージを、監督らは将来の西側社会にも重ね合わせたのではないだろうか。蜂起を描くにあたっては、過去の分離主義者のテロや、植民地主義と戦ったゲリラのことを念頭に置いたのだろう。映画は、自分自身の命を含む「破壊」でしか自由を侵すものに対抗しえない人びとの心理を描いていて興味深い。

圧倒的な無力感から暴力に走る終末観に身を委ねないためにも、日頃「善く生きる」意志を捨てないことがいかに大切であるのかを思わされた。最後に、「家族」のつながりには陰鬱なディストピアの中にあって甘酸っぱい救いのような人間性を垣間見た。

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三浦 瑠麗(みうら・るり)
国際政治学者
1980年、神奈川県生まれ。神奈川県立湘南高校、東京大学農学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。著書に『21世紀の戦争と平和』(新潮社)、『日本の分断』(文春新書)など。

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(国際政治学者 三浦 瑠麗)

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