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まったくの無名だった松田優作が「太陽にほえろ!」に抜擢されたワケ

プレジデントオンライン / 2020年4月9日 15時15分

1988年5月13日、日本から参加した(左から)女優の田中裕子、吉田喜重監督、俳優の松田優作(フランス・カンヌ) - 写真=AFP/時事通信フォト

松田優作さんが亡くなって30年がたつ。しかし、ドラマ「太陽にほえろ!」で演じたジーパン刑事の伝説は、いまも古びていない。プロデューサーを務めた岡田晋吉氏は「当時はまったくの無名俳優だったが、彼の演技を初めて見たとき、絶対に逃したくないと思った」と振り返る——。

※本稿は岡田晋吉『ショーケンと優作、そして裕次郎 「太陽にほえろ!」レジェンドの素顔』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■人と人のつながりが新たな出会いを呼んだ

「岡田さん、ちょっと面白いやつがいるんですよ」

そう言ってきたのは、村野武範だった。

「太陽にほえろ!」を始める前に、学園ものの「飛び出せ!青春」(1972〜73)という番組を制作していて、その撮影現場での出来事だ。幸いこの番組も大ヒットし、森田健作の青春ものを1本挟んで、再び「高校学園ドラマの先生もの」を企画しようと、主役の新人を探していた時のことだ。「飛び出せ!青春」といってももう50年近く前の話だ。ご存じない方がおられると思うが、青い三角定規が歌う主題歌の「太陽がくれた季節」は今でも歌われているので、聞かれた方はおられると思う。

「飛び出せ!青春」の主演を務めていた村野武範は当時、文学座に所属していて、後輩の文学座の研究生松田優作を推薦してきたのだ。その時、松田優作という名前を初めて知った。

■本当は村野が麻雀で負けたせいだった

村野と優作の関係を調べてみると、これがまた面白い。二人は、なんでも新宿のバーで会ったという。その時は、バーテンダーと客という関係だった。もちろん、優作がバーテンダー、村野が客である。これが昭和47(1972)年2月のことだという。

岡田晋吉『ショーケンと優作、そして裕次郎 「太陽にほえろ!」レジェンドの素顔』(KADOKAWA)
岡田晋吉『ショーケンと優作、そして裕次郎 「太陽にほえろ!」レジェンドの素顔』(KADOKAWA)

当時の優作は、文学座を落ちて、金子信雄が主宰する劇団「新演劇人クラブ・マールイ」の演技教室に通いながら、その新宿のバー「ロック」でアルバイトをしていたらしい。

優作は「来月、文学座を受ける」と村野に告げた通り、この年、文学座の試験に合格して、文学座附属演劇研究所12期生となった。ちなみに、1期上に桃井かおり、同期に高橋洋子、山西道広、のちにジャズ歌手となる阿川泰子、1期下に中村雅俊がいた。

人と人とのつながりが新たな出会いを生むことはよくあるが、優作との出会いは、まさしくその典型だ。私と村野とがドラマで知り合い、優作が村野と同じ文学座に入り、そして私と優作が出会う――まさしく、人と人のつながりにより、新たな人生が始まっていくことになる。

バーで知り合った時、村野は優作の存在感に驚いたという。私に、こう語っている。

「いずれ、出てくる男だと感じた」

そして、優作は文学座で村野の4期後輩となった。まさに、運命の出会いであろう。

ところが、後で聞いたのだが、この話には面白い裏話があった。

村野が優作を推薦した理由は「優作が面白い役者になる」と思ったのではなく、私に会う前日の晩に村野が麻雀で負けた時の約束だったというのだ。村野が仕方なく名前を挙げたことなど知らない私は、すぐに松田優作に会う段取りを取った。

■「確かに面白いから、見においでよ」

私は早速、文学座の養成所の校長をしていた吉兼保に連絡を入れた。

彼を知っていたのは、私がアメリカ映画の日本語吹替版を作っていた当時、足音やドアが閉まる音などの効果音を担当してくれていたからだ。文学座の舞台公演だけでは食べていけなかったのだろう。アルバイトで手伝ってくれていた。

そんな関係で親しかったので、すぐに電話をした。

「村野から聞いたけど、面白いやつがいるんだって?」
「優作のことかな、確かにあいつは面白いから、見においでよ」

と言って稽古日を教えてくれた。

■「この男を逃したくない、他局にとられたくない」

稽古場に行くと、ちょうどパントマイムの授業が行われていた。まん中にベンチが一つ。そこで「女の子を口説く」というパントマイムだ。

30人ほどの生徒がいて、代わり番こにその芝居を演じていく。ほとんどの連中はみんなが見ているので恥ずかしいのか、本気で演じ切れない。恋人役の女優の手さえ握れないでいる。

ところが、優作はまったく違っていた。本気で演じるのだ。女優に肉薄していったかと思うと、ついには抱きついてしまう。

(こいつは、真剣に役者になろうとしているぞ!)

体当たりで立ち向かっていく度胸の良さは、まさしく役者に向いている。しかも、瞬発力がある。行動力もありそうだ。即座に気に入った。この男は逃したくない、と思った。ほかの局に取られたくない、とも。

だが、次の青春もののドラマ枠は、松竹制作で「おこれ!男だ」(1973)が森田健作と石橋正次の主演で話が進んでいた。となると、先生役で優作を使うにしても、その後になってしまう。これだけの逸材だ。いつ、どこかの局が目をつけないとも限らない。

そんな時、ショーケンが「太陽にほえろ!」をやめたいと言ってきたのだ。

「よし、それなら『太陽にほえろ!』で使ってみよう!」

思い切って決断した。

そして、すぐにテストとして「太陽にほえろ!」での出演シーンを作った。それが第35話「愛するものの叫び」である。

この題名の“叫び”は、ショーケン演じるマカロニ刑事の叫びを指していたのだが、係員を演じた松田優作自身の叫びでもあったのであろう。

そのシーンを少しだけ振り返ってみよう。

■テスト起用で圧巻の芝居を披露

「規則だから預かれないんですよ!」

涙ながらに、マカロニにこう訴えた男こそ、新人の松田優作である。これは、新人刑事役になる役者のテストとして行ったキャスティングだったが、優作は全身全霊で熱演した。これで安心してショーケンの後を任せられる。

この時の優作の芝居が、とにかく圧巻だった。絶賛に値する、と言ってもいいだろう。

■涙を流す演技までは要求していなかった

犯人役の小泉一十三が演じる女性には、体の不自由な弟がいる。施設で暮らしているのだが、この施設では20歳になると、出ていかなければならない規則があった。そうなると、彼女が引き取るか、それとも高い費用がかかるほかの施設へ移すか、どちらかにしなければならない。彼女が選んだ道は、高い施設への移転だ。

彼女はその費用を捻出するために殺人を犯した。それを感じ取ったマカロニは、施設へ行き、係員にやるせない思いをぶつける。

「なぜ20歳になったといって、追い出されなければならないんだ」

その係員を演じた松田優作が、心ならずもマカロニに断らなければいけないというシーンだ。そこで、冒頭のセリフが出てくる。優作は、涙を流しながら叫んだ。

脚本家も監督も、涙まで要求はしていない。だが、優作は泣きながらセリフを言った。迫真の演技だった。

■「岡田さん、すごい役者がいたよ!」

優作はなぜ、涙を流したのか――。

察するに、さまざまな感情が入り乱れていたのではないかと思う。これで「太陽にほえろ!」に出られるかもしれないという興奮状態にあったのかもしれないし、彼自身の中に、規則に対する抵抗感があったのかもしれない。だから、あそこで思わず涙を流したに違いない。新人にしては、度肝を抜かれるような演技をした。今でもそのシーンのことは覚えている。

後日、撮影フィルムを編集した神島帰美さんが興奮して、私にこう言ってきた。

「岡田さん、すごい役者がいたよ!」

彼女は、さらに言葉を継いだ。

「あれ、ショーケンの後にいいんじゃないですか」

この時、優作の起用は成功すると確信した。ショーケンとは話していないが、彼も内心では感じていたのではないだろうか。

「俺の次は、こいつかな」と――。

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岡田 晋吉(おかだ・ひろきち)
川喜多記念映画文化財団理事
1935年2月22日生まれ。1957年慶應義塾大学文学部を卒業後、日本テレビに入社。海外ドラマの吹き替え版制作を担当。1963年より、テレビ映画の企画・制作に携わる。以降、「青春とはなんだ」「これが青春だ」「飛び出せ!青春」などの“青春シリーズ”をはじめ、「太陽にほえろ!」「俺たちの旅」「大都会―闘いの日々―」「あぶない刑事」など、日本テレビを代表する名作ドラマを数多く制作。中京テレビ副社長を経て現職。

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(川喜多記念映画文化財団理事 岡田 晋吉)

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