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なぜ、ヘンリー王子は「年上、バツイチ、黒人系」を妃に選んだのか

プレジデントオンライン / 2020年4月9日 15時15分

2020年3月9日、イギリス王室のヘンリー王子とメーガン妃は、ウェストミンスター寺院で行われた「コモンウェルス・デー」の礼拝に出席し、最後の公務を行った - 写真=AFP/時事通信フォト

イギリス王室のヘンリー王子とメーガン妃は公務から身を引き、アメリカで新生活を始めた。なぜ、ヘンリー王子は王室を離脱してまでメーガン妃を選んだのか。日本テレビ放送網・前ロンドン支局長の亀甲博行氏は「つらい幼少期を過ごし、差別問題に取り組むメーガン妃に、母であるダイアナ元妃の面影を見たのではないか」と指摘する——。

※本稿は、亀甲博行『ヘンリー王子とメーガン妃 英国王室 家族の真実』(文春新書)の一部を再編集したものです。

■出会いは歓楽街の会員制レストランだった

ロンドンのソーホーはレストランやパブが並ぶ賑(にぎ)やかなエリアだ。スリや置き引きが相次ぐ場所でもあり、このあたりのパブで飲むときには、足元の荷物が無くならないか、気になってやや落ち着かない。

このソーホーに一軒のタウン・ハウス(かつての貴族の邸宅)がある。白い外壁が印象的なジョージアン様式のこの建物は、18世紀に建てられたものだ。ディーン・ストリート・タウンハウスと名付けられたこの建物には現在、イギリスの会員制クラブ「SOHOハウス」が経営する39室のホテルとレストラン・バーが入っている。私が取材に訪れたこの日は、店の外のテラス席で紳士淑女がシャンパンを楽しんでいるところだった。

ヘンリー王子とメーガン妃は2016年7月上旬、このレストランで知人の紹介により初めて出会った。建物は素敵だが、周辺は歓楽街特有のゴミゴミとした感じがあり、とてもロイヤルファミリーが訪れるエリアとは思えない。

ヘンリー王子は世界の王室の中でも1、2を争うプレイボーイだった。またメーガン妃も離婚後に様々な男性との浮名を流していた。それにもかかわらず、出会ってわずか16カ月で2人は婚約した。ウィリアム王子とキャサリン妃が結婚するまでに10年かけたのに比べると、いかに“スピード婚”だったかがわかる。

メーガン妃がヘンリー王子を選んだ理由はわかるような気がするが(なんと言っても、リアル王子、である)、なぜヘンリー王子は「年上、バツイチ、黒人系」であるメーガン妃を選び、年貢を納めたのか。

■女性遍歴は「白人で金髪の上流階級」ばかりだが…

ヘンリー王子の女性遍歴を見ていて気付くのは、「白人」「金髪」「上流階級」「モデル」「女優」というキーワードである。王子の好みが窺えて興味深いが、「黒人系」「庶民出身」であるメーガン妃が異質の存在であることがよくわかる。

「ザ・サン」紙は、こう評している。

「ブロンドの女性ばかりとデートしてきたヘンリー王子にとって、ブルネットであるメーガンはそれまでとはタイプが異なる」

なぜメーガン妃に惹かれたのか。私はイギリスのベストセラー作家、アンドリュー・モートン氏に話を聞いた。

1992年に彼が執筆した『ダイアナ妃の真実』(邦訳・早川書房)は、チャールズ皇太子とダイアナ元皇太子妃の結婚生活の破綻を暴露し、ミリオンセラーとなった。日本でも出版されたので、お読みになった方もいるかもしれない。彼は新たに、メーガン妃の伝記本『メーガン ハリウッド・プリンセス』を執筆したばかりだった。関係者を丹念に取材し、メーガン妃の生い立ちや人物像、ヘンリー王子と出会った経緯などについて解き明かしている。

■「王子はメーガン妃が、ソウルメイトだと感じたのです」

「暴露本」の作者ということで、あくの強い人物を想像していたが、実際に会ってみると非常に紳士的でスマートなことにやや意外な印象を受けた。

モートン氏によると、この当時のヘンリー王子は「家族を持ちたい」という気持ち、つまり結婚願望が強くなっていたという。

ではなぜメーガン妃に惹かれたのか、という私の質問にモートン氏はこう答えた。

「その答えはヘンリー王子に聞くべきですが、王子は彼女の賢明で、表現力豊かで、情熱的なところに惹かれたのだと思います。そして、イギリス王室の王子と話しているにもかかわらず気後れしないところにも」

そして彼はこう付け加えた。

「王子はメーガン妃が、ソウルメイトだと感じたのです」

ソウルメイトというのは英語の造語で幅広い意味を持つ言葉だが、直訳すると「心の友」となる。

ヘンリー王子の母ダイアナ元妃は、HIV患者の支援や地雷除去など慈善活動に力を注いでいた。その遺志を継ぎ、ヘンリー王子もアフリカの子供たちやHIV患者の支援など、慈善活動を積極的に行っている。

一方のメーガン妃も、女性の人権問題やアフリカ支援の活動に関わってきた。ヘンリー王子はメーガン妃に、亡き母の面影を見たのかもしれない。

■アメリカの雑誌インタビューに登場

展開の早さ、勢いが印象に残る2人だが、その後、婚約に向けて関係をオープンにする過程は、非常に緻密に計算されていたと思う。

なかなか揃って公の場に出なかった2人だが、翌2017年5月、ロンドン郊外にあるアスコットのポロクラブで、2人がキスしている姿が目撃された。公の場でのキスは初めてのこと。もちろんうっかりではなく、撮影されるのを計算してのことだろう。

さらに同じ月、キャサリン妃の妹であるピッパ・ミドルトンの結婚披露宴に、ヘンリー王子とメーガン妃が揃って出席した。ヘンリー王子との交際説も流れたピッパの結婚式はメディアの関心も高く、ここにも多くのメディア関係者がいた。そこにメーガン妃を連れてきたことには、「結婚も考えている」という強いメッセージを感じる。

そして4カ月後の2017年9月、メーガン妃がアメリカの雑誌「ヴァニティフェア」のインタビューに応じ、2人の関係について語った。私の手元にその雑誌がある。表紙を飾っているのはメーガン妃だ。タイトルには「彼女はハリー(ヘンリー王子の愛称)に夢中!」とある。

「私たちは付き合っています。愛し合っているの。いつかみんなの前で説明しなければいけないときが来ることはわかっています。でも、これは私たちだけの時間であることをわかってほしい。私たちは幸せです」

■決定的なシーンだったインビクタス・ゲーム

ヘンリー王子のことを「私のボーイフレンド」と呼び、オノロケ全開のメーガン妃だが、ロイヤルファミリーの交際相手が自ら取材に応じ、赤裸々に恋愛について語るというのは前代未聞だ。

王室専門家からは「せっかく王子がマスコミに異例の声明を出して取材を沈静化させたのに、これでは逆効果だ。彼女の選択は間違っている」との批判も相次いだ。

しかし、私はさすがにメーガン妃もそこまで考えなしで取材を受けたのではないと思う。2人の関係をオープンにするための広報戦略の一環だろう。その証拠にわずか2週間後、決定的なシーンが撮影されることになる。

同年9月23日から30日にかけて、カナダのトロントで国際スポーツイベント、インビクタス・ゲームが開催された。この場にヘンリー王子はメーガン妃と手をつないで登場し、世界中にその親密な姿を初めて公開した。

インビクタス・ゲームは、傷病兵らのための「オリンピック」である。インビクタスとはラテン語で、「征服されない」を意味する。戦場で体に障害を負っていたり、心に傷を負っていたりしていても、屈せずに戦う傷病兵たちを後押しすることを狙ったものだ。

このイベントを立ち上げたのは、実はヘンリー王子である。

■“王室の問題児”をみなが見直すきっかけに

ヘンリー王子はイギリス陸軍の兵士だった。ロイヤルファミリーだからお飾りのキャリアだと思うかもしれないが、そんなことはない。攻撃ヘリコプターAH-64アパッチの副操縦士兼射撃手を務め、アフガニスタンにも従軍した経歴を持つバリバリの兵士である。

20週間に及んだアフガニスタンでの任務を通じ、ヘンリー王子は、最前線の兵士の生活や、精神的・肉体的な傷痕について理解することができたという。この体験を通じてヘンリー王子は、精神的、あるいは肉体的に傷を負った元軍人に支援を提供する慈善団体に特に関心を持つようになった。

その後、ヘンリー王子は公務でアメリカのコロラド州を訪れた際に、ウォリアー・ゲームという大会に出席した。2010年にアメリカのオリンピック委員会が、負傷した軍人のための競技会としてスタートしたものだ。この年、イギリスチームが初参加していた。

ひどいケガや後遺症に悩まされているにもかかわらず素晴らしい戦いを繰り広げる選手たちを見て、王子はイギリスで同じ大会を開くべきだと考えた。かつては心身ともに健康だった元兵士たちが、失ったものを取り戻すことができる、そう考えたのだ。

ヘンリー王子は国防大臣を口説き支援を得て、2014年9月にインビクタス・ゲーム第1回大会が開催された。大会では13カ国から400人の障害者たちが、陸上競技、アーチェリー、車いすラグビー、車いすバスケットボール、重量挙げ、水泳などに参加した。大会の成功により傷病兵の問題認識を助けただけでなく、王室の問題児であったヘンリー王子への認識をみなが改めるきっかけにもなった。

■ボツワナ産ダイヤモンドとダイアナ元妃の形見

ヘンリー王子は3回目となるインビクタス・ゲームにメーガン妃を連れてくるだけでなく、彼女の母ドリアさんも招待していた。自らがもっとも大切にしている慈善活動であるインビクタス・ゲームをメーガン妃の住むカナダのトロントで開催し、さらにその場で彼女を披露する。王子が彼女との結婚に本気であることは、もはや疑う余地がなかった。

その2カ月後の2017年11月、ヘンリー王子はメーガン妃にプロポーズした。ケンジントン宮殿の庭でマスコミのカメラの前に現れたメーガン妃の指には、婚約指輪が光っていた。

この婚約指輪は、ヘンリー王子が自らデザインしたものだ。ひときわ目立つ大きなダイヤモンドはボツワナ産である。ボツワナは最高品質のダイヤモンドが採れる国として有名であり、取引額ベースでは世界一だ。ダイヤモンド生産世界最大手のデビアスも、かつてロンドンにあった拠点をボツワナに移すなど、今注目の国である。

しかし、ボツワナ産のダイヤを2人が選んだ理由はそれだけではない。出会ってすぐに2人で行った思い出の場所もボツワナだったのだ。

大粒のダイヤモンドの両側には2つの小さなダイヤモンドが配されている。これは亡き母ダイアナ元妃の宝石コレクションにあったものだ。

■メーガン妃とダイアナ元妃の共通点とは

メーガン妃は指輪について、こう話している。

「ヘンリー王子を産んでくれたダイアナ元妃と私たちにとって大切なボツワナをつなげてくれています。この指輪はパーフェクトなんです」

私は大切な婚約指輪にダイアナ元妃の形見が使われているところに、深い意味があると思う。

メーガン妃とダイアナ元妃はともに両親が離婚し、つらい少女時代を過ごしている。

メーガン妃は両親の離婚で負った傷を乗り越え、黒人系であることをハンデとせず、女優であるとともに男女平等やアフリカ支援などの活動を続けている。ダイアナ元妃が苦しみながら目指していた理想の女性像に近い。

ヘンリー王子がメーガン妃にぞっこんとなったのは、亡き母ダイアナの面影を見たから、だと思う。そしてその表れがこの指輪、と考えることはできないだろうか。

一方で、2人には大きな違いもある。モートン氏はこう語っている。

「ダイアナ元妃は社会的弱者に寄り添うことを目指していたが、メーガン妃はより積極的に、活動家として社会に変化をもたらそうとしている。また、ダイアナ元妃と違ってメーガン妃は女優だったので、カメラにどう映るかを知り尽くしている」

■「世界を変える」という野望を持って王室入りした

ダイアナ元妃は19歳で婚約し、結婚したときまだ20歳だった。結婚前も保育園のアシスタントやナニー(子供の世話係)などしかしておらず、十分な社会経験が無いままで王室に入った。チャールズ皇太子との交際が明らかになった直後、イギリスメディアの記者に執拗(しつよう)に追い回される映像が残っているが、当時の彼女はメディア対策など考える由もなかった。

亀甲博行『ヘンリー王子とメーガン妃 英国王室 家族の真実』(文春新書)
亀甲博行『ヘンリー王子とメーガン妃 英国王室 家族の真実』(文春新書)

彼女が世界中の人々を魅了する美しいファッションに身を包むようになったのも結婚後しばらく経ってからのことだ。結婚した当初の彼女はどこか野暮ったく、のちのダイアナ元妃とはずいぶん印象が違うことに気付くと思う。

つまり王室入りしたとき、ダイアナ元妃はまだまだ未完成な状態だった。その後王室の中で疎外感を感じ、夫の不倫に苦しみ、様々な苦悩を重ねた結果、のちの人々がイメージする「ピープルズ・プリンセス(民衆のプリンセス)」へ成長していったのだ。

それに比べるとメーガン妃はある意味完成された状態で王室入りしている。ロイヤルウェディングや様々な公務での彼女の振る舞いを見ていても、自分がどうカメラに映っているのか、知り尽くしているのがよくわかる。

イギリス王室という大きな力を手に入れた彼女は、「世界を変える」という自らの野望に向け、スタートラインに立ったかのように見えた。

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亀甲 博行(きっこう・ひろゆき)
日本テレビ放送網・前ロンドン支局長
1974年生まれ、東京大学文学部卒。1997年に日本テレビ放送網入社。報道局で記者、デスク、プロデューサー、ディレクターなどを務め、2016年6月、ロンドン支局長に就任し、メイ首相の単独インタビューを実現。2019年6月に帰国し、現在は編成局編成部所属。

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(日本テレビ放送網・前ロンドン支局長 亀甲 博行)

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