出生前診断でダウン症児を中絶するのは「ずるい」ことなのか
プレジデントオンライン / 2020年4月16日 9時15分
■「美しい言葉なら誰でも言える」
河合の選んだテーマは「出生前診断」。この本で全編を通して描かれるのは、出生前診断の誤診によってダウン症の子供「天聖」を産んだ母親・光だ。天聖はわずか3カ月でその生を終えている。
光の名前は仮名だが、天聖は実名である。そして書かれていることはすべて事実だ。2013年、光は「出産するか人工妊娠中絶をするかを自己決定する機会を奪われた」として、函館で医師と医院を提訴している。
結果的に、光は誤診によって子供が「生まれてきたこと」自体が誤りであり、生きたことが損害にあたるか否かを、裁判という形で世に問うことになった。
インターネット上で誰もが気軽に意見を表明できる時代である。彼女の行動は新聞報道などを通じて大きな議論になった。ダウン症の子供を産むこと自体が損害だとみなしていないか、ダウン症と診断されたら中絶していたかもしれないというのは差別ではないか——。
なるほど批判は正論である。だが、河合は「美しい言葉なら誰でも言える」と書く。彼女自身も実際に出産を経験し、妊婦健診で子供がダウン症で生まれてくる可能性を指摘された。
■「ダウン症児の親ではないのに、なぜ書くのか」
河合は障害に対して、無理解な書き手ではない。最初の著書『セックスボランティア』(新潮文庫)のテーマは「障害者と性」だった。障害のある友人も多く、障害と命の軽重は関係ないと思ってきた。
その彼女であっても、出産では「身勝手に、子の五体満足」を願った。河合は、社会からの批判を真正面から受けることになった母親に「会わねばならない」と北海道に飛んだ。
《最初は週刊誌、それから月刊誌にこの本の元になる原稿を発表しました。その時はいろいろな批判を受けました。これは書籍化は難しいなと思ったんですね。
例えば「河合の子供はダウン症なのか? 当事者でないのになぜ書くのか」という批判。そして「このような裁判がおきることだけで傷つく人がいる。そのような考えを伝える必要があるのか」という声もありました。
当事者ではないとわからないだろう、という批判は『セックスボランティア』の時にも受けました。ただ、私は体験しなければわからないという批判は意味がないと思っていました。私はあくまで書き手という立場で、書き手という距離から見たものを書きたいからです。》
■今までの自分は「わかったような気持ち」になっていただけだ
河合の取材依頼に対し、光は、最初にインタビューに応じると答えたものの、その直後に断りの電話を入れ、さらにもう一度電話をして河合の取材に応じると言った。
今までの自分は「わかったような気持ち」になっていただけだ。
揺れ動く母親の気持ちと河合は向き合っていく。
《彼女の本当の思いは短い報道だけでは伝わらない、実際に会ってみないとわからないと思っていました。それはちょっと矛盾した言い方になるかもしれませんが、私が出産を体験して「綺麗事だけではない」という現実を知ったことが大きいです。
私は障害について無知からくる偏見をそれほど持っていないと自分で思っていたのですが、いざ、自分の子供に障害があって生まれてくるかもしれないというときに、大きな葛藤がありました。
そこで、今までの自分は「わかったような気持ち」になっていただけだと強く思ったんです。これまで取材に協力してくれた人たちに謝りたいと思いました。自分は何もわからずに、わかったような気持ちで書いていたかもしれないと。
この母親を安易にわかったような気持ちにならずに、それでも理解したいと思いました。光さんもまた、この訴訟に踏み切るまでに、何かギリギリの切迫感に直面したのかもしれない。自分自身の存在を懸けて、訴訟をしたのかもしれないと思いました。
人生を懸けた決断に対して、「命は尊いんだ」と批判しても、それだけでは割り切れないことはあるわけです。彼女の葛藤や決断に至るまでの苦しみや選択の過程は、それこそ聞かないとわからないですよね。》
■「私は彼女のことを特別な人ではないと思っている」
センシティブなテーマである。ニュースの世界で生きてきた私は、社会に波紋を広げるような問いを投げかける「物議をかもした人」にインタビューをする際の心得はあるのか、と聞いた。
河合はここで「うーん」と首を傾げた。
《私とは取材のスタート地点が違いますね。私は光さんを物議をかもした人とは思っていなんです。普通の母であり、女性だと思って、取材を始めています。
出生においても、あるいは終末期においても、命を選ばなければいけない場面は、少なからぬ人が直面しうる問題です。光さんは大きな葛藤の末に訴訟を起こさざるを得なかっただけで、彼女自身は自分や周囲の人となんら変わりがない。生きる上での葛藤に善悪はないと感じています。
ですから、私は彼女のことを特別な人ではないと思っていますし、特別な人に会いにいくという気構えもありませんでした。》
あらゆるメディアは光を「特殊な母親」として扱った。だが、果たしてその理解は適切だったのだろうか。
■「人間は本来、要約できないものも抱えている」
光の主張は揺らいでいる。当初、弁護士は「ダウン症だと知っていれば中絶していた」と訴状に書いていたが、光は「中絶していた可能性が高かった」と書き直すように求めた。
河合はこの揺らぎを感じ取り、「理解できるかもしれない」という思いを強める。
《報道だけでは、どこまで理解できるだろうという心配もありましたが、最初にお会いして「理解したい」と思いました。
私は光さんが弁護士に訴状を書き直すように懇願したという話を聞いた時に、この揺らぎを当然だと思いました。最初に決めたことを、やっぱり後から考えて、もう一度決断をやり直すということは重要な場面であれば、誰しもが経験しうることです。
ネットニュースでは、はっきり論を立てて、きちんと要約できるような形で伝えるのが大切だという風潮が強いと思います。
それはそれでいいのですが、一冊の本としてノンフィクションを書くときに大切なのは、「人間は本来、要約できないものも抱えており、善も悪も正義もすべてが混ざり、ぐちゃぐちゃとしている」ということではないかと思っています。
人間は大切な決断を前に揺らぐし、決断してからも本当に良かったのかと考える。その揺らぎや葛藤を描くことがノンフィクションの醍醐味(だいごみ)だと思うんです。》
■本が出るまでは批判されることもあったが…
河合作品に共通しているのは——それは優れたノンフィクション作品と同じように——人間への執着だ。この執着が作品に結実する時、社会に小さな変化が生まれる。
光はダウン症の当事者団体や親たちとどこかでわかりあえると思っていたが、河合の本が出るまでは批判されることもあった。
《実際に本を出すと、ダウン症のお子さんがいる方がオススメ本として紹介してくれました。この本を読むのが怖いと思った人にこそ読んでほしいという書評を書いてくれる人もいました。
雑誌で記事を書いた時には、断片でしか伝えられませんでした。一方、本は全体を伝えることができます。全体を伝えれば、理解が生まれる。これが一番うれしかったことです。
要約しないことで、伝わったわけです。この本はどういう本だとなかなか紹介しにくいと思います。こうすべき、という話も書いていませんし、わかりやすい解決策もありません。
自分の考えを書いている部分もありますが、賛成・反対という立場から書くということは一切していません。
今の世の中は、要約すること、答えを出すことが大事だと思われます。黒でも白でもない「あわい」を描こうとすることで、届く人が増えたんです。
賞をいただけたこともうれしかったのですが(※)、一番うれしかったことは何かと聞かれたら、このようにわかりあえないと思っていた人たちが互いに理解しようとしてくれたことです。これは私だけの思いではなく、光さんの願いでもあったんです。
彼女も本当に喜んでくれました。》
※編集部註:本作は大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞している。
■「死んだなんてずるい。死んでくれたなんて羨ましい」
執着は時に、容赦のない質問としても現れる。光の裁判を知って、「ずるい」と言った女性がいた。彼女は望んだ羊水検査を受けられずにダウン症の子を産んだ。そして「死んだなんてずるい。死んでくれたなんて羨(うらや)ましい」と言った。河合は「ずるい」という言葉の意味について問うている。なぜ、そこまで踏み込めるのか。
《私には、先入観がなかったんです。
以前から、仕事でどうしてもここだけは聞かないといけない、と思ったら伺ってしまうところはあります。ベースにあるのは、知りたいという思いです。自分でも踏み込んだことを聞いているという自覚はあります。
でも、その場限りで関係が終わっていいというような聞き方はしていないつもりです。本を書く取材なので、一度きりで終わらずに長く付き合っていきたいと思います。》
日々のニュースに追われる新聞や雑誌、テレビの記者なら、その場限りで聞くだけ聞けばいいという「乱暴」な取材をする場面がある。だが、河合はそうではない。
■「相手には本にするのを嫌だという権利もある」
《だから5年かかるんです。踏み込んだことを聞ける関係を築くまで付き合って、本にするにあたって許諾もとります。相手には本にするのを嫌だという権利もありますからね。
他の取材でも同様に、世間から見ると理解することが難しいと思われる人であろうと、敬意を持って接したいと思っています。自分とは違う特別な人だという線引きはしないで人に会っています。そして、書いているうちに、どんどん聞きたいこと、会いたい人が増えていきましたね。》
河合は今、大学院の学生として「生命倫理」を学んでいる。その理由を聞くと、彼女は苦笑した。
《本当になんでここまでやっているんでしょうね。やはり、この問題の背景には長い歴史と知の蓄積がある。それを知りたい、と思ったということですね。
これもわからないことがあったから、知りたいということなんでしょうね。順序が逆な気もしますが、しっかりと学ぼうと思っています。》
■著者自身の葛藤がなければ、人間の葛藤は描けない
知りたい、という思いの多寡がノンフィクションの質を決めていく。
《結局、光さんのことも本当のことはわかっていない部分もあると思っています。でも、知りたいと思い、わかろうとしてきました。
もう十分聞いた、というところでさらに「実は……」という話が出てくるんです。よしわかったと思った瞬間に知らない話が出てくるのが、取材の醍醐味ですよね。》
「そういえば……」と河合はこんな話をしてくれた。
《子供に残す遺書みたいな気持ちで書いていました。遺書というと少し大げさかもしれませんが、人間いつ何が起こるかわかりませんからね。この大事なテーマを、気づかせてくれた子供にいつか読んでもらいたいと思いました。
きっと子供が大きくなる頃には、科学技術と倫理のはざまはもっと広がっているでしょう。科学技術が進歩した時代であっても人間の気持ちにある、葛藤や揺れは変わらないでしょう。
大きくなった時に、この時代には、こんな議論があったんだと思ってもらえたらうれしいですね。》
河合はノンフィクションを「文芸の一ジャンル」だと言う。
あわい、揺らぎ、葛藤——。言葉にすればシンプルだが、描くためには2つの条件がある。第一に人間と対峙(たいじ)して、表層的なものではない、本人ですら気づいていない本当に声に接近しようとする取材力であり、第二に読み手に届く文章力である。
河合が言う「わからない」は取材不足から出てくる言葉ではない。取材を積み重ねても、やはり人間にはわからない部分が残る。それでも書くときは書かないといけないし、書くことでさらに知ろうとする。
そこに著者自身の葛藤がなければ、人間の葛藤は描けない。
2つの条件を備え、さらにテーマの社会性、普遍性をも兼ね備えた「文芸」としてのノンフィクション作品は決して多くはない。どこまでも人間に迫り、結果として社会を描いた本作は、ノンフィクションの底力を見せた一作となった。
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記者/ノンフィクションライター
1984年生まれ、東京都出身。2006年立命館大学卒業後、同年に毎日新聞入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターなどで勤務。BuzzFeed Japanを経て独立。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)がある。
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(記者/ノンフィクションライター 石戸 諭)
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